離婚することにしました。12

2014年秋
子宮筋腫を取る手術をしてくれた主治医は、腕の良い医師だった。
子宮をズバーンと突き抜ける切り方ではなく、子宮外側の表面だけを切開して筋腫をごそっと400グラム取ったのちに縫い合わせたものだった。
なので、すぐに妊娠できるとの事だった。
配偶者の転勤生活が終わり、2015年になってすぐに東京で一緒に暮らし始めていた。
出会ってから8年以上経っていたが、ほとんど一緒に暮らしたこともなく、一人の生活習慣が完全になじんだ私は、浴槽に浮かぶ他人の体毛やタオルの干し方、引きずって歩く配偶者の足音など配偶者の些細なこと何もかもにイライラしてしまい、その度にブチブチ怒っていた。

一緒に暮らしてすぐに私は妊娠した。
セックスレスをやめたことと産婦人科で排卵日に合わせて注射などをしたからだった。
正直やりたくもないセックスを配偶者としていたのは、やったことのない『妊娠』『出産』などを経験したかったからという、なんともお粗末な話で。
つくづく自分の事しか考えていない本当にひどい奴だと思う、私は。

5月に、手術のお見舞いに来てくれたケイちゃんが東京に遊びに来た。
二人でもつ鍋屋でしこたま飲んで、配偶者の待つ家に帰るのが面倒くさくなり、ケイちゃんのホテルに泊めてもらった。
翌日もご飯を食べながら飲んで、夜が来たのでケイちゃんは京都へ帰っていった。
ケイちゃんと酒を飲みながら、私はひょっとしたら妊娠しているのではないか?と気付いていた。
ケイちゃんと別れた帰り道に妊娠検査薬を買って帰った。
検査すると陽性だった。すぐにケイちゃんにメールした。
ケイちゃんから、妊婦に酒を飲ませて申し訳ないと返信が来た。
私はすぐにパソコンで妊娠と酒の関係を調べ、酒はその日からやめた。
ケイちゃんにメールした後に、配偶者に妊娠したと告げた。

妊娠してからしばらく経ったある日、風呂場から異様な音が響いた。
びっくりして覗きに行くと、風呂に入っていた配偶者が頭を浴槽に何度も打ち付けていた。
「何やってんの!」
私は配偶者に怒鳴った。
配偶者は私の怒鳴り声でハッ!と我に返った。
「何をしてたかわからない」
配偶者が視点の定まらない目で風呂場の壁を見つめて言った。
そういった日が何日か続いた。
「心の病気だと思うから、病院に行って欲しい」
私は自分の気持ちを伝えた。
「うん」
配偶者は下を見て長い時間黙ったあと、返事をした。
配偶者は病院で処方された薬を飲んでいなかった。
病院で処方された薬を飲まない=治そうとしていない
そう感じて、私はイライラした。
お願いだから薬を飲んで欲しいと怒りながら伝えると、黙っていた配偶者が話し出した。
心の病気になった原因は私にあると先生に言われたこと、
病気の原因から物理的に離れるのが治すためには一番だと言われたと。
私は妊娠しており、もはや後戻りできないのに何を言っているんだコイツ。そんな風にしか思わなかった。
私は病気になった配偶者を一切思いやることも寄り添うこともしなかった。私が元々神経質な性格だということを配偶者は十分知っているだろうと思っていた。
配偶者に興味のありそうな話だけをするように事前に会話を準備して楽しませようとか、十分に私は努力を重ねてきていた。
私は話をするのが大好きで、ろくでもない話やどうでもいい話をするのが大好きで、話を聞いてもらえないことはつらかった。
それが満たされていないことは苦痛でしかなかった。
辛すぎて、どうしてこの人を結婚相手に選んだのだろうと自分の選択の失敗を認め現実を直視することから逃げ続けていた。
配偶者のことは、私の話をまともに聞かないバカな奴位に見下して気持ちを納得させていた。
それでも配偶者を好きになったことは事実であり、配偶者が世界史や音楽に詳しいところや尊敬できるところは沢山あった。
友達が居なくても自分に起きた出来事を自分の力だけで解決できるところとか、真面目なところとか尊敬できるし、私は真面目になりたいと思っていたから好きになった。
だけれど、配偶者には妻の愚痴を聞いてくれる人は一人もおらず、私からダメ出しをされ続けた配偶者は内部崩壊した。

面倒くさいなー。
配偶者に対する私の感情はこれだけだった。
全然配偶者の事を心配していなかった。
私がこんなに頑張っているのだから、だったらお前も頑張れよと思った。
そのうち配偶者が薬を飲むかどうかはどうでもよくなってしまった。
私が態度を変えようと努力することは多少あったが、本当にわずかだった。もう沢山頑張ってきたからまあいいか、ただそれだけだった。
配偶者を追い詰めてしまったことに対して申し訳ないという気持ちは一切湧かなかった。

それから2ヶ月くらいすると、配偶者はなぜか元気になった。
私は配偶者が病気だったことも忘れた。
配偶者は、子育てするならいい環境で育てたいからマンションを購入しようと言い出した。
物件を何軒か見に行って、マンション購入を決めた。
決めた時、配偶者は少し感情がグラグラしているようだった。
グラグラしているのは一緒に暮らしていたからすぐに気づいた。
しかし、話を聞くのが面倒だったので、何にグラグラしているのか聞かなかった。
今思うと、住宅ローンを背負うのが不安だったようだ。
購入直前で不動産業者の不手際があり、どんな内容だったかすっかり忘れてしまったが揉めた。
交渉は私が一人で行った。
毎日今まで通り出勤して働いて、仕事中も通勤中もずっとつわりでトイレに駆け込みゲーゲー吐き続け、合間で不動産業者と交渉。
頭はパンパンだった。
既に手付金は支払済みで、購入キャンセルした場合は自己都合キャンセルとなり、手付金は全て返ってこない。
契約書を何度も読み直し、会社の先輩に相談しても見解は変わらなかった。こちらの優位に交渉して、少しでも仲介手数料を値切ろうと舵を切った。
結局、手数料を下げてもらうことで交渉は終わった。
交渉の一部始終、配偶者は傍観者だった。
交渉が終わった日、寿司をテイクアウトして二人でテレビを見ながら食べた。
「さすが!そういう強いところ、さすが俺の嫁と思ったわ。」
配偶者が笑顔で言った。
私は、配偶者が精いっぱい言葉を選んで私を褒めている事は理解できた。
しかし、私にとって今回やったことは私にとっての正義を貫いただけであり、配偶者の為では一切なかった。
コイツは何を言っているのだ?と思いつつ、
「でしょう。強い嫁は良いよね」
本心ではない笑顔で返した。



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