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いま伝えていることは、伝えたいと思っているか?

今月は広報っぽい仕事がとても多かった。広報だから「広報っぽい」ってのは変なんだけども笑。(普段は人事っぽいのも多いのです)
プレスリリースもしたし、メディアアプローチもしたし、記事編集もしたな。PRLTにも出させてもらった。


誕生月でもあって、そこそこいい歳になり、自分の、広報としてのバリューにも向き合った1ヶ月だった。

広報という仕事のバリュー、そして自分という広報職の人間としてのバリュー。両方向き合って見えてきたことがある。

それは、伝える役割の人が「伝えたいと思っているかどうか」ということ。
そして、選び取る側の相手が、リソース提供してもよいと思えるほど「共感」してもらえるものであるかどうかということ。


自分の正義を言い切れているか

SNSでのお仕事報告、プライベートの共有。はたまたプレスリリースや自社紹介。
SNSでもメールでも使い方は人それぞれ。ただ、これらで飛び交う投稿は、それぞれの「正義」ではないかと感じている。

みんなそれぞれ正義を持っている。そして、その正義を皆が宣言する・広報する時代。
そして知っておくべきは、この時点で既にコンテンツは溢れているということ。

コンテンツが溢れる中で、伝わる情報とは何なのか。

それは論の良し悪しというよりは「熱がこもっているコンテンツになっているかどうか」では、というのが私の仮説である。
近い内容でも、伝えたいと思っているかの勝負になっていて、熱量により、伝達率や開封率に差がつく可能性が出るということ。すなわち、伝えたいと思っていないだけで読まれない可能性が上がってしまう。

熱量があれば、その人もしくはそのターゲットにどうやったら届くかを考え尽くし、手を尽くし、言葉を尽くすはず。それらの努力により、読まれる確率が変わってくることも含む。


正義をただ伝えるでは足りない

近い正義を持っている人にいかに出会うか、はとても大事だ。
ただ、すぐに出会えるわけではないのはどの人も知っていることだろう。快不快を感じる価値観も細分化しているし、正義に対してグラデーションがあり、タイミングもある。

そしてこちらの正義に対して共感してくれた時には大概の場合、相手はリソース提供をしてくれるので(時間を使う、お金を使うなど)それを使っていただくことは踏まえておかなければならない。

要は、ただ自分が信じている正義を押し付ければいいわけではない。最終的にその正義を選び取るのは相手である。

多くの人に選ばれる正義には多くの要素が含まれる。概念に共感ができて、言葉が適切で、「リソースを使ってもいいかな」と呼び起こす熱量がある。この辺は社会性、倫理観、コミュニケーション力などにも通ずるものがある。総じてPublic Relationsの力と言えるのかもしれない。

私の持つ正義に対し、思ったよりも共感していただいたことがあったのでその時のことを思い起こしてまとめてみた。
共感していただける方にはしていただけるだろう考え方に対し、私が(自分との折り合いがやっとついて)熱量を持って伝えることができるようになったのがつい最近。なので、最近になって「伝わった」と思えたのであろう。

最近の情報発信の発見をまとめてみたが、引き続き広報にかかわらず、情報発信全般で発見があればまとめるようにしたい。

#広報 #PR #PublicRelations #情報発信

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