離婚することにしました。11

区がやっている40歳の子宮検診で引っかかった。
「腹の外側から触れる位に子宮筋腫が育っているのだけど、子供欲しいなら取らないと出来ないよ。うちでは手術できないし、大きな病院の紹介状書こうか?」
検診の医師が言ってきた。

私はずいぶん前から、その指摘されたでかい塊がおなかにあるのは知っていた。
仰向けで寝る時、おなかに手を当てるとゴツッと塊が当たるのだ。
ずっと宿便かと思っていた。
子供が欲しいとも思っていないし、子供を作るのか作らないのかを真剣に考えたことも、子供の事について配偶者としっかり話し合ってこなかった。
私がお母さんになることは全く想像出来なかった。

「作らないのと作れないのは違う」
子供を作ることが出来ない友達の言葉を思い出した。
とりあえずは配偶者に聞いてみるかと思い、電話を掛けた。
配偶者は、子供が欲しいと思っている事や筋腫が邪魔をするのなら大きい病院に行って診てもらってほしいと言った。
配偶者は子供を欲しいと思っていたんだ。
そのときに初めて知った。
私も少しだけ子供が欲しいなと思った。
紹介された大きい病院に行き、あれよあれよと手術日が決まった。
私はそれまで入院したことがなかった。
全身麻酔で腹を切られる恐怖や、大部屋での他人との入院生活とか、会社を1ヶ月休むための前倒し作業で追い込まれて、不安でいっぱいだった。

もうすぐ入院という時に配偶者と家でご飯を食べていた。
私は入院が不安過ぎてピリピリしていた。
配偶者の咀嚼音や引きづって歩く足音に、神経質な私は怒りが爆発しそうだった。
一度爆発したら、ずっと罵詈雑言を言ってしまいそうだった。
この気持ちを酔っぱらって何とか誤魔化せないものかと、酒をちびちび飲み続けた。

テレビを見ながら酒を飲んでいる時に
「俺の母親がお見舞いに病院に行きたいと言っているから病室決まったら教えていいか?」
配偶者は聞いてきた。
不安といら立ちで心が満タンになっていた私は、
さほど仲良くもない義母がどうしてお見舞いに来るの?
なんで?
という感情が溢れ出た。
「お見舞いに来てほしくない」
正直な気持ちを伝えた。

「俺の母ちゃんが泣いてたんだぞ!」
突然、配偶者が怒鳴ってきた。
配偶者に怒鳴られたのは初めてだった。
「手術するのは私だ!なんで貴方のお母さんの気持ちを優先しようとするの!泣いているって何よ!泣きたいのはこっちだよ!」
同じ勢いで怒鳴り返した。

結局、義母はお見舞いに来なかった。
私は手術前日から入院した。
その入院した日と手術日当日に友達のケイちゃんが会いに来てくれた。
私からのメールがあまりにも不安そうだったからと、会社を休んでわざわざ京都から来てくれた。
手術前日、これから起こる未知の恐怖で震えあがっていた私は、
よう!と彼女が病院に現れてくれた時は心の底から安心した。
配偶者も多分いたと思うけれど、そっちのけでケイちゃんと話した。
とにかく不安なこと、
同意書に麻酔が失敗したら半身不随と書いてあって怖くなったこと、
夜から絶食だけれど空腹に耐えられるか。
不安だと思っている事をとにかく捲し立てた。
ケイちゃんは面会時間ぎりぎりまで付き合ってくれた。
「明日また来るから~!」
ケイちゃんは笑顔で病院から去っていった。
私は一睡も寝れなかった。
ギンギンでバッキバキの状態で手術日当日を迎えた。

ケイちゃんは、面会開始時間になったタイミングで会いに来てくれた。
面会室でひたすらどうでもいいことを話した。
ケイちゃんは、私の脈絡のない話に嫌な顔もせずにひたすら話を聞いてくれた。
私を探していた看護師に私は捕まり、そのまま手術室に連れていかれた。
「ずっと待ってるから行っておいで!」
ケイちゃんは私に手をひらひら振ってくれた。
私は不安に押しつぶされ涙ぐみながら手を振った。

麻酔から徐々に覚めると、手術が終わって病室に戻っていた。
配偶者とケイちゃんがぼんやりと見えた。
声が出ない、口をパクパクしているのをケイちゃんが気付いて耳を近づけてくれた。
「熱いつらい」そう伝えると、
「ちょっと待っててね」
ケイちゃんはそう言い残して、視界から消えた。
配偶者が何か言っていたが全然耳に入らなかった。
身体が痛い、力が入らない、ケイちゃんがちょっと待っててねと言うから、ちょっと我慢して待っていよう。
きっと待っててには意味があるんだ、ケイちゃんが言うんだから。
麻酔が完全に覚めない私は子供のようにケイちゃんの言葉だけにしがみついて、ケイちゃんの言葉だけを信じて痛みに耐えた。
ケイちゃんが戻ってきた。
病院内の売店で冷えピタを買ってきてくれた。
看護師であるケイちゃんは、熱があるのは切ったところを治そうと頑張っている証拠、切断面は48時間経てば引っ付くことを説明しながら冷えピタを貼ってくれた。
私のような屁理屈タイプは、具体的な数値の提示が一番ありがたい。
しかも専門家のいうことだから、より理論的だ。
安直に大丈夫なんて言われたものなら、今苦しんでるのに大丈夫とはなんだよ!と怒りかねない。
「術後も無事に話も出来たし帰るわ、元気になったらまた遊ぼうね!」
ケイちゃんは、京都に帰っていった。


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