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欲しい時に「ある」ことの大切さ

全社行事としてとても重要に捉えている社員総会が終わり、「総会が終わったら!」と後回しにしていたことに追われて、気がついたら1年の半分が間もなく終わる、、
総会の前から、こんなに後回しにしてもできないんじゃないかって薄々気づいていたけど、まあ本当にその通りで溜めすぎていた…絶賛、ちょっとずつ、タスク切り崩し中。。

なのでもう、noteのネタは何も思いつかず。あと2時間ではろくなものは書けない。
最近、社内でたびたび話している、昨日も後輩に話した、仮説でしかないけど感じていることを簡単に言葉にしておこうかなと。


みんなして「伝えたい」時代

正直なところ、私が発信しなくてもコンテンツは溢れている。広報のノウハウは本当に増えてちょっと検索すれば手軽に手に入るようになったし、広報職についている人のSNSアカウントももはや覚えきれないくらいある。

発信と共感からファンを増やして接点(チャンス)を増やすやり方が定着し、手法として当たり前になったからもあるだろう。

1年ほど前に、「伝えたいと思っている度合いで、コンテンツの熱量と届く先も変わってしまう」という話を書いた。


コンテンツの熱量で差がついてしまうのは、前提としてコンテンツが横並びに見えているからではないか、との仮説を持っている。

しかも、今はこの時以上に、「伝える」ことに対してシビアな空気を私は感じてしまっている。みんなそれぞれ、膨大な情報の海原に溺れ、もはや飽きているような感じ。

なぜだろう。世の中が変わったせいなのか、私の気持ちが変わったのか。
頑張って書いたサービスリリースの記事も、人命が脅かされる戦争の前には小さすぎるし、経済を小さくさせる行動制限の前には無力に近くなる。最近では、天災、資源枯渇、国際情勢含めたエネルギー危機、円安や物価高なども大事な話だ。

まだ整理しきれてないが、生きる土台すら保証されていない、安心しづらい環境になっており、そんな社会の空気は大きい影響がありそう。

あともう一つは個人ひとりひとりは違う、みたいな考え方が広まったことかなと思う。
このような個性を大事にする考え方から、それぞれの価値観に合わせた対応やレコメンドが良しとされるようになり、興味は多様化、マスに刺さる情報が本当に減ってきた。わかりやすいのは、同じ世代の皆が「あれは流行ったよね」と共通認識を持てるヒット曲が最近はなくなったみたいな、あの感じに似ている。


「自分のタイミングで知りたい」

知りたいことが多様であれば、知りたいタイミングも多様になっているのだろう。
そのせいか、「バズ」が前ほど効果をなさない気もしてきている。

相変わらず、広報職に「バズを作ること」を求めてくる不幸な場合も多いらしい。
普通にやってバズを作るなんてそもそもが大変でだいぶしんどいはずなので、そこもつっこみたいところだが、ここで言いたいのは、バズ自体はなんとかつくれても、前ほど効果をもたらさなくなってきているのでは、という個人的な見解である。

なぜならば、知りたい内容も、知りたいタイミングも、多様になっているから。
要は、自分のタイミングで知りたいからである。興味がない内容を目の前に置かれても、普段から情報に溺れすぎていて何も感じない、なんてこともありそうだ。

ではこれから大事になるのは何かというと、欲しい時にそこにあることではと感じている。

例えば企業のブログなら、「この会社に入りたいな・取引したいな」と思っていただけた時にしっかり読んでもらうことが大事で、バズがなくてもそれだけで価値があるのだ。もちろん、別の視点でいうと、新しく知ってもらう人を増やすという意味ではバズは重要なので、まったく必要性がないわけではない。

数年前に書いた、以下も参考にしていただきたい。「知られる」は2つの意味に分けられる話である。


また、置いておくこと、場所を作って存在しておくことの大切さは、1年くらい前にも書いた。置いて動かしておき(放置していると「いない」ことになるため)、存在を伝えることは最低限必要になってくる。


どちらにしても「伝える」ことはどんどん大変になっていると思う。価値観の多様化や、個人それぞれを大事にする空気感ともに。

簡単に書きたかった割にはまとめるのが重かったが、この中で私はまだ「伝える」「コミュニケーション」の仕事を続けていく。さらに時代も常識も空気感も変わるはずで、学びがあったらシェアしていきたい。


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