あまね

49歳、元既婚者。人生をエンタメにしたいと頑張ってます。 出てくる人はみんな仮名で、好…

あまね

49歳、元既婚者。人生をエンタメにしたいと頑張ってます。 出てくる人はみんな仮名で、好きな芸人さんから名前をお借りしています。 家庭内別居をしていたので、それもおいおい書いていく予定です。

最近の記事

離婚することにしました。22

去年、子供は小学2年生になった。 家庭内別居は7年を超え、転職したことも伝えなかった。 子供を連れて配偶者が実家に帰省している時に一人で海外旅行も行った。 一緒の家に居るだけ。 相手が何をしているのかも知らないし知りたいとも思わなかった。 子供が小学生になる少し前、私は微熱が続いていた。 そして、突如立てなくなった。 とにかく力が入らないのだ。 病院に行っても待合室で座っていられず横になっていた。 血液検査を受け、白血球数値が4倍になっているとのことだった。 抗生物質の点

    • 離婚することにしました。21

      配偶者と一切コミュニケーションを取らなくなって3年が経過していた。 匂いや音など配偶者から発せられるもの全てに対して嫌悪感はあるが、それなりにこのコミュニケーションが全くない暮らしに慣れてきて、楽しく暮らす時間が増えてきた。 お話が上手になってきた3歳の子供と出掛けるのは本当に楽しくて、しょっちゅう二人で外出した。 乗り物好きな子供とリニアモーターカーの試乗にも行ったし、ミュージカルも観に行った。 翌年4月から通う大学院に合格したし、表面上は平和な日々が続いていた。 子供

      • 離婚することにしました。20

        子供は2歳になっていた。 子供と二人でお出かけしても、仲のよさそうな家族連れを見ては涙ぐむ時期は徐々に過ぎていた。 私は配偶者と一緒の食卓につくことがどうしても出来なくなっていた。 仕事から帰ったら配偶者と子供のご飯を用意しては風呂に入り、とにかく一緒に居る時間を減らした。 子供と一緒にご飯が食べられない事、疲れているのに仲良くもない配偶者のご飯を用意しなければならないのか。 色んな事が我慢が出来ず、子供が怖がると分かっていても風呂場でウオー!と雄叫びをあげていた。 仲直り

        • 離婚することにしました。19

          購入した分譲マンションは、私が妊娠中に購入した。 ローンは配偶者が支払っている。 配偶者はローンを組んだことで心に負担が圧し掛かって苦しくなったようだったが、妊娠中の私は見ないふりをした。 配偶者に寄り添う気持ちが一切なかったことと、賃貸で支払うのと何が違うのか。 ローン支払が完了したら、不動産は自分のものになるじゃないか。 なんでそんなに悩むの?と思ったからだ。 住宅ローンはけっして高額ではなかった。 なのに、なぜか私は連帯保証人になっていた。 仲直りする気のなくなった私

        離婚することにしました。22

          離婚することにしました。18

          100%私が悪いのです許してください。 関係は日増しに悪化した。 頭を下げながら、心では私だけが100%悪いとかないだろうよと真っ赤な舌を出していた。 何度も謝罪しても一向に許す素振りすらしない配偶者に対して、じゃあどうしたら納得するんだよ!と内心では終始イライラしていた。 こういった本心から謝罪していないところを配偶者は敏感に察知し、全く反省の色がみられない!と、怒り狂った。 もはやどこにもゴールはなかった。 「どうしたら以前のような関係に戻れるのか具体的な提示がない、ど

          離婚することにしました。18

          離婚することにしました。17

          私が頂いたプロポーズの言葉は、 ずっとそのままで変わらないで 気の強いところも一生変わらないで欲しい 私は産後のことがあってから、より一層家の中でイライラし笑うことが出来なくっていった。 機嫌がいい時はもちろんあるのだが、ちょっとしたことで怒った。 完全に配偶者を舐め腐り、ていのいい下僕にしか思わなくなってしまった。 義母を追い出してしまった罪悪感はあったので、配偶者に保育園での子供の出来事などを話し、夜ご飯は沢山のおかずを並べた。 配偶者は、 “俺の母親を追い出した女と

          離婚することにしました。17

          離婚することにしました。16

          私の知っている義母の口癖は「かわいそう」だった。 出産後に手伝いに来た義母はせっせと3食作ってくれた。 だけれど隙があれば子供を私に返してくれなかった。 一緒に見ていたテレビで、清原が覚せい剤で捕まったニュースをやっていた。 清原に対してもかわいそうに・・と言っていた。 かわいそう 義母が発するその言葉に嫌悪感を抱いていた。 義母に自覚はないと思うのだが、上から目線の発言が透けて見えて以前から聞くたびに苦痛だった。 義母は、大きな病気を持っているかもしれない状態の自分の孫

          離婚することにしました。16

          離婚することにしました。15

          子供は生まれた。 麻酔でうつらうつらする私に、寝ないでくださーい!と看護師が声を掛け、腹を引っ張られ切られた。 子供が取り上げられた。 泣き叫ぶ子供は、身体に異常がないか確認のため一旦手術室の一角に連れて行かれた。 元気な泣き声を聞いて、とにかくホッとした。 確認が終わった後、私のもとに子供がやって来た。 どういう言葉を掛けたらいいか分からず、 初めまして! 照れながら声をかけた。 医師は、ずっと一緒にいたでしょう!と楽しそうに笑った。 年配の医師が、若い医師にここをこうす

          離婚することにしました。15

          離婚することにしました。14

          出産予定日2週間前の1月15日まで通常通りに出勤し働いて、産休に入った。 子供を育てることは必死で、その頃の記憶はどんどん忘れてしまうらしい。それくらい必死なんだそうだ、親は。 そう聞いていたが私は全く忘れていないから、書く。 私は帝王切開で子供を産んだ。 当初の出産予定日は2月3日だった。 その日は節分で、鬼が鬼を生むわ。とひっそり楽しんでいた。 出産後すぐに復職する予定で、妊娠が分かった段階で保育園探しを始めた。区役所の説明では、誕生が2月5日までであれば4月から保育園

          離婚することにしました。14

          離婚することにしました。13

          私と配偶者は喧嘩や言い合いをしたことがほぼなかった。 いつも私が一方的に怒っているだけだった。 よく、彼氏と喧嘩して~とか友達から聞いてはいたが、私と配偶者の間には喧嘩はなかった。 しかも途中からは私が配偶者の興味が湧きそうな話題を振り続けるだけの関係性だったのだから。 心のうちを話し合ってこなかったから。 購入したマンションで暮らし始めてからすぐに、些細な事で大きな諍いが起きた。 内容は全く覚えていない。 一緒に出掛けようとした時、私がいらないことを言ったのだと思う。 そ

          離婚することにしました。13

          東京、最初の家での事件

          お化け以外は全部出た、そう感じた家の話。 年末に引っ越す、引っ越しまでに時間がないことや東京の家賃の高さなど、ある程度綺麗で広さが確保されているにも関わらず家賃が安いという理由で1階の部屋を借りた。 日当たりが悪いことが原因なのか、はたまた日中に不在がちで閉め切っていたことが原因なのか。 靴箱に収納した靴の全てにカビが生え、家の中はダンゴムシとムカデが大量発生。 ハンガーにかけていた上着もカビが生えてしまい全て捨てることになった。 そんなアパートの話。 アパートの1階の

          東京、最初の家での事件

          離婚することにしました。12

          2014年秋 子宮筋腫を取る手術をしてくれた主治医は、腕の良い医師だった。 子宮をズバーンと突き抜ける切り方ではなく、子宮外側の表面だけを切開して筋腫をごそっと400グラム取ったのちに縫い合わせたものだった。 なので、すぐに妊娠できるとの事だった。 配偶者の転勤生活が終わり、2015年になってすぐに東京で一緒に暮らし始めていた。 出会ってから8年以上経っていたが、ほとんど一緒に暮らしたこともなく、一人の生活習慣が完全になじんだ私は、浴槽に浮かぶ他人の体毛やタオルの干し方、引き

          離婚することにしました。12

          離婚することにしました。11

          区がやっている40歳の子宮検診で引っかかった。 「腹の外側から触れる位に子宮筋腫が育っているのだけど、子供欲しいなら取らないと出来ないよ。うちでは手術できないし、大きな病院の紹介状書こうか?」 検診の医師が言ってきた。 私はずいぶん前から、その指摘されたでかい塊がおなかにあるのは知っていた。 仰向けで寝る時、おなかに手を当てるとゴツッと塊が当たるのだ。 ずっと宿便かと思っていた。 子供が欲しいとも思っていないし、子供を作るのか作らないのかを真剣に考えたことも、子供の事につい

          離婚することにしました。11

          離婚することにしました。10

          年末 2009年12月29日に東京に引っ越してきた。 12月に配偶者の転職先が決まり、年明けには初出勤ということで引っ越しはバタバタだった。 何回移動するの?と笑ってしまうが、数か月後に配偶者は私の地元に転勤した。 当時の私は専門学校に通っていたこともあり、付いていかなかった。 一応、形式上であるが付いていくか否かの話し合いの場は設けた。 配偶者は私の勉強を尊重し、付いてきてもらうつもりはないと言った。 私が判断を下したのではなく、配偶者から結論を出してもらったことと、一人

          離婚することにしました。10

          離婚することにしました。9

          2009年2月に彼が再び私の住む街に転勤となった。 3ヶ月ほど同棲して2009年5月に籍を入れた。 入籍直前5月のゴールデンウイークに彼の実家に行った。 婚姻届の証人欄に署名を頂くためだ。 彼の実家で昼ご飯をご馳走になりお茶で一息ついている時、彼は自身満々に婚姻届の署名をと書類を机に出した。 義理の父親になる男性は笑顔で署名をした。 私は証人のもう1名を私の父親にしたいと思っていた。 父親は本当にろくでもない男だった。 私が小さいときは母親に暴力をふるい、休みはパチンコに行

          離婚することにしました。9

          離婚することにしました。8

          2009年5月 結婚 出会った日から2年後に籍を入れた。 結婚するまでに、やっぱり結婚をやめようと思うことがいくつかあった。 あれ?と思った気持ちを無視したことは失敗だったのかもしれない。 2007年に付き合い始めて、1年も経たない2008年春に彼は転勤で東京に行った。 1ヶ月に一度、彼に会いに東京に行く。 最初のうちは帰り道泣いていた。 けれど、そのうちフラフラ出来る自由が勝って帰り道に泣くことはなくなった。 このころの私はまだ可愛げがあった。 会えば楽しい、その頃の私は

          離婚することにしました。8