猫の本音
飼い猫が時々、ちょっとしたすきに脱走する時があります。
網戸を手であけて、外に出たかと思いきや、
木や家の屋根などに一気に
登る。
そんな姿を見ると、
やっぱり外で思いっきり
遊びたいんだな、
ってことに気がつきます。
そりゃ、一日中家の中、
ってきっと窮屈だろうし、
外の空気の方がずっと気持ちがいいはず。
開放感もあるだろうし。
もともと野良猫だし、時には
ネズミやモグラを
捕まえることもあった。
それでも、雨が降ってきたり、
雷が鳴った場合、
お腹が空いたら
いつもすぐに帰ってきて、
家にはいる。
ほんとうなら、適度に外に行かせる、
自由気ままにができればいい。
だけど、近所の家の花壇や庭で用を足す、
どこでも気ままにでかける、
交通量は少ないけど、事故に巻き込まれる可能性もある。
となると、やっぱり基本的には
室内にいてもらわないと
都合が悪い。
いくら走り回ろうが、
やっぱり外に行きたいのが本音だろう。
家の中で、十分遊べる環境と、
退屈させないようにする、
極力、快適な環境を用意してやる、
食事も飽きないようにする、
など、いろんなことをしていく必要がある、
って思うようになりました。
その結果、私個人よりも
エンゲル係数が高い時もあります。
(ほとんどが自給で回せていることもありますが、細かな計算は抜きの場合です。)
いつしか、猫の生活や食事等について
図書館で本をかりることからはじまり、
外国の方が動物の健康について
は進んでいることをしりました。
洋書までとりよせるようになってしまった。
まあ、猫の健康を考えれば、
キリがないわけです。
ふと思い出すのは、
夏に亡くなった、持病があった成猫。
肝臓が悪いようなんだけど、病院で
詳しい数値に話をされても
今ひとつピンとこなかった。
要は栄養不足か、
何か変なものを食べてきて、
解毒機能が十分働かなかった、働きが弱くなってきたのでは?、というわけです。
結局、通院と検査、投薬で、
費用は莫大、
まるで家族が病気になって
通院させている感覚でした。
結局亡くなってしまいましたが、
他にもしてやれることはなかったか、と
どうしようもないことを
ときどき考えてしまいます。
悲しいのは悲しいけど、
冷静になって考えてみれば、
なんだかんだ言って、人間と変わらないかもしれないと思った。
悲しさも含めて。
外国の猫の療法で
知られているピットカーン氏によれば、
猫は体が小さい、
代謝も良くない。
解毒機能は人間と比べて弱い。
食事は人よりも注意しないといけない。
つまり相当、デリケートな
存在だというわけです。
食べ物に関しては、使う穀物であれ、
農薬なんてとんでもないそうで、
人以上に気をつけないといけないそうです。
か弱い大人のような感じもしました。
そんな中、洋書で書かれていたこに気になったことは、
人にとって都合がいいように
キャットフードは作られている。
たとえば、水とドライフードだけで、猫の健康は維持できる、と書かれているとも。
猫が病みつきになるような匂い、
惹きつける風味にしている、
といったことが書かれていました。
もちろん良質なものもありますが、
博士の本では詳しいレシピで、
しかも容易に手に入らさそうなものばかり。
栄養価や成分の研究はすすんでも、
猫のトイレ用の砂に使われている消臭成分の
安全性について、
また多くの研究者も薄々分かっているであろう、生き物の根本となるもの
( おそらく酵素のことではないか、と想像します。)については、あまり配慮されていない。
安いキャットフードばかりだと、
将来的に病気になり、
高額な治療費がかかる。
肝機能が不十分、解毒できず、毒素がたまり
病気になる。
投薬や病院で治療。
人と姿違いますが、似たような流れに思います。
安くて安心安全とも言えないものを
長期間取れば、
体に異変が生じる。
同じ流れですね。
猫をペットとしてでなく、
人か同じ生命体としてみれば、
見方も変わってきました。
ストレートな気持ちを素直に表して、
行動するけども、
か弱い存在である。
好きに動かせたいけど、
結局は猫の自由を奪っているわけだから、
それなりに環境等整えていく。
以前は全く関心のなかった
生き物ですが
猫を飼うと何となく本音が
わかってくる。
そしてさらに人についても
何か考える、
あるいは健康についても存在のようです。
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