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ミステリ作家になるには?

 先日、わけあってスウェーデンミステリ執筆講座に参加しました。自分でミステリを書こうとたくらんでいるわけではないのですが、仲間と主催しているスウェーデン・ミステリフェスティバルのイベントのひとつとして企画しました。講師は有名ミステリ作家Dag Öhrlund氏で、金・土・日の三日間の濃密なコース。受講者の大半は私も知っている人で、地元の新聞記者、フリージャーナリスト、すでに自費出版でミステリを出している人たちでした。毎年多数のミステリ作家がデビューするスウェーデン、私の周りにもミステリを書いている人、書きたいと思っている人が何人もいます。専業作家を目指しているというよりは、普通の仕事をしながら余暇を利用して書く、定年後の趣味として書くパターンが多いですが。普段の仕事や暮らしを通じて、自分が情熱を傾けている社会問題を語りたいという気持ちが強いのでしょう。
 
講師のÖhrlund氏は共著・単著を含めると、人気シリーズを4つも並行して書いていて、その多くにサイコパスが登場するのが特徴です。いちばん古いシリーズはなんとサイコパスの連続殺人犯が主人公で、最新のシリーズはサイコパスの女性裁判官が主人公。どちらもぶっとんだ内容で、エンターテインメント度が高いです。これほど高名な作家さんが執筆講座をやるのは珍しいことで、「これは参加せねばもったいない」と思った次第です。
 
講座では三日間、様々な<練習問題>に取り組みましたが、私にとってはかなりレベルの高い内容でした。たとえばある宿題は“明日までに完全犯罪プロットを考えてくること”。え、明日までにって? 夜中まで必死で考えてもなかなか良いアイデアを思いつかず、日本の家族にも連絡してアイデアを募集しました。歯科医院を営む妹からは「アマルガムとか?」というアドバイス。アマルガムは人体に悪影響を与えることで有名ですが、致死量となるとどのくらい飲ませる必要があるのでしょうか。古い詰め物から滲み出してくる程度だと何十年もかかりそうな気がします。なお、プロット的には残念ながら、現在ではスウェーデンでアマルガムの使用は禁止されています。植物園の名誉館長を務める父からは「千年前のペルシャで、毒性のあるシャクナゲの蜜を吸った蜂の蜂蜜を食べた人が死んだ事件があった」というアドバイス。毒蜂蜜殺人を遂行するためには、まずは郊外に広い庭のある家を購入し、そこにくだんのシャクナゲを植え、近所の人には新しい趣味なんですとか言って養蜂を始めなければいけない。(そのさい近所にほかにも養蜂をしている人がいると、そこの蜂蜜にも毒が入ってしまうので注意するよう、父から助言あり) そこまでやっても、運が悪ければただの美味しくて無害な自家製蜂蜜ができあがってしまうというリスクもありますし、うーん完全犯罪、なかなか難しい……。
 
アイデアを考えているうちに、これまで自分が訳してきたミステリのプロットが次々と頭に浮かびました。たとえばホーカン・ネッセルの『親愛なるアグネスへ』(『悪意』に収録)などは、今思うと見事な完全犯罪でした。『殺人者の手記』もこれでもかというほど手の込んだ完全犯罪でしたね。改めてスウェーデンミステリの巨匠への敬意が湧きました。
講師による補足説明では、完全犯罪というのは「そいつがやったのは明白でも、証拠が掴めなくて有罪にできなければそれも完全犯罪になる」とのことでした。“疑わしきは罰せず”が徹底されているスウェーデンでは、冤罪が(おそらく)ない代わりに、無罪放免される犯人が多いことが問題です。せっかく犯人を逮捕しても、裁判で無罪になってしまうため、嫌になって辞めてしまう警察官が多いとも聞きます。レイフ・GW・ペーションの作品を読んでくださったかたは、何度もそういうパターンが出てきたのが記憶にあるでしょう。現実世界では、探偵さんが犯人を見破るだけでは事件解決にはならないのです。
 
練習には<2人1組で会話文を考える>というものもありました。他の人と一緒に考えることで、どんどんアイデアが膨らみ、物語が進化していくことには本当に驚きました。独りで考えこんでいるのとは全然違います。なるほど、2人組の作家が多いのはこのせいか……と実感。面白かったのは、“売春宿の経営者と従業員の面談の会話を考える”という課題。スウェーデンでは買春は禁じられているので、実際には表向きには1998年以来、売春宿は存在しません。なので、もし現代のスウェーデンに売春宿があったら――という実験的な内容になりました。受講者は五組の男女のペアに振り分けられましたが、蓋を開けてみると、五組中五組とも、女性が上司、男性が部下という構図。そこだけ見ても、非常にスウェーデンらしいですね。5組とも上司は売春宿の経営者で、部下は3組が売春夫、2組がポン引き。どのペアもポリコレ色の強いスウェーデンをコミカルに描き、北の田舎町の売春夫が客が70代以上の女性ばっかりだということに不満を募らせるとか(従来のステレオタイプなら男女が逆ですよね)、スウェーデンらしく「性差のない職場」を目指している売春宿ではお客も売春婦のほうも相手の性別を選べなかったりとか……ポリコレの進んだ先進国スウェーデンであるべき売春宿の姿(?)を模索していました。その線でいくと、ごみの分別にやたら厳しい売春宿、なんていうのも考えられそうですね。
 
さて、三日間のミステリ執筆講座を受講した後遺症としては、普段の生活でも常に「あ、このシチュエーションってもしかしてうまくいけば証拠を残さず相手を殺せるかも?」と考えるようになってしまったこと。それに、ちょっと変わった人に会うたびに、「この個性、キャラクター構築に使えるかも!」と嬉々としてしまうこと。もし皆さんが今、殺したいほどむかつく人がいたり、一緒にいて強いストレスを感じるような相手がいるならば、ぜひとも頭の中で完全犯罪プロットを妄想したり、読者が大喜びしそうな嫌~~なキャラクターを考えてみてはどうでしょうか。日常が少し楽しくなるだけでなく、うまくいけばミステリ作家デビューできるかもしれませんよ!


 

実技の授業で(?)講師の首を絞めようとする執筆者。
でも肩もみしてあげているようにしか見えない……。実技は落第ですね。

文責:久山葉子
1975年生。神戸女学院大学文学部英文学科卒。2010年よりスウェーデン在住。著書に『スウェーデンの保育園に待機児童はいない』(東京創元社)。訳書に『影のない四十日間』(オリヴィエ・トリュック)、『こどもサピエンス史』(ベングト=エリック・エングホルム著、NHK出版)、『メッセージ トーベ・ヤンソン自選短篇集』(フィルムアート社)、『許されざる者』(レイフ・GW・ペーション著、創元推理文庫)、『スマホ脳』『最強脳』(アンデシュ・ハンセン著、新潮新書)、『北欧式インテリア・スタイリングの法則』(共訳、フリーダ・ラムステッド著、フィルムアート社)など。


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