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「観察、1年生」。

「モデリング」という言葉を
ご存知ですか。

人の行動や動作を観察して学習すること。
人間はモデリングを通じて成長するそうです。

他人の成功経験を見聞きすることを
「代理経験」と言い、身近な人や有名人、
漫画や小説などでも良いそうです。

「あの人(主人公)が出来たなら、
 自分にもできるかもしれない!」

と思える力を与えてくれるそうで、
その対象(ロールモデル)は自分と
似た近しい存在の方が効果的だとか。

このお話を知った時、不登校を経験した
頃のことを思い出しました。

当時、自分のように学校に行くのが
難しくなったり、すぐに次の道を
見つけられていない人なんてきっと
他にいないと思い込んでいました。

やがて様々な本を読み、勇気を出して
色々な場所やたくさんの人と繋がる中で、

「わたしだけじゃないのかも・・・
とすこしだけ思えるようになりました。

「かも」であって「確信」でないのは、
それぞれ境遇や苦手なこと、得意なことは
違うので、やっぱり「わたしだけかな」と
感じてしまうこともあったからです。

人と出会うことで他者との違いを知り、
よりくっきりと「自分」の輪郭が
見えてくるものなのですね。

だから「自分と似た人の成功」が
「じゃあわたしも出来るかも?」に
繋がるという理由も理解できます。

でも本当にそれだけかな?と
このお話を勉強したときに思いました。

確かに、高卒認定試験を受ける前、
「こうやって勉強して一発合格!」
「当日はこんな工夫をしてうまく行った!」
という経験談を見聞きしたのは
本当に役立ちました。

「いつかわたしにも出来るかも・・・」
という希望にもなりました。

しかしその一方で心の隅っこに、
「その人はうまく行ったけど・・・」
という思いも消えずにありました。

わたしは心配性でネガティブな
ところがあります。

そんなわたしにはこの説とは逆に、
「うまく行かなかった経験」もまた
とても勇気をくれたのです。

例えば高卒認定試験の経験談の中に、
「当日は試験会場までは行けたけど
 怖くて入れなかったよー。
 翌年、リベンジしました」
という方のお話を見つけたとき、

(あ、最初からうまく行かないことも
 あるんだ)とホッとしたり、

「〇〇試験は5回落ちたからもう辞めた!
 向いてないから諦めた」
という芸能人の話を聞いたときには、

(そうか、向いてないと思ったら途中で
 諦めても良いのか)
と目からウロコだったし、

先日受けた試験に先に合格した先輩は、
「わたしは2回目でギリギリ通ったよ」
と過去に不合格を経験されていたと聞き、

(じゃあわたしが今回落ちても、いや、
 2回くらい落ちても普通やんな?)
とちょっぴり勇気になったのです。

こんなタイプの人間はすくないかも
しれませんがどこかには居られるかも?

どちらにせよ、自分以外の誰かの経験を
見聞きすることは、良い効果があるよ、
ということについて勉強したのでした。

いま思えば社会に出るのが怖かった頃から、
わたしは四六時中「観察」していた
気がします。

セールスの電話がかかってきたら、
(こんな話し方をされると不快)
(この人の話はちょっと聞いてしまうな)
と感じたり、

コンビニやスーパーの店員さんを、
(なんて素敵な笑顔。次もこの人に並ぶ!)
(キレイに陳列してるなあ。職人技!)
と眺めたり、

お店で商品を選びながら、
(この商品の横にこれを置くとは!
 かゆいところに手が届くアイデア!)
(しつこく声をかけられると買う気を
 失くすのになあ)
と思ったり、

「こんな働き方が出来る人がいる」
「こんな働き方は嫌だなあ」
と自分の中に様々な「働き方」を
日々蓄積しながら、

わたしならどうやって働くかな?

と絶えずシミュレーションしていたの
だと気づかされました。

初めて憧れの接客の仕事についたとき、
お客さんや社員の方々からとても
褒められました。

ものすごく緊張しながら、ご飯も喉を
通らず必死でお客さんの対応をする
毎日でしたが、わたしがこれまで
蓄積してきたものを認めてもらえた
気がしました。

わたしはいまもきっと日々観察し、
そこから見えない何かを蓄積しながら
日々を過ごしています。

人は変化し続けられるといいます。

その観察が未来の自分の1部を形作り、
また誰かに喜んでもらえたり、
自分で胸を張れる自信として
活かせる日が来るように、これからも
アンテナをあちこちに向けて、
情報や出会いに繋げていこうと思います。




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