見出し画像

広く報せるために社内広報を優先し、人事的動きに徹している理由

今日もとてもやりきった。もう記事は書くの無理かもと思うくらいにやりきった。。
最近社内ではカスタマイズ性の高いことをしているから、逆に何をつぶやけばいいのかわからなくなっていて。

そんな感じで今回「も」、記事のネタが全く思いつかず。この記事を約2時間ほどで仕上げようとしている。

それでも言語化はやめてはいけないと思っているから、このnoteの習慣は半ば意地で続けている。ただ無理矢理捻り出している記事なので、最近のnoteや言語化は、本当に小さい粒度(ないよりマシ、くらいのもの)になっている気がしていて、「他の広報の方もおっしゃっているようなことで目新しくないのでは?」「果たして私ならではの発見になっているのかな?」と一人で悩むこともしばしば。

まあ、小さいことでも記事に書くことで、自分の中で言語化できて説明もしやすくなるし、トレーニングになるから記事を書くスピードも上がっているはずなので、続けて良かったと思うことは多いけど。
定期的に、読者の方から気にしていただけているなというのも感じられるし。(これが毎月・定期じゃなかったら、そんなに気にしてもらえないだろうなって思う。最近twitterもあまりポストしないしな、、)

そんな感じでぼんやり、今回書くテーマを考えていて、よくよく考えると、「私がなぜ、社内広報や人事っぽい動きをしているのか」自分自身の広報スタンスをはっきり書いてなかったなと思ったので、改めて書こうかなと思えた。


8年経っても変わらない、広報の軸

昔に考えていたことを自分のエッセイっぽく書いた記事がある。定期的に月1noteをしたためはじめた頃にまとめたから、記事を書いたのはもう4年半前か。
引用したのは、今の会社に入社する前後の話なのでさらに遡り8年前、2014年頃のこと。

広報立ち上げと、コンプレックスであるメディアリレーションがやりたくて転職したものの、「うちの会社はここがとてもいいので取材してください」と、お世辞でも外で言える状態ではなかった。それどころか、各人の会社に対する認識がバラバラで、会社説明すらままならない。メディアリレーションの優先度を下げ、中から組織を整える方が将来的に重要だと直感し、社内広報に着手した。嘘がつけない、納得いかないものは自慢できない性格が災いし、幸いした。
そんなこんなで4年近く経った今、世の中は変化し、広報の世界も変化した。個人がメディアになり、マスメディアだけではない情報流通が当たり前になった。ベンチャーやスタートアップの勢いが増し、広告コミュニケーションが弱まり、その他様々な理由から広報を置く企業が増え、「広報」という肩書きの人が増えた。そして、働き方改革の風潮で、会社の中にいる「社員」ファーストな考え方が広がってきた。
私はその4年弱、会社の中で社内広報活動をしながら、社外の勉強会に行き、色々な人に会い、事業会社において何が広報の本質なのかと探求してきた。広報という職種に当時求められていたこととのギャップに悩むことは多かったが、その度に社外の広報の先輩方に励ましていただき、企業活動の本質に立ち返るたびに自分の活動に対する妥当性を再認識していた。
いずれも「広報と関係ないことは、思いがけなく時を超えてつながる」より


今の会社に入社した8年前、2014年からこの考え方は変わっておらず、むしろ経験と共に確信を得ているし、時代もこのやり方を支持している追い風に感じている。


あれだけ反応がなかったのに「一気に」書かれた

このように考えるようになったのは、前職での広報の経験が大きい。

今の会社よりよっぽど大きく、上場もしており、ほぼ一人で広報を担当していた時期もあって幅広く貴重な経験をさせていただいた。
組織の変化も激しく、数年いたら数倍の社員数になり、メイン事業も変わったりして。この時の経験がなかったら、中小企業が成長した後の想像もつかないので、今、的確な広報対応ができないだろうと思っているくらい。

当時体験したのが、「どれだけ言い回しを工夫してアピールしても、実績(当時は上場企業だったので決算なども含む)が良くなかったら意味がない」こと。
なんとか工夫して広報視点でのアピールをいろいろやっていたけど、その時はほぼ何も反応がなく、その後悪い実績が出た時に一気に悪く書かれ、それを見た時に広報の限界を感じた気がした。広報以前の部分も大きいし、多分、「そのもの」をちゃんとしないとダメそうだ、と痛感した。

要するに、業績面でも、それ以外でも、「良い」成果が出る会社にすること。見た目を飾るのではなく。
インナーマッスルを整えること、ともよく呼んでいる。

今の会社に入社した当時は、このくらいしか見えていなかったけど、8年間この方向性でとことんやってみて、だいぶ解像度が上がった。
苦しむポイントも、うまくいくロジックも。結果、やっていることはどんどん人事っぽくなることも。

この記事にも、前職から今に至る考え方が少しだけ書いてあった。


一番身近な人が、自慢したいと思えるか?

今の会社の広報でまず着手したのは、認識を出し合ってスローガンを決めること。
これがないと広報の際にアピールの表現に困るというので取り組んだが、今考えたらすごく理にかなっていた。たまたまだけど。

認識を遠くに置く(スローガン)ことでお互いを否定しないし、共通言語がなかったので認識を出し合ってシェアしたことも意義があった。
自分ごととして考えてもらう意味でも、ワークショップで巻き込みでやったこともよかった。
(この時、最終確認として他の若手メンバーなどにも意見ももらったので、それもよかったなと)

会社を構成するひとつであり、最もと言っていいほど身近なステークホルダーでもある「社員」。社員にとって満足感が得られる会社になれば、広報において協力も得られやすいし、「言いたい!」という気持ちも高まって、お取引先の方とのコミュニケーションなど、小さな所作に必ず現れる。
それは8年後の今、恩恵をとても感じている。(そうなったのは広報・人事のおかげだけでなく、社内整備が進んで働き続けやすくなり、それもあって会社といい関係が続いているメンバーが多くなったのもある)

基本は社内に向けての広報に注力し、ブログ発信などの社外広報を最低限やっていたが、たまたま一時、社外露出が多かったタイミングがあって。2019年のこと。
有名な媒体に載ることで社内メンバーが鼓舞されるなどの効果を目の当たりにした。この時の話も記事にまとめている。


社内広報観点で社外露出を考えることはあまりなかったので、この時を機にそのような効果も考えられるようになった。
ただ、広報が考える「掲載までのしんどさ」「メディアの大きさ」が、メンバーの喜びと必ずしも一致しないとも思っている。こちらがすごい苦労して載せても、社内広報的にはあまり効果がないこともあるので客観的に見極めできると良い。

広報の手法では「インナーマッスルを良くする」ことに限界を感じてきたのもこの頃。たまたまタイミングがあり、人事観点からの業務を行うようになって、自分の知識の正誤を確認しながら、手法がかなり広がった。

翌年からコロナ禍になり、世の中に合わせて手法の変更を余儀なくされ、かつリモートという難しい条件で成果を求められる状況に。
けれども数年、組織のインナーマッスルに下地を整えていたこと、かつ人事的手法での解決策を得ていたことで、かなり困難な状況ながらもスムーズに良い方向にシフトできたと思っている。

社内広報でアプローチしていたこともそうだし、コミュニケーションを喚起したこともそうだが、一番大きいと思ったのは数年来「社員が自慢したいと思う会社にする」アプローチをしていたこと。
何か良くしたい、しなきゃ、と思うメンバーが多かったので、それぞれに努力してくれていたし、期待値を高めてもしっかりついてきてくれていた。困難な状況に向き合って覚悟を持った結果、所作や考え方が明らかに変わったメンバーも。

あれこれやっているので、もはや全ては語りきれない。
しかも1つずつは意外と小さいことで、ただ重ねていっている量がたくさんなだけかなとも思う。

今やっていることは広報効果を高める下地づくりだと思っているけど、もはや人事っぽさの方が広報には大事じゃないかとすら感じている。


相手はコントロールできない、でも期待を持って握りに行く

ただ、私は人事ではないなといつも思うのは、「情報の受け渡し」という広報の発想を持ち込んでいること。
情報を言葉にして伝えること、期待値を添えて。そして受け取った相手の認識を確認し、もちろん相手はコントロールできないものだけど、できるだけ握りに行くこと。
この延長で、月次報告会などの社内広報も、研修運営もやっている。あまり多くないけど窓口対応も。

思いを持ってやっているのでまだまだ書きたいことはあるが、残念ながらタイムオーバーなので、また小さいテーマを別で言語化したい。

ちなみに昨年に会社のブログでやってもらったインタビューにも、今回書いた発想のことをエピソードとともに書いてもらっているので、合わせて読んでいただけると幸いである。


#広報  #PR #PublicRelations #人事 #HR #HumanResources #マーケティング #Marketing #社内広報 #インターナルコミュニケーション #InternalCommunications

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?