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広報と関係ないことは、思いがけなく時を超えてつながる

昔から本を読むのが好きだった。中高一貫校で図書委員を毎年務め、いくつかなりたかった職業の中のひとつに司書があった。世界観のある文章、挿絵、装丁…本というモノが好きだった。
同じくらい、インターネットも好きだった。それまでゲームが大好きだったのに、インターネットとパソコンが来た瞬間全部インターネットの時間になった。下手ながら絵や文を書き、自分のホームページに載せ、誰となく見てもらおうとしていた。

この時はまだ、広報になりたいとは思っていなかったし、職種自体も知らなかった。

2005〜2009

大学は図書館情報学について学ぶことに。図書館情報学は、メディア論とはまたちょっと違う、情報活用のための情報分類や蓄積、検索にフォーカスが当たった学問。インターネットも範囲の一部に入る。ちょうど「情報はGoogleのロボット検索で探す」が当たり前になりつつあったころ。卒論は、インターネットでの情報探索をテーマにした。本が好きであることとはまったく異次元で、奥深くておもしろかった。

そのころはmixiが流行っており、私は趣味にちなんだ小さなコミュニティをやっていた。小さいながら人と出会い、人のハブになり、それが当時はとても楽しかった。気分屋で飽き性でマメでもないので、最終的にはコミュニティの発展に悩み、運営は向いてないなというのも学んだのだが。

その時に知り合った方に、「書く文章が詩的ですね」と言われたことがある。まあ、当時はもっと、わざと自分しかわからない、もったいぶってぼかしたような、若気の至りとも言える書き方をしていたから余計に。でも、それから10年ほど経ち、何らか人の心に引っかかりを作る仕事になぜか就くことになり、この特徴もちょっとは活きているのかな、と思える。

2009〜2014

社会人スタートは自社WEB担当(コーディング)。広報担当の横についたことで、はじめて広報という職種を知る。
今考えると広報業務かもしれない雑用もよく引き受けた。報告フローは内容によって上長と広報担当と2ルートあり、新人らしい「ちゃんと報連相しなきゃ」との思いが溢れメールは長文に。この時、ロジカルな文章の書き方は鍛えられた気がする。

しばらく広報担当の横でプレスリリースのWEB化をやっていたが、慣れてきて「既に決まっている文章をWEBにする作業」と感じるようになった。もちろん、この作業が広報活動でいかに重要かはわかっていた。ただ、プレスリリースの文章はどう決まるのか、上流の世界をもっと見たくなったのだ。
WEB担当は数年経験し、ディレクションと呼べそうなこともやってやりがいも感じていたのだが、コーディングへの興味より、広報文章がどうしてこうなるかの興味の方が優ってしまった。

そして流れ着いた広報という仕事。既に着任していた広報担当はコミュニケーション力が高く、メディアリレーションで取材をよくとってきていた。私はその取材引き合いを最大化させるための社内調整が中心、時々プレスリリースやブログを書く程度。外にもあまり出ず、地味なことを一手に引き受けていた。
社内にいても、広報は面白いとすぐわかった。また、情報を扱う仕事だとわかった瞬間、大学で学んだ情報活用の発想が活きた。だが、コミュニケーション力のなさから業務中、何回か広報は向いていないと言われ、とても落ち込んだ。

2014〜2018

広報立ち上げと、コンプレックスであるメディアリレーションがやりたくて転職したものの、「うちの会社はここがとてもいいので取材してください」と、お世辞でも外で言える状態ではなかった。それどころか、各人の会社に対する認識がバラバラで、会社説明すらままならない。メディアリレーションの優先度を下げ、中から組織を整える方が将来的に重要だと直感し、社内広報に着手した。嘘がつけない、納得いかないものは自慢できない性格が災いし、幸いした。

そんなこんなで4年近く経った今、世の中は変化し、広報の世界も変化した。個人がメディアになり、マスメディアだけではない情報流通が当たり前になった。ベンチャーやスタートアップの勢いが増し、広告コミュニケーションが弱まり、その他様々な理由から広報を置く企業が増え、「広報」という肩書きの人が増えた。そして、働き方改革の風潮で、会社の中にいる「社員」ファーストな考え方が広がってきた。

私はその4年弱、会社の中で社内広報活動をしながら、社外の勉強会に行き、色々な人に会い、事業会社において何が広報の本質なのかと探求してきた。広報という職種に当時求められていたこととのギャップに悩むことは多かったが、その度に社外の広報の先輩方に励ましていただき、企業活動の本質に立ち返るたびに自分の活動に対する妥当性を再認識していた。

もともとの自信のなさや焦りもあいまって、自己研鑽に興味があるのだが、広報としての専門知識向上も、信頼関係の構築も、結局自己研鑽と大半は重なる。ネームバリューという後ろ盾がないからなおさら。だから苦しく、楽しい。広報の方ならおわかりいただけると思う。

そして、さまざまなタイミングが重なり、広報観も少しずつ発信できるような心持ちになってきて、今に至る。

すべては広報という仕事につながる

「広報は向いていない」の言葉は今でも時々思い出す、そして今なら言葉の意味がわかる。SNSが普及していない、マスメディア中心の広報スタイルが定番のあの当時のままだとしたら、きっと私は広報を続けていられなかったと思う。
引っ込み思案な広報でも、他の特性で戦う術が得られる世の中になったのだ。とてもありがたい話である。

何より、広報という仕事に辿り着いたことも奇跡だと思う。
もともとそんなに人を割かない職種である広報に辿り着き、この職種に魅せられ、今なお続けられることを噛みしめている今日この頃だ。広報業界に向けて何かできないかと、考えるようになった。

いろんな人に会いたいくせに気にしいで、コミュニケーションにひたすら時間がかかるとわかったのは、ごく最近。だからコミュニティ運営はしんどくて続けられないんだろうなとも。コミュニケーション力の高い方が多い、広報ネットワークを泳いでみたからこそ自覚した。
広報業界の貢献の仕方のひとつである、広報コミュニティが運営できないなら、違うもので広報業界貢献をしていくしかない。

そしてこうやって、人生ぜんぶコンテンツとして考えてきたことを、どこかに少しは貢献することを期待して、広報の考え方を発信することにしている。貢献というとおこがましいけど、発信していると、私の考えていることは意外に、分野と分野に挟まれた隙間の部分な気がしており、書く意味はあるように思っている。

この歳になってどんどん、過去の関係なさそうなことがつながっていく。広報が人とのスキルに重なる所以だ。これからも、また別のものが思いがけなくつながっていくのかもしれない。

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