婚約破棄してマレーシア駐在した話
自己紹介終わって、何から書き出そうかと色々考えたけど、なぜマレーシアにどっぷり生活するようになったのか、原点を書かないと始まらないなと思い、17年前の事から書いてみます。
25歳当時の私の現状は
当時25歳の私には、2年付き合った婚約者がいた。真面目で優しくて、2年間喧嘩をした記憶もないぐらいだった。自然と結婚の話になり、お盆休みに私の実家に彼が結婚の挨拶にも来ていた。 その休みが明け、出社した日に社長から「次 マレーシアに行けるか」と言われたのである 。
その話があった瞬間、私の中で、婚約話は正直ぶっ飛んだ。ずっと夢だったマレーシア行きがついに実現するのだ!
まさに千載一遇のチャンス到来
ここで、マレーシア行きを夢に描いていたのにどうして婚約をしていたの??と思った方もいると思うので説明すると、、
入社して分かったのだが、私のいた会社(中小企業)では、駐在員は5年に1回の頻度で交代、一人しか置かない。そのため責任が重く、 30代の中堅の社員しか行ったことがなかったのである。そして女性の駐在員は今まで一度も出たことがなかった。
入社3年目の女性の私が行けるのは何年後だろうか?行けないのかも?と半分諦めていた時に、突如あった話だったのである。
社長は、入社前の最終面接でマレーシア愛を熱く語った私の話を覚えていてくれたのだ。
若いから研修も兼ねてということで検討してくれたようだ。
社長は数年前に亡くなったが、今でも感謝は尽きない。
私は「行きます!!」と即答した。そんな私に社長は「家族や大事な人とも相談する必要があるだろうから」と言ってくれたのだが、内心私は、誰に相談してもこの気持ちは変わらないと思っていた。
彼に駐在の話があったことを伝えると、やはりショックを受けていたが、夢だと知っていたので、結婚は2年延長しようという話になった(駐在期間は当初2年だと言われていたから)。
マレーシアに来た後どうなったのか
その後、マレーシアに渡航してみて生活になれるまで、仕事になれるまで、本当に本当に大変だった。
特に運転と英語…
その時の奮闘記は下記に綴りました。
体調もくずした、孤独にもなった。そんな中、彼と電話をするのだけど、私の思いは全く分かってもらえない。それはそうだ。彼は公務員で海外には全く興味のない人だった。私が運転が大変だ、英語が、スタッフが、、と言っても共感してもらえるわけがない。それは彼が悪いわけでもなんでもない。
そんな感じで、彼とは自然消滅してしまった。
今振り返って思う事…
今まで生きてきて、ターニングポイントが何度かあったけど、いつも険しい道になるだろうな、と思える道を選んできたと思う。
それはきっと、絶対その方が面白い人生が待っていると感じたから。
あとは、ワクワクするかどうか、その道を選んだ先の自分を見てみたいか?
人生って山登りで例えられることが良くあるけど、まさにそう。
険しい道、沢山ハプニングがあった道のり程、頂上で見る景色は美しい。
私のnoteも、あの時の決断が無ければ一つも書けなかった。
そして、ここで一つ謝罪。ホント今だから書けることだけど、彼には申し訳ない事をしたなと思います。読んでいたらごめんなさい。
今となってはお互い結婚し、それぞれの人生があるわけだけど、あの時結婚を選び、駐在員の道を選んでなかったら、駐在員の交代の時期が1年でもずれていたら、社長が私をあのタイミングで抜擢しなければ、今の私はいないし、今見ている景色も、出会った人との思い出もない。
主人にも、娘たちにも会えなかった。
そう思うと 人生って不思議だなと思う。
でもあの時、私の選んだ道に1ミリたりとも後悔はない。
これからも、私は自分の人生のかじ取りを堂々と続けていくのであるー!
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