北海道と福岡を行き来して気づいたこと


北海道出身の私と福岡出身の私。隙を見ては地元に帰りたい夫婦です。
去年は北海道に5回、福岡には2回ほど帰りました。

一度、神奈川の家から福岡へ行き、その足で北海道へ行き、家へ帰るというぐるりと少し日本を周り、プチ日本一周の気分も味わいました。そんな移動中も、「意外と近いね」などと気楽に笑ってられるので、良い夫です。


今年は”帰る”という概念を超え、「回数なんか覚えてないわー!」っていうぐらい北海道を行き来していくぞという気持ちです。

地元から出たいと思っていたのに

否応なく飛ばされた転勤によって東京に住んだのもあってか、北海道の恋しさは人一倍ですが、元を辿ると、地元である北海道の小さなまちからは、早く出たくて出たくて仕方がありませんでした。

札幌へ行って、バリバリ働き、自分の可能性を広げたい、その一心でした。

ここには何もないと思っていたから。

そんな反発心を抱えていざ札幌で暮らし、はたまた東京で暮らすことになり、求めていた可能性だって無限大、ここにはなんでもある!と思っていたはずなのに、今や地元にたくさん帰りたいという。随分と矛盾しています。

矛盾は解決しないまましばらく経って、ふとこの間帰省した際、しんしんと雪が降る中、ぽつんと一人雪を眺めながら考え事をしていた時に、なんとなく気づいたことを書いてみます。

ただ、暮らしを選びたかっただけ。

小さい頃は限られた世界の中で生きていて、親に守られた状態で、限られたお金と限られた場所で、限られたことしかできないのが、無意識に当たり前の世界だと思っていました。

遊ぶ場所はいつだって似ていたし(それでも友達と物語を考える時間は楽しかったけど)、自分が手を伸ばせるお店は限られているし、行く場所だって自力で行けるところは限られて、遠くへ行くには親に車を出してもらうしかありません。

家での暮らしも親の機嫌や感覚が第一。家の中で毎日のように夫婦喧嘩が繰り広げられていても、うまく対応できる術もなく苦しいだけです。学校だって、息苦しいというのに。

そうしてここ以外のどこか、を自然に求めるようになりました。ここに何も無いのではなく、自分が何もできなかっただけなのかも、と今になって思います。

大人になって

少しだけ出来ることが広がり、そして広がってみて初めて楽しめるものが地元にはたくさんあるのだと知りました。

昔からある喫茶店、大して興味もなかったはずのお茶屋さん。札幌のお店が気になれば、自分で切符を買ってひょいと飛び乗れば一時間半ほどにある。今だったら、東京だって近い存在です。

仮に本当に何もなかったとして、自分が望んで動き出せば、小さくても何かを生み出すことだって今はできる。かもしれません。

もしかしたら、子供の時だってそうだったのかも…。

***

今は、都心からも空港からのアクセスが良く、少しだけ離れた穏やかな街で暮らしていて、自分で選択できることを大いに楽しめています。あんなに遠くて恐ろしいところだと思っていた東京だけど、昔ほど距離を感じずに、北海道へだって難なくぴょんと帰れます。

それの、なんと自由なことか。


なんだかうまく言えませんが、そんなことをぼんやり思いました。


自分の今の「しっくり」に目を向けて、日々選択していって、今年もたくさん帰りたいです。

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