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僕は今を生きる

携帯電話が壊れ、データが無くなってしまった。
これも自分が悪い。

今までの僕が記録していたものは、これで全て完全に消えて無くなりました。

パソコンの外付けハードディスクに保存した今までのすべてのデータも、実は去年、僕のミスでデータが飛んでしまい、それも今では存在しません。
オンラインでバックアップもしていませんでした。
なので、もう、どこもありません。

・・

僕が今まで生きた証としていた、日記や想い出。
メール、手紙、宝物。すべて。


自分で作ったもの。集めたもの。貰ったもの。
大切にしていたもの。

完成していても、形にしていなかったもの。
未完成でも残していたもの。
独り言日記も。すべて。

存在しないのではなく、僕の中だけのものになりました。

僕らの真実は神様にしか分からないのですが。

僕の中だけに、その答えがあるのです

僕の世界の、僕の物語は、僕の中だけにあるのです。

・・

僕は「幸せになる為に」
と、自分の命だけを懸けて(賭けて)しまっていたのです。

色々あったけれど、僕は命懸けでした。
これは、あの一件だけの話をしているのではありません。

そして僕は死にかけました。

ただ人間はそう簡単には死ねないのです。

そして神様、仏様、ご先祖様。
僕を愛してくれた人たちは、それを由(良)しとはしないのです。

僕は過去に囚われているのです。今でもそうかもしれません。

過去に執着し、現実や自分と向き合わず。
認知の歪みと、ここでは言いますが、何も解かっていなかったのです。

・・

自分が生きてきた過去、人生は否定できません。
過去を変えることは出来ないのですが。
自分がどう生きるか次第で、今これからの自分次第で、過去の自分の肯定を出来るような気がするのです

・・

想いは言葉に届かない。言葉は想いに至らない。

今まで色々ありました。
これからも色々あると思います。

言いたい事もあるのですが、今は仕方がない。
生きていくしか道は無いのだから、そう言うのです。

言葉にするのは何でも容易いのですが。
傷は消えません。いつかは癒える日が来るのかも知れません。

・・

時間が解決するとは言いたくありません。
やっぱり、あったことを無かった事にはしたくないのです。

ただ、それも僕の目線、視点の話です。
僕らはいつまでも、そこで何もせずに、立ち止まってはいられないのです。

なぜなら、僕らは死ぬからです。

時間は過ぎていきます。
変えられない真実と言うのは、
僕らは絶対に確実に死ぬという現実だけです。

だから、自分を変えられるのは自分だけなのです。
自分を救えるのは自分だけです。
過去も未来も、現在の自分次第なのです。

そこまで息苦しくなるような、
大変で難しい話ではないと思うようにしています。

実際は大変です。生半可なものではありません。
中途半端な気合や覚悟では出来ません。
不安ばかり、不安しかありません。ごめんね。

ただ、ゆっくり、自分のリズムやペースで生きていけばいいのです。

ただ、自分だけで、自分の力や世界だけで生きていけると思い込んでいるのなら、それは笑えない冗談や、子供の戯言と一緒だと僕は思います。

運命や誰かを呪い恨む気持ちも、僕は解らないとは言いません。
感情は僕の十八番です。

ただ誰かが死なければ、誰かの命と引き換えにしなければ分からない。
そんな僕らの時代は終わりにしたいのです。

・・

いつの時代も、どの世界にも夜や闇は存在していると思います。

だから、それに飲み込まれてしまわないように、巻き込まれて自分を見失ってしまわない為にも、僕らには光が必要だと思うのです。

生きる力は、光を生むため。幸せや運命に触れる為に、運命や宿命はあるのだと今は考えているのです。

別に僕の話なので、人様にとやかく言われる筋合いは無いのです。

報われるかどうかは自分次第なのでしょう。
どう理解して解釈するかは、腑に落とすかは僕次第。

うまくいかない事もあるのも現実で。
どう生きるかは自分次第。

僕も君も、今でも立ち止まっている、退屈で暇な時間や人生は無いのです。

・・

みんな人生、色々あって今ここ。それでも僕らは生きていく。

世の中、そんなものです。
笑えない事も、仕方がないとは言いたくない。

死にたくなる事も、これからも何度もあるはず。
死にたいと発狂する時も何度もあると思います。

それでも、幸せになる為には、
幸せに生きる為に、僕には今やる事があるのです。

・・

卒業式の切なさのような。
失った特別な感情や存在。喪失感。

これも一生だと思う。

それすらも人生、みんな度合いはあれど同じ。
狂信的、妄信的にならなければ、一方的な偶像崇拝でもいいと思う。

最高に幸せな瞬間もあれば、
不幸が重なってしまう最悪な瞬間もあると、解っています。

「みんなに生かされた」
「御陰様で生きています」

と言える僕には、今を生きる力があるのだと僕は言います。

そして死ぬまで解らない事、死んだってわからない事に、いつまでも僕らの限られた時間を、有限の人生を、割くわけにはいかないのです。
だから、僕は自問自答し続けるのです。

僕は僕の声を聞くのです。
君の声が聴こえなくなっても、僕は僕の中の君の声を聴くのです。

何度でも言います。

運命は変えられると僕は知っています。
それは僕が生かされたからです。

僕は今までの後悔や過ちや、無様な痛々しい過去の自分を経て、運命を信じているのではなく、解っているのです。だから僕らは生きるのです。

感謝が出来ないのは、自分の姿が見えていないから。
己のその無様さや、過ちに気が付かないのです。

・・

今まで僕が生きた証としてきたものは、僕の心の中だけに大切に締まっておくべきものなのです。
それは、人様に伝えたり魅せるようなものではないのです。

僕はこれから「僕の生きた証」を形にして残していく。
それは自分の為だけの、自分の中だけのものでなく
「ありがとう」
と伝えたい人たちに宛てて。

大切なのは、正しく伝えられるように清書にする事だと思う。

・・

そう簡単に「生き辛さ」や「自分の問題」みたいなものから解放されたり解決する話ではないと思う。

ただ「生き辛い」と叫び続けているだけでは何も始まらないし、何も生まれない。何も解からないし、変わらないし、変われないのです。

今を生きるのは、自分の人生は、幸せとは、自分で決めるだけです。
ただそれだけ。それだけでしかないのだと知ることが出来ました。
ありがとうございます。

ただ、その為に失ったものは大きいという事も重々承知しています。
犠牲ではないけれど、喪ったものは大き過ぎたと思います。
僕を生かしてくれた人や全て、ごめんなさい。

本当にごめんなさい。

・・

「命の重さは重くも無ければ軽くも無い」
これは自分の言葉に重みが無かったから言えた言葉なのでしょう。

人生哲学なんて解ったような、偉そうなことは言えないのですが。
足るを知り、身の丈に合うように。
地に足つけて、自分の正義や美学と共に生きていたいと今日も想うのです。

いつか逢える日まで。幸せになるまで。
今の自分がすべての答えだと僕は言います。

・・

改めまして、はじめまして。

散文。

群像する僕らの人生は、振り返れば。
床に散らばったままの日記をただ眺めているだけのようなもので。

生きる事は辛い。ただただ辛い。
だから僕はロックをやっているのだ。

ロックは音楽の話をしている訳じゃない。生き様の話だ。
繰り返される諸行無常と、繰り返した口癖とまた罪悪感だ。

そして僕らの業は一生続くのです。




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