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開かれたヴェール──朗読劇『衣裳箪笥のアリス』への手紙【The review was written by aro】

ロリィタ短歌朗読ライブ 衣裳箪笥のアリス

3月31日千秋楽映像を配信中です。
9月に始めたこの配信も後約一カ月でおしまい…
以前配信していた回と衣装が違う人が三人いたり(毎公演変えるという暴挙)、即興的な部分もあったりと、ライブ感満載の公演でしたので以前の配信をご覧いただいた方もそうでない方も楽しんでいただけるアーカイブとなっております。
こちら収録時の生スイッチング状態の映像データをそのまま生かしているので、より新鮮な状態で保存されているのでライブ感が素晴らしいです。
最強音響空間だからこそ出来ることなのではないでしょうか。
宜しければ是非見てくださいね。
(そして11月3日の短歌朗読ワークショップも併せてよろしくお願いいたします。まだ募集してます~)


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この長期間配信に合わせお楽しみいただくために今回、素敵なレビューを
嬉野や公演の宣伝美術を担当した千草ちゆがとても好きな音楽レーベルの "Siren for Charlotte" 主宰、aroさんにお願いしまして熱量のある文章を頂きました。
すごく素敵なレビューにウキウキしてしまいました…!
"Siren for Charlotte"の掲げているテーマ、本当に良くてどの作家さんの音楽もいいんです。是非みなさん聞いてほしい。

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開かれたヴェール──朗読劇『衣裳箪笥のアリス』への手紙
鴉鷺


オルゴール、類想、移りゆく白い繭、豊かに響く静寂と色彩、意識に揺らぐレースの幻影、異質であるが故に美しく、美しいが故に異質である少女性、意識して見ると、賭された言葉は蜉蝣ではなく、クラリス、すなわち光のように不壊の結晶である。


私的な断定が赦されるのならこの映像は、この朗読劇は、非日常でも日常でもない異界に存在している。
ある種のヴェールのように半透明でありつつ(しかし向こう側は容易には映らない)、子宮の記憶のように穏やかで(そこにはギターが響いている)、美しいオブジェに満ちた安堵すべき密室としてのヴンダーカンマーのように(だがここにはオブジェではなく短歌とロリータ・ファッションがある)、言葉と衣裳、色調と鮮やかな所作、音楽と運動が、それら全てが「私」の、「私達」の、密室劇という結晶体として成立している。
ロリータファッションがある種の少女性、つまり自らの「この世と折り合いを付けられない天使性、美しき感性故にこの世の美しき異物であること」を守る鎧であるように、生々しく歪な現実から、彼女/彼らの私性、幻想、感受性、緻密に構築されたカンタータのような思弁、思弁と紐づいた感情を守るヴェールのように機能するように、同時にそれが自己の中核にある美しき事象を表象するように、この映像は自らを守る/覆うヴェールと自らを提示する表現という二重の構造を持っている。

歌人であり朗読される作品の作者である川野芽生を始めとする、三者の密やかで私的な所作と人物の交錯、空間を暖かく、私室の夢想のように引き裂くギターで劇が始まる。静かだ。ここには密室におけるマニエリスティックな夢想と、私室に居る劇中の「私」の安堵、そして始まってゆく劇の序章がある。
徐々に私達は、日常とも非日常とも違う異質な世界へ、幻想の境に足を進めることになる。


ラング、パロール、声、言葉。
天空に座する星々のすべてに名前が付されているように、自明なものとして全ての声は記名されている。匿名の声は存在しない。しるしを付けるように、付けられるように、その人自身を物語るように、記録され、また記憶され、追憶の底に響き、記憶の表層に波のように揺り返し、あの人を想うように声を想い、声が紡ぐ言葉によって鏡の反射のごとく想われるひとを物語るものでもあり、物語られる美しく形なきものでもあり、人間の美に奉仕し、また人間の罪に奉仕し、人間の美を表象し、人間の罪を物語り、歴史を形成し(もしくは否認の声を上げ)、響きを変え、また固定しながら、奏でるように、なぞるように、単数でも多数でもありながら、それでもなお響く唯一性として、声という現象がある。
川野芽生の声は、すべての青がその声の比喩であるように響き、空間が様々な青の、反復を拒否する青いイデアで占められてゆく。
川野芽生は第一歌集『Lilith』のあとがきで「言葉の内包する構造にそのまま操られることなく、言葉と刺し違える覚悟を持つこと、それこそが文学の役割であると信じています」と綴っている。
ヴォカリーズ(歌詞を伴わずに母音のみで歌う、18世紀半ばを起源とする歌唱法)として響く、単音を強調しつつ奏でられる唄/言葉/オトは、峯澤典子が現代詩手帖2024年7月号の時里二郎を表するテキストで綴った「決して触知出来ない存在を、ある断片を通して求めつづけるフェティシズム」というフェティシズムへの簡明な記述や、「非在という無限に向かう「部分」の美しい集合体」という評を想起させる。
全体を知覚することが困難な砕けた水晶のように断片化した、極めて心地よい言葉、オトが、パロールの、唄の直線的な聴取に抗いながら別種の秩序を持って、非在の永遠に向かうこと、これがこの音楽だと私的な感慨を抱いた。そして、それは音楽的な系譜について述べるならジャパニーズ・アンダーグラウンド、例えば灰野敬二や静香の系譜とも言えるだろう。
灰野敬二は言葉の意味、構造、音と戯れながら、幽幻そのものと言える、静寂と轟音を行き来する楽音を持ち、現実世界とは異質な景を徹底して奏でる音楽家だ。
静香は人形作家の三浦静香と夫の三浦真樹を中心とする、灰野敬二と音楽的に隣接する、極めて幽幻でありつつ、まさしくロリータ的な、硝子で覆われたような音楽世界を展開した伝説的なバンドである。
音楽的には静香に隣接しているだろう。ギターの幽幻なインプロヴィゼーション、川野芽生の唯一性を持った、現実とは異質な、だが甘やかで美しい唄声は、ドールからの類想を否定しないのであれば静香が奏でた音楽、構築したヴェールとしての空間性に近しい。
そして、言葉はやがて形をなす。

これは朗読劇である。演劇の形態である。だから役者は流転する。
先程はセイレーンのようなヴォーカリストが居た。今は少女が言葉を紡いでいる。
役柄の流転は見事であり、声色で空間/世界が一変する。同時に紡がれる言葉は短歌と劇のあいだを縫いながら、徐々に物語を形成する。「おいで。ひかりをみせてあげるよ」、だが、向かう先は私室だ。衣裳との戯れ、マニエリスティックでありつつ、柔らかいレースの世界だ。
劇に照応するように朗読される短歌の物語との噛み合いは、短歌を象徴として扱うことを意識しているのだろうか、とても静かに、だが物語に対する僕の想像を広げるように展開される。この瞬間が私的にたまらなく好きで、何度もなんども頭の中で言葉を反芻していた。
例えば、私室の劇の直後に朗読される歌は

「模造宝石(イミテーション・ジュエリー) 指にきらめかせ地上すべての城を手にする」
「ありつたけのフリルに埋もれ、目覚めつつ夢みる/夢をみつつ目覚める」

である。私室と夢想のシーンの象徴として、ライフスタイル、というより生き方としてのロリータとしての象徴として、これほど鮮やかに朗読されてしまうと、短歌を愛好する者として、朗読することの意味、短歌はどこまで行けるのか、短歌それ自体への批評性、声の機能などどうしても考えざるを得ない。
そして、アリスはルイス・キャロルを捨てる。アリスは独立した、自らの上に誰も置かない、ひとりの少女である。

同時に、短歌の文節を分離、反復させ、各々の登場人物の各々の台詞として扱う技法も朗読劇という形態に明るくない人間には驚きを持って映った。

「“植物になるならなにに?”“ばらが好き。だけど咲くのは苦しさうだな”」
「ばらが好き。」「ばらが好き。」「だけど咲くのは苦しさうだな…」「植物になるならなにに?」「ばらが好き」「だけど…」

また舞台が流転する。次の主題はある種の残酷さのようなものだろうか。少女性、美しさ、与える/投げつけられる残酷さ。自らが宿命のように、スティグマータのように引き受ける残酷さ。生の抗いがたさ。だが抗うこと。
悪夢もまたひとつの夢であるように、夢想の水脈が流れながら空間が昏く染まる。そして雛人形、つまりジェンダーロールの象徴と魂についての歌、少女時代を聖痕とする歌が朗読される。悪夢は例外なく回転する。舞台の少女たちもまた回転する。自動人形のように、だが、人間は自動性に支配される生物ではない。

「はるのゆき 少女のやうな少年に一度生まれてみたかつたこと」

「すぐ消えるきらめきと呼ばれつづけつつわたしたち永遠にうつくしい」

永遠に、永遠に、永遠に。老いの拒否? いや、違う。大人になること、それは非-少女に変化することでも単純に成熟することでもなく、完璧な少女になること。ここに示されているのは単純な成熟の拒否でも少女性、つまり幼さの称揚でもなく、澁澤龍彦の悪しき側面である「少女は客体である」という言説のような、他者性によって規定される少女性からの解放だろう。そして、一般性によって強要されるロールからの解放だろう。少女は自ら自身の生であるという、自らであるという、他者や他者の眼差しに規定されるものではなく、「私」であるという鮮やかな言明だ。

そして劇は肉体と魂(とそれを繋ぐコルセット)、トルソーと自己の肉体の境界の揺らぎという身体、衣裳、魂の主体への言葉を揺蕩わせながら、問いから祝福へと向かってゆく。その祝福は愛である。

「肉体をたましひに繋ぐ紐としてコルセットの紐ふかく締めたり」

………

「春昼よ完璧なレースのなかにきみと編み込まれてしまひたい」

春昼に編み込まれること、地上に残り、どんな光も海も恐れずに、ひととして、一人の“少女”として世界に在ること。それは酷く美しく、僕にはとても眩しい。だがこの眩しさは同時に暖かでもある。

………

世界は言葉で出来ている。だから言葉は世界を創る。オトと唄が構築した青はやがて形を成し、言葉になり、静かに、だが確かに繭を編んでゆく。
この繭はひとつの世界である。密室であり、開かれている。同時に、彼女/彼らでもある。ヴェールであり、貴方である。表と裏が同時にあるパラドキシカルな結晶体。
問うこと、唄うこと、歌うこと。愛すること、死と隣接し、戯れながら、だが生に向かい、世界に“少女”として佇み、対峙すること。恐れずにこの世界の美しいものを愛すること。
それがこの朗読劇であるなら、この密室はレースで出来た愛と美しさで満ちている。


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鴉鷺/aro

音楽ライター/歌人/詩人。シューゲイザー特化型メディア「Sleep like a pillow」などでの執筆、遠泳音楽(=Angelic Post-Shoegaze)レーベル「Siren for Charlotte」共同主宰の他、俳句同人「翅」に所属。


<【配信】ロリィタ短歌朗読ライブ
#衣裳箪笥のアリス」3月31日千秋楽ver>
チケット:配信視聴券:2,200円
*配信時間は1時間強になります。
*配信の視聴期限は2024年11月30日(土)23時までになります。

出演
鳥居志歩
大島朋恵(りくろあれ)
川野芽生
嬉野ゆう(PSYCHOSIS)
じゃみー
短歌:川野芽生
脚色:犬間洗
演出:嬉野ゆう
音楽:じゃみー
振付、ステージング:森永理科(PSYCHOSIS)
音響:Nancy、人見ユウリ
照明:琴音
撮影:嬉野ゆう
配信撮影:國崎晋(RITTOR BASE)
衣装協力:rubyBlossom
宣伝美術:千草ちゆ
制作:椎原静久

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川野さんと短歌朗読WSを開催します。
衣裳箪笥朗読会 短歌を声にするWS
開催日 2024年11月3日㈰
① 13時~15時40分/②18時~20時40分
各回内容は変わりません。

短歌の朗読&3月に開催した #衣裳箪笥のアリス の上演台本を使った朗読のWSです。


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