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なぜ「どっぷりマレーシア」になったか

私のマレーシアとの出会いは大学生の時。
入学して最初に入った寮の同室の先輩が東南アジア研究会だったから。という理由で研究会に入り、全く興味のなかった東南アジアにのめり込んでいく。

初めての海外はアメリカ

初めての海外は、高校の短期語学研修で行った、アメリカ、ロサンゼルス。
そのときの印象は、一言で言って「怖い」だった。

日本に帰ったら何もかも小さく感じたっけ

もちろん、優しい人もいた。何もかもが日本と違っていて、学んだこともたくさんあったのだけど…
研修のプログラムのため、大学のキャンパスで突撃インタビューした時のアジア人を見下すような冷たい感じ、高校生の片言の英語に対するあしらい…怖かった。

次に見たのはタイとミャンマー

アメリカの次に行った海外が、東南アジア研究会のメンバーで行ったタイとミャンマーだった。
その時の印象、一言で言って「居心地よすぎ

どの人も笑顔が素敵でした

人が優しい、みんな笑顔、生きるという事への活力っていうか、とてつもないエネルギーを感じた!!私よりたぶん、生活は豊かではない。でもみんな、思いっきり「今」を生きていた。「人間らしい」人がたくさんいた
そして、戦争時代に日本がしてきた残虐行為の数々を研究会で学んできた私にとっては、「あんなひどいことをしてきた国から来た私に、なんでそんなに優しいの?!」って、申し訳ない気持ちさえあった。
そして、アメリカに比べてカタコトの英語でも全くあしらわれない寛容さ!多言語、多民族だからみんな英語が母国語ではない。全然緊張せず、気楽に英語を話せる自分がいた。
色んな面でアメリカとのギャップが凄すぎたのもあり、すっかり東南アジアが好きになってしまったのだ。

そしてマレーシアと出会う

研究会では毎年春休みを使って現地を訪問するのだが、1年生の時はタイとミャンマー。2年生の時に行ったのがマレーシア(KL)とミャンマーだった。

タイのごっちゃごちゃしたところ、タイの人たちの笑顔、大好き!アジアのパワーめちゃくちゃ感じるし、今でも時々行くお隣の国。でもご飯が辛かった(笑)そして英語が通じない場面が多く、仕事で来るのは難しいかも、と思った。

ミャンマーは、今でも東南アジアの中でマレーシアの次に好きかもしれないくらい、雰囲気が大好き。でも大学の訪問のときは、お腹を壊しまくった。バンで移動を繰り返したのだけど、道が整備されてなく、激しく揺れる車内の移動と暑さで著しく体力が低下した。住むには大変な国という印象だった。

マレーシアに初めて行ったとき

そしてマレーシア。いろんな民族が暮らす素敵な国。ご飯もおいしい、人も優しい、居心地が良すぎた。何より、同じ国なのに民族間の紛争が長年続いている国もある中で、それぞれの民族が互いを尊重し合いながら一つの国として発展を続けている。こんな国に自分も「日本人」という一民族として溶け込んでみたい!!そう思ったのである。

17年住んでみて、その印象は大きくは変わらない。
色々あったけど、日本と比べてしまうときもあったけど、なんか憎めない。クスっと笑っちゃうのがマレーシア。とにかく自分にとって居心地が良すぎる国。今では完全に第二の故郷となった。

中華系マレーシア人のことを「マレーシアンチャイニーズ」というが、私はもうすっかり「マレーシアンジャパニーズ」なのだ。





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