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【古性のち 自分史】#2 はじめての集団生活と折り紙 episode2

「幼稚園には泣きながら通っていた」
というエピソードを、たまに登壇するイベントや、友人の前でちらり見せ隠れさせると、大体ぎょっとされる。
最初は何故だろうか、と不思議に思っていたけれど、よく考えてみれば ”幼稚園” という、まだどんな子供もしがらみ無く、無邪気に先生や他のお友達と走り回ったり、キラキラと太陽のように笑っている場所で、そんな、ギャンギャン全力で泣きながら通う子を、確かにあまり見かけたことはなかったかもしれない。

だけれど私にとってこの、初めての集団生活を送る場所は、自分の力でなんとか居場所を作り、踏ん張らなければならない戦場だった。


ここに広がる世界は、これまで父と母、そして透ちゃんが全てだった私がいた所と、3次元ほどずれた次元に存在していたように思う。いつも手を伸ばせば届く範囲にいた親も「となりのクラスだから何かあったらこい」と声をかけ、なだめてくれた透ちゃんともはなれ離れになり、新たな社会を、自分で形成していかなければならない世界。

”先生”と名乗る人物に右手を惹かれ、教室の扉をガラガラとくぐると、みんなクスクス笑ったり、きゃっきゃ話をしながら、椅子にかろうじて座り、指示を待っている。どの子もみんな自分と同じ制服をきちんときていた。ここがのぞみちゃんの席ね、と促され腰を下ろすと、ずらりと並ぶ見知らぬ子たちに囲まれ、ひたすらに硬直していた。

「あんたが行きたいって言ったんでしょ、幼稚園」
「透ちゃんがいるでしょ」

この魔法の言葉たちは日にちが経つごとに徐々に効力を失っていき、わたしは朝になると親の両手にしがみついて座り込み、やれお腹が痛いだの、足が痛いだのと言っては、半ば引きずられるようにして幼稚園バスに乗せられるようになる。


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この頃、相当なアニメフリークでロマンチストな、空想が大好きだったわたしは、幼稚園に強烈な夢を見ていた。ふかふかで、お菓子のようなとろける色をしたバスや、ピンクや水色のパステルカラーのひらひらとフリルがついた制服。ある日突然、人間の言葉をしゃべる猫の友達ができたり、空を飛べる羽の鞄を背負って受ける授業。

先生は実は魔法使いで、わたしたちに秘密の魔法を教えてくれる。
その秘密の魔法で、わたしたちはどんなものにもなれる。
そんな世界を、幼稚園という場所に半ば本気で夢見ていた。
だからこそ、徐々に明らかになってゆく現実とのギャップに、ショックを隠しきれなかったのだ。

「可愛くないから幼稚園バスに乗らない」と言って泣いては先生を困らせ、
「本当は忍術学園できり丸と一緒に忍者になりたかった」と言って泣いては親を困らせ、とにかく何もかもが思い描いていた「幼稚園」と違いすぎた現実を、わたしはなかなか受け入れることができないでいた。

中でも、心を一番にすり減らしたのは「折り紙の時間」だった。
”決められた色の折り紙を、決められた形に折る”という個性もロマンの欠片もない行為。

「綺麗に折れたら上手」「綺麗に折れなかった下手」
の二択しか評価はなく、折れたら各自が折り紙帳にのりで貼っておしまい。

その苦痛な行為から逃げられない悔しさは、わたしが大人になり、たまたま開いた折り紙帳の、涙でふにゃふにゃになった折り紙と歪みまくったあらゆる色のクレヨンが物語っていた。サンタクロースの顔なんか、まるで化け物のように変形していた。もともと不器用だった事も相まって、相当に苦しい時間だったらしい。


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「ねえ。お絵描きじょうずじゃん」
教室の隅っこ。4歳になり年中さんに上がると、流石のわたしも幼稚園の現実を受け入れた。
相変わらず「毎日この服じゃないとだめなの?」とか「まいにち早起きしないといけないの?」となぜなぜ攻撃の手は緩まなかったし、その都度親から「みんなもしてるでしょ」と言い放たれる言葉には、全く納得がいかなかったけれど。

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