離婚することにしました。15

子供は生まれた。

麻酔でうつらうつらする私に、寝ないでくださーい!と看護師が声を掛け、腹を引っ張られ切られた。
子供が取り上げられた。
泣き叫ぶ子供は、身体に異常がないか確認のため一旦手術室の一角に連れて行かれた。
元気な泣き声を聞いて、とにかくホッとした。
確認が終わった後、私のもとに子供がやって来た。
どういう言葉を掛けたらいいか分からず、
初めまして!
照れながら声をかけた。
医師は、ずっと一緒にいたでしょう!と楽しそうに笑った。
年配の医師が、若い医師にここをこうするんだよと教えながら縫合している声を聞きながら、眠りについた。

出産した病院は、出産時のバースプランが組み立てられる病院だった。
音楽をかけてほしいと依頼すれば出産中に流してもらえることが出来たり。
帝王切開は手術に該当するため音楽は不可で、唯一希望が叶ったバースプランは胎盤を見ることだけだった。
子供がおなかの中で育つために胎盤を通じて栄養を渡すのは知っていたが、おなかの中で子供を包む袋は3層になっていると聞き、生命の神秘を自分の目で確かめたかった。
朦朧とした頭が麻酔から覚めるまで処置室に居ることになっていた。
子供を出産した私は万能感に包まれていた。
とにかく全世界から褒めてもらいたかった。
人としての役割の一つを果たしたことが気分を高揚させていた。
胎盤は大きなトレイに乗って私のもとに来た。
麻酔から覚めて何時間も経つのに、子供はいつまでたっても私のもとに来なかった。

手術時の医師とは違う、押しの強そうな若い男性医師がやって来た。
子供は誕生後2時間経った頃に呼吸が止まってしまったとのことだった。
原因を調べるために母子同室は出来ないこと、GCUという乳児専用病棟に入り一緒に退院もできないこと。
現時点では命に別状はないが退院時期を話せる状況ではないことを丁寧に話してくれた。
何が起きたのか全く理解できなかった。
突然の出来事で頭が真っ白になると思っていたけれど、頭が真っ白になんてならなかった。
こういう時は母親は泣くんだろうかと考えていたら、ワーワー泣いていた。

一緒にいた配偶者が背中をさすってきたけれど、すごく迷惑だった。
私はお前に慰めせてもらったって問題はちっとも何も解決しないわ!
そう叫んで突き飛ばしたかった。
ショックを受けた顔をする配偶者をぶちのめしたかった。
お前に私の苦しみの何が分かるというのか。
お前は何もかも私の良いように優先させてあげてるよという顔をするが、肝心のところで私の気持ちを何もくみ取ってくれない。
なんでこんな奴を配偶者にしたのか。
悲しさをお互いに半分づつ荷物を分け合える関係でもない奴なんか!
言いたいことを全部呑みこんで号泣した。

入院中は母親を休ませる時間がないくらいに色々なイベントが押し込まれていた。
出産した3日後、同じ日に出産した女性4人で、子供との生活で気を付けるべきこと、夫婦生活の開始タイミングなど助産師さんから指導を受けた。
出産後に何も事故が起きていない私以外の女性3人は、母子同室の入院は大変だと楽しそうに話していた。
子供が手元にいない私は手術時の麻酔も上手く抜けず、点滴を付けた状態で下を向いてみんなの話を黙って聞いていた。
個室にしてもらって良かった。
部屋に戻ってから泣いた。

入院中の個室はトイレがないため、病棟のトイレまで歩いていた。
同じ日に出産した女性が子供を大事そうに抱きかかえて、迎えに来た家族と一緒に笑いながら退院していくところを見てしまった。
涙が止まらなかった。
なんであの人は子供と一緒に帰ることが出来るのに。
完全に産後鬱だった。
配偶者は毎日、義母が1日おきで見舞いに来た。
私は産後の苦しみを二人に言えなかった。
配偶者も義母も分かってくれることはない、とうに諦めていた。
産後の私は体調に問題がなく予定通りに退院した。
退院後の翌日から子供に母乳を届けるため、家から1時間以上かかる病院まで毎日通った。
自転車に乗って最寄り駅に行き、電車に乗って往復3時間。
体力のない私は心身ともにすぐに限界を迎えた。
病院からの帰り道はまっすぐに帰ることが出来ず、いつも駅のホームで横になって体力と気力が回復したらまた少しづつ移動してようやく家に帰る。
子宮も元通りになったから退院できたのに、無理をし過ぎたせいで出血が始まった。
配偶者も義母も子供の心配をしているだけで、私を心配してくれるのは大学時代の友達ケイちゃんだけだった。
ケイちゃんだけに、毎日心がつらいことと体力が限界だと連絡していた。

3週間ほど経ち、ようやく子供は退院することが出来た。
病院から家に帰ってきてからは初孫フィーバーの義母が子供を抱っこしたが最後、私に返してくれなかった。
返してほしい、私が抱っこしたいとなぜか言えなかった。
子供を返してもらえない状況は耐えられなかった。
私はウオークインクローゼットに入り声を殺して泣きながら、吐きだせない気持ちをかかえ段ボールで別の段ボールを殴っていた。
配偶者がそこへやって来た。
『かあちゃんが心配するからリビングに居てよ』
とだけ言ってリビングに戻っていった。
しかたなくリビングに戻ると、ソファで配偶者と義母が代わる代わる子供を抱っこして幸せそうに座っていた。
私が泣いている理由は二人とも聞いてこなかった。
私は、家で独りぼっちだった。


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