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甦りの地、熊野への旅~③ 速玉大社

熊野本宮大社から熊野速玉はやたま大社へは、来た時と同じ国道168号線を戻りましたが、途中立ち寄った道の駅で思いがけないものを目にしました。

思わず見上げる高さ

何やら高い標識があるので近寄ってみると、紀伊半島大水害の記録でした。
『平成23年9月4日 台風12号』
平成23年というと、東日本大震災があった年です。その同年秋にこんな大水害があったなんて、恥ずかしながら全く記憶にありませんでした。

最高水位8mとあるので、本宮大社も石段の途中まで水没したのでしょうか。近くには、被害の様子や幾人もの犠牲者が出たことが記された石碑もあり、当時の光景を思い浮かべてそっと手を合わせました。

水害時には恐ろしい姿になっていただろう熊野川ですが、普段はゆったりとした流れで、川の参詣道として世界遺産に登録されています。

世界遺産の碑 ”木の国”らしい佇まいが素敵

その昔高貴な方々は、本宮大社から熊野川河口近くにある速玉大社へ巡礼するのに、川舟を利用していたそうです。山や滝といった景色を眺めながらのゆったりとした川下りは、都人にとっても最高の一時だったことでしょう。

さて、現代に生きる我々はささっと車で移動し、速玉大社へ到着!

速玉大社参道入り口 平地のため階段はありません

本宮大社の重厚感とはまったく違う、朱色の橋と鳥居が華やかな雰囲気を感じさせます。朝から降っていた雨はようやく止み、境内の風景も十分に堪能できそうで嬉しくなりました。

大鳥居をくぐり、すぐ右手に現れたのは、八咫烏やたがらす神社・手力男たぢからお神社。手力男といえば思い出すのは、天岩戸開きで岩を放り投げた力持ちの神さま。(と書いているうちに、また戸隠神社へ行きたくなってきた)

八咫烏さんと手力男命が仲良く並んでいる

そしてその向かいにあるのがご神木であり、国の天然記念物にも指定されているなぎの大樹。樹齢は1000年とも言われ、高さ18m、幹回りは5mとか!

立派すぎて全景が納まらない梛(なぎ)のご神木

古くから熊野信仰のシンボルとされ『葉脈が強く切れにくい』ことから、大切な人との縁結びや、道中安全の印としてこの梛の葉を持ち帰るという習わしがあったそうです。

国宝が多数収蔵されている神宝館にも寄りたかったのですが、残念ながら修繕工事中でした。(令和5年6月現在は修理も終わり、開館しているとのこと)

そしてそれほど長くない参道の先に、大きなしめ縄が掛けられた神門が現れます。

神門
上の帳にも、梛の葉と八咫烏が描かれています
速玉大社社殿

神門の先に広がっている社殿の美しさといったら!
雨上がり効果で、木々のみどりも社殿の朱色も一層鮮やかになり、まさに壮麗という言葉がぴったりです。社殿を眺めているだけでありがたさで胸がいっぱいになります。

ここ速玉大社では、熊野速玉大神(イザナギ)と熊野夫須美ふすみ大神(イザナミ)の夫婦神を主祭神とし、他16柱の神々を祀っています。海幸山幸で有名な山幸彦もいらっしゃる。

いまは速玉大社に祀られている熊野の神さまですが、元々は同じく新宮市内にある神倉山に降り立ったそうです。その後しばらくしてから現在の地に宮殿を建てて遷座されたことから、神倉山の元宮もとみやに対してこの地は新宮しんぐうと呼ばれるようになったのだとか。

ふと、授与所でいただいた案内紙に目を移すと、鎮座地:『和歌山県新宮市新宮1番地』とあり、まさに新宮のまちは速玉大社を中心として歴史を重ねてきたのだなと、ひとり納得しました。

社殿前にある柑橘の木 和歌山といえば柑橘も有名
苔にびっしりと覆われた大きな木

のんびりとお参りして、熊野の旅2日目はこれにて終了。
熊野三社の参拝を終え、なんとも言えない満足感に包まれながら、その日の夜は眠ることができました。

最終日は新宮市内をぶらりとする予定です。
はたして、難所の神倉神社へ登ることができるのか?!

____つづく


**熊野の旅シリーズ**

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