離婚することにしました。14

出産予定日2週間前の1月15日まで通常通りに出勤し働いて、産休に入った。

子供を育てることは必死で、その頃の記憶はどんどん忘れてしまうらしい。それくらい必死なんだそうだ、親は。
そう聞いていたが私は全く忘れていないから、書く。
私は帝王切開で子供を産んだ。
当初の出産予定日は2月3日だった。
その日は節分で、鬼が鬼を生むわ。とひっそり楽しんでいた。
出産後すぐに復職する予定で、妊娠が分かった段階で保育園探しを始めた。区役所の説明では、誕生が2月5日までであれば4月から保育園に入ることが出来るとのこと。
初産は大体予定日が後ろにずれると聞いていた。
そんななか、妊娠検診で逆子だと分かった。
逆子を直す体操を助産師さんが一生懸命教えてくれたが、まぁ子供が逆子が良いと思うのならそれも良しと言い訳し、逆子体操は一回もやらなかった。
帝王切開の場合は出産予定日1週間前に手術をするということで、1月末に手術日が決まった。
やった!すぐに仕事も復帰できる!
毎日毎日終わらないつわりで苦しみながら胸の下にある子供の頭を撫でて仕事をした。

手術日前日、産後は忙しくて外食も出来ないからと配偶者と義母の三人で上野にある高級レストランでランチしてから病院に向かった。
この頃の私はみんなと仲が良かったので、退院後は義母が手伝いに来てくれる算段になっていた。
手伝いの話が決まった時に配偶者は
『俺のかあちゃんは綺麗好きだから毎日掃除機掛けると思うけど気にしないでね。』
そう言ってきた。
なぜか猛烈にはらわたが煮えくり返った。
暗に私が綺麗好きではないと言っているではないか。
そんなに綺麗にしていたいのなら、お前が毎日掃除すればいいだろうよ。
なんでこのタイミングでこの発言をするのか。
どうしてこうも私の気持ちを考えようとしてくれないのか。
出産するのも手術するのも私なのに、この人はいつまで自分の母親を一番優先するのか。
以前私が入院した時も、憔悴している私が義母のお見舞いを断ったことに『母ちゃんが泣いているんだぞ!』と怒ってきたことまで思い出すほど、怒りがドン!と突き上げた。
だけれど、大イベントを間近に控えていたのでとにかくやり過ごした。
言いたいけれど言えない気持ちが澱のように更に溜まった。
私はつわりがひどくて、食べていない時はずっと吐いていた。
手術前日の病院の夜ご飯はとても少なく、夜22時以降は手術のために絶食だった。
手術室に入る直前まで、病室のトイレで何も出ないのに吐いた。


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