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「未来を創る仕事」に関わったこと

【「知識人」は予言できなかった】
三島由紀夫や安部公房、大江健三郎、橋本治、等々、戦後の有名な文系知識人の誰もが、政治的立場の左右問わず、彼らの出現直後のインターネットの出現について「予言」できていない。かろうじて小松左京などの文壇の本流とは言われなかった「外れ者」「サブカルチャー」としての元気であった頃のSFに、その断片が見られる程度だ。人の社会が作ったテクノロジーであるにも関わらず、だ。あれだけ理系に近くコンピュータにも触っていた安部公房も同じだ。

しかし、世界的にインターネットは言論インフラとしても、文化にも大きな影響を与えたことは確かだ。当時の「最先端」で「優れた頭脳を持った人」と言われたこれらの「知識人」は、なぜ「インターネット」を予言できなかったのだろう?

【「技術」と「哲学」】
根底から社会を変革するテクノロジーを望み、それを実現したのは、やはり文系のテクノロジーをも正面から哲学できる立場であった、ごく少数のインフラの研究者であり技術者だったんだな、と今にして思う。James Gosling氏などはその一人であっただろう、と私は思っている。いま、多くのオールドタイマーの「文系の知識人」は、インターネットが出現したとき「こんなものができたなんて」と、驚いて、やっとぼくらが作ったものを驚きの目でその成果を見ていたのを思い出す。今の生成AIが出現したときのように。

【「技術」を肌で触っているか】
その根底のテクノロジーのキーは「技術のデジタルへの移行」を最初とし、「ネットワーク」「データのパケット化」などのいくつかの概念の創造だが、技術を肌で触っていなければ、これらの組み合わせでできている壮大な現代のインターネット社会は見通せなかったのだから、文系の知識人ではまるで扱えなくて当然だ、とは思う。

【「文系」「理系」、いや「工学系」?】
文系の人は結局のところ、いくら優れた人であっても、あの時代自分たちが時代の最先端を走っているように感じていたかもしれないが、未来を創り出す想像力と実行力がないから、結局はいま、目の前に多く氾濫するものに「流され」自分の意思による社会変革ができなかったのだ、と思う他はない。日本の文系の知識人とは、所詮はその程度のものだったのだ、と私は断言する。なんとなく、だが、その当時から、それは感じてはいたけれどね。

【人間社会においてデジタルは不連続な変化を作った】
デジタルで人間社会に通底するものが全くそれまでの歴史とは不連続に変わり始めたんだな。それに気がついた人は当時は少なかっただろう。それほどデジタルの出現は大きな変化だった。それに最初に気がついたぼくらは、文系と理系の間を行ったり来たりする青春時代を送っていた、というだけだ。みんな、ワクワクする面白さがあったから、どれにものめり込んだ。こういう結果になるだろうな、とは思ったが、突き進んだし、周りも、ぼくらがしていることが何がなんだかわからないから、やらせてくれた。

結果として「未来を創る」ことで食ってこれたのは、ラッキーであったという他はないんだが。

【おまけ:思い起こせば。。。】
前のnoteにも書いたが、大学のときにアルバイトで行った教育系出版社。大学を卒業する直前。40年前。そこに「就職させてください」と言った翌日に「やっぱりやめます」という、ヘタレ(←優柔不断)をやった。その言い訳として「これからはコンピュータで芸術だってするようになる」というのを思わず言葉にして言った。その時から、気がつけばこういうところにいた。あれは当時、単なる言い訳だったはずだ、が。。。

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