きたふくバル___190602_0204

”特別”じゃなくていいから来てほしい、と思ってつくった場所のこと

2月にはじめて、「みんなが挑戦出来る場所」であり「みんなが集まれる場所」をつくりたいと思って、一日限定のカフェという場所をつくった。

たくさんの人が来てくれて、たくさんの人が繋がり、楽しかった。

5月に再び、今度は「バル」と名前を変えて場所をつくった。(名前に深い意味はなかった)

「誰かが居心地よくいれる場所」を作ってみたいと思っていて、じゃあまずはやってみよう。とやってみたことだった。

そこにはあまり、崇高な思い入れはなかった。単純に、いつかの自分がほしかった場所だったから、自分もあったら嬉しいなと思ったから。

居心地のよい場所というのは、私の中では「特別な人じゃなくっても、なんとなく居たいなって思える場所」であることだ。

ちょっと昔の話

私は昔からどうにも自信がなかった。

とびぬけた可愛い容姿や運動神経、一目置かれる学力、クラスの笑いを誘うお調子者…。

そんな、なにか秀でたものを求められるような気持ちでいた。それでも私にはそんなものはひとつもなかった。

あまり馴染めないクラスの子たちと話すときも、発言に自信なんかないし、発言することで注目なんか浴びたくなかったのでひたすら笑って相槌を打っていた。

大人になってからも、大人数の集まりは苦手だった。(人と話すことは、大好きなのですけれども)

始めましての人と話すときはいつだって自信がなくて

なにか面白いことをやっていなければ、なにか秀でたものがなければ、話し方がうまくなければ…でも、私には何もない。

そんな風にぐるぐる考えては、ありきたりなことしか言えなかった。

それでもここでは

今振り返ると、何もない自分を受け入れてほしいと、いろんな人に甘えて生きていたなとも思う。

それでも、ひとつぐらい

「特別ななにかがなくったて、ここにいてもいいんだよ」

と笑いながらドアを開けて待っている場所もあってもいいかなと思った。

それぞれの好きなことを思い切り叶えられたらいい。上手下手とか、すごいすごくない、なんてどうでもよい。それぞれの「好き」に優劣なんかないし、そこはいつだって平等でありたい。


私がほしくてほしくて仕方がなかった場所をつくりたい。

2月に開いたとき、「私も、こういう場所が、ほしかったんです」とはじめましての人が言ってくれて、本当に本当に嬉しかった。

その子は5月にも来てくれて、今ではたいせつな友達。


また夏になったら、すてきな場所に出会えたら

「特別じゃない場所」を開こうって思う。


いつかの自分がほしかった場所に、少しでも近づくように。


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