NORIKO@どっぷりマレーシア

2年契約の駐在員としてマレーシアに降り立ったあの日から、気が付けば17年。日本人の主人…

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2年契約の駐在員としてマレーシアに降り立ったあの日から、気が付けば17年。日本人の主人と結婚し授かった二人の娘が多民族国家でマルチリンガル教育を受け成長していくのが楽しみな日々。 この経験や情報発信が誰かの役に立つと信じ、ハプニングだらけの日々を綴っていきます!

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マレーシア女性単身駐在 6年間の奮闘記

こんにちは!NORIKO@どっぷりマレーシアです。 こちらでは、2006年に来馬してから最初の6年間の、孤軍奮闘時代の事を書いています。 念願かなったマレーシア駐在だったとはいえ、 本当に務まるのか、どんな生活が待っているのか、と不安でたまらなかった私が、心に置いて自分を励ましていたのが上の言葉だ。 第一関門:車の運転 マレーシアに着いたその翌日、前任者の先輩から渡されたのは、車の鍵と分厚い地図帳。そして、 「はい、運転して」と。 入社して3年間、営業で関東を毎日のよ

    • マレーシアでの2歳差育児奮闘記

      こんにちは!NORIKO@どっぷりマレーシアです。 ここでは娘たちが生まれてからの子育て奮闘記、そしてそれぞれ2歳でナーサリー(保育園)デビューした頃(2012年~2016年頃)の事を書いています。 マレーシアの保育園事情と私が選んだ道 長女妊娠10ヶ月で退職をした私は6年間専業主婦だった。 マレーシアの育休は2ヶ月(今は3ヶ月になったよう)。出産のその日まで仕事をし続ける人も多い。 私の元同僚に、朝営業先で陣痛が来て、「お腹痛くなったから今からこのまま病院行くね」と言

      • マレーシアと日本で出産した時の話

        こんにちは!NORIKO@どっぷりマレーシアです。 ここでは11歳と9歳の2人の娘を、マレーシアと日本で出産した時の違いや、感じたことなど書いています。長女は2012年にマレーシアの私立総合病院で出産。次女は2014年日本へ里帰りし、私の地元の市立病院で出産しました。2回とも帝王切開での出産でした。マレーシアと日本、双方良し悪しがあり、良き人生経験となりました。 長女出産@マレーシア 長女妊娠中はいたって順調で、39週目の検診で病院に行った時に、少し羊水が漏れ出してるか

        • マレーシアでウェディングフォト!素敵な写真の舞台裏

          こんにちは!NORIKO@どっぷりマレーシアです。 ここでは2011年に結婚した私と主人が、マレーシアで撮ったウェディングフォトの体験を書いています。 マレーシアのウェディングフォト事情 マレーシアにはウェディングフォト屋さんが結構ある。個人でやっているところから大きいところまで。日本と同じように、マレーシアでも人種関係なく、みんなウェディングフォトを撮るのである。でもそれが日本とはちょっと違って面白い。 マレー系、インド系は宗教色が強めで伝統的な印象。中華系は伝統的

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          タイで2回、命の危険を感じた話

          こんにちは!NORIKO@どっぷりマレーシアです。 長く海外に住んでいると、今まで危険な目にあったことないの?と聞かれることがありますが、思い起こしてみると2回ほど死にそうな思いをしたことがあります。それがたまたま2回ともマレーシアではなく、お隣の国タイで。ここでは、その時のことについて書いています。ハラハラドキドキ、でもちょっとタメになる情報も!そして最後は笑ってもらえるはずです! それではどうぞ! 1回目:バンコクでタイガーショー事件 1回目はまだ独身の時。友達と3

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          【閲覧注意】マレーシアで呪われたコンドミニアムに住んだ話

          こんにちは!NORIKO@どっぷりマレーシアです。 この話は公開するかどうか、すごく悩みました。この話を読んで得する人は誰もいないし、むしろ気分を害する人が多いと思います。人が亡くなる事件のことを書いているので、読みたくない方はここでストップしてくださいね。 _______________________ 私がマレーシアに来て初めて住んだコンドミニアムは、「呪われている」と言われても誰も否定できないようなところだった。 というのも、2年に一度、不幸な事故で人が亡くなると

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          マレーシアでレーシック手術をした話と17年経った今

          こんにちは。NORIKO@どっぷりマレーシアです。 こちらでは、私が2007年にマレーシアで体験した視力強制手術(レーシック)の体験を記載しています。 レーシック手術前の私 マレーシアに来てからやりたかったことの一つが、レーシック。私は中学生の時から目が悪く、10年以上コンタクトだった。視力は両目とも0.05くらい。めんどくさがりの私には疲れて家に帰ってきてコンタクトを洗うという作業がとても嫌で、外し忘れて朝まで寝て、カピカピになったコンタクトを目から取り出す…みたいなこ

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          なぜ「どっぷりマレーシア」になったか

          私のマレーシアとの出会いは大学生の時。 入学して最初に入った寮の同室の先輩が東南アジア研究会だったから。という理由で研究会に入り、全く興味のなかった東南アジアにのめり込んでいく。 初めての海外はアメリカ 初めての海外は、高校の短期語学研修で行った、アメリカ、ロサンゼルス。 そのときの印象は、一言で言って「怖い」だった。 もちろん、優しい人もいた。何もかもが日本と違っていて、学んだこともたくさんあったのだけど… 研修のプログラムのため、大学のキャンパスで突撃インタビューし

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          婚約破棄してマレーシア駐在した話

          自己紹介終わって、何から書き出そうかと色々考えたけど、なぜマレーシアにどっぷり生活するようになったのか、原点を書かないと始まらないなと思い、17年前の事から書いてみます。 25歳当時の私の現状は 当時25歳の私には、2年付き合った婚約者がいた。真面目で優しくて、2年間喧嘩をした記憶もないぐらいだった。自然と結婚の話になり、お盆休みに私の実家に彼が結婚の挨拶にも来ていた。 その休みが明け、出社した日に社長から「次 マレーシアに行けるか」と言われたのである 。 その話があっ

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          初めまして

          まずは自己紹介 はじめまして!NORIKO@どっぷりマレーシアです。 2006年よりマレーシアに住んでいます。 日本人の主人と娘2人の家族4人でKL郊外の自然豊かな環境で暮らしています。 生まれも育ちも静岡県、富士山が良く見える自然豊かな環境で育ちました。 高校進学と共に東京へ。大学では東南アジア研究会にはまり、そこから東南アジアにどっぷりはまった人生となっていきました。バックパッカーで色んな東南アジアの国を回る中、絶対にマレーシアに住みたいと思い、マレーシアに行ける会