もういちど学芸員になります
私は、5月からもういちど学芸員になります。
地元の美術館で。
このお仕事は、1年という任期付きで、正職員ではなく、非常勤のお仕事です。
このチャンスが巡ってきたとき、二つの心で揺れました。
ひとつは、このチャンスを逃したくないという気持ち。
もうひとつは、一緒に暮らしはじめた彼を悲しませてしまうのではないかという不安です。
ひとつめの気持ちから、お話しましょう。
私は、ある地元の街で学芸員になりました。でも、1年半で学芸員を辞めてしまいました。辞めた理由は、何度かお話しているので、ここでは語りません。
とても身勝手な理由でした。
正直にいうと、もう学芸員になることはないだろうなと思っていました。
私は、私のやり方で、できることをやっていこうという気持ちでいました。
でも、そう思いながらも、学芸員になりたいという夢を捨てきれずにいました。
そして、地元を捨てて、遠くの街に行くことに対して、負い目も感じていました。私は、街の復興のために何もできなかった悔しさを十字架のように背負って、この街を去ろうとしていました。
そんな矢先、地元の美術館(元いたところとは別のところ)で、非常勤の学芸員を募集することを知ったのです。
こんなチャンスは、たぶんもう巡ってこないだろうと思いました。
1年間という期限付きではありますが、これが正職員だったら、応募しなかったと思います。遠くに暮らす彼と、この先、一緒に暮らせないことになってしまうから。
でも、1年なら。
1年という短い期間とはいえ、もう一度、この街のために働くことができる。
あの日投げ出してしまった夢に、もう一度向き合える。
私は、こんな好機を逃したくはないと思いました。
でも、運命の女神さまはちょっとだけ意地悪です。
私は、引っ越しを完了していました。
一緒に暮らす彼と5月に入籍する予定でした。
私は、仕事をとるか、愛をとるか、そんな人生の岐路に立たされているような気がしました。
でも、私の心はほとんど決まっていました。
もういちど、この街で学芸員になりたい。
けれど、彼のことを悲しませたくもない。
彼に自分の気持ちを伝えるとき、声が震えました。
私は、こんな募集があるんだと話しました。
私がどうしたいのかを言う前に彼は、
「絶対挑戦したほうがいいと思う」
と私に言いました。
彼の声は、強がっているとか、無理している声ではなく、わくわくしている声でした。
それでも、私は彼に申し訳ない気持ちがありました。
それを彼に伝えると、彼は精一杯の言葉で私を応援してくれました。
「このまえ震災から10年が経った。
あの日から、大切な人に会えなくなった人はたくさんいる。
ぼくたちは、会おうと思えば会える。
あの日、亡くなった人たちもみんなそれぞれ夢を抱えていたと思う。
やりたいことがあったと思う。
いまやりたいことがあるなら、やるべきなんじゃないかな。
ももは、学芸員を辞めたあと、辞めたくなかったって、泣いていたよね。
やらなかったら、きっと後悔する。
ぼくが、ももだったら、絶対挑戦したい。
ももが、ぼくだったら、きっと同じように応援してくれると思う。
一緒に暮らすのがすこし先延ばしになるからって、ぼくたちの関係は何も変わらないよ。
やるべきことをやっておいで。」
私は、彼に反対されたときのために、説得する言葉を探していました。
彼の声が悲しそうだったら、誠意を尽くして謝ろうと思っていました。
でも、私のことを誰よりも理解している彼が、私の夢を応援しないわけがなかった。
私はいつもそう。
自分に期待していないせいで、いつもだれかが自分を信じてくれていることを忘れてしまいます。
でも、忘れそうになるたび、それを思い出させてくれる人がいます。
(けれど、私は、夜に会えるとわかっていても、朝見送るときに舌打ちするような奴ですからね。彼は、ちょっと私を買いかぶっていると思います。)
私は、彼のおかげで一歩踏み出せました。
そして、今日、無事に採用されました。
私は、自分の夢を諦めません。
でも、それは愛を捨てて、夢を掴むわけではないです。
私は、両方手放したくありません。
こんなふうに応援してくれる人を手放すわけにはいきません。
彼と暮らしたのは、たった2週間でしたが、その2週間は、私の人生の中でもっとも幸福な時間でした。
両方掴めるように、どちらも大事にします。
そして、震災から10年目となる今年、このような機会を得たのは、大げさに聞こえるかもしれませんが、運命のようなものを感じています。
天国のおじいちゃんからも、「まだやれることがあるからやっておいで」と背中を押してもらったような気がしているのです。
私には、まだできることがたぶんあるのだと思います。
たいしたことはできないかもしれない。
それでもいい。私が精一杯できることをやりたいだけ。
おじいちゃんもきっと見守ってくれています。
私は、もう一度逃げずに自分の夢と向き合ってきます。
私が1年先に何をしているのかわかりません。
でも、きっとこの1年は、これからの人生を切り開くカギになるだろうと思います。
私は、これまで、やりたいことをやって、生きていく道を探っていました。
学芸員を辞めたばかりの頃は、絶望の淵にいました。
でも、私を呼び止めてくれる人が何人もいました。
そして、私が少しずつ夢を語るたび、応援してくださる方が現れました。
noteでも、たくさんの方々に応援していただいています。
背中を押してくださる人たちに出会えました。
総額10万円程のご支援もいただきました。
いくら感謝してもし足りません。
noteで、これだけ多くのご支援をいただいたということは、私の自信になりました。
1年の任期を終えて、たとえ学芸員にはなれなかったとしても、私の夢が閉ざされるわけではないということは、ここ数か月で証明されました。
常勤職員は原則兼業禁止ですが、会計年度任用職員の兼業について調べてみたところ、禁止ではなく、許可制をとっているようです。
そのため、来月以降は(許可が下りるまで)サポートを閉じさせていただきます。
あわせて、サークルもプランを休止させていただきます。
(プランを休止するには、削除する方法しかなさそうなので、再開するときは新プランとして始めたいと思います。)
パトロンさんたち、意味深な投稿してしまってごめんよ。
お仕事がはじまっても、noteでの創作活動はつづけてまいります。
といっても、お仕事と修士論文の執筆を同時に進めながら、まとまった休みの日には彼のところに行くことになるので、noteの更新頻度は今よりもずっと下がると思います。
サークル運営も、手が回らない可能性があるので、しばらく休止することになるかもしれません。
更新頻度は下がりますが、これまでどおり、仲良くしていただけるとうれしいです。
私は、リアルとnoteとを分けられないほどに、noteの人たちをリアルに感じられるのです。
これからも、noteで出会った人たちのことも大事にしていきたいと思っています。
私自身も道半ばではありますが、今までより、たくさんの人を応援できるのではないかと、わくわくしています。
これからは、学芸員として学んだこともたくさん発信していきたいと思いますので、今後ともよろしくお願いいたします。
最後に、夢に向かう私を励ましてくれた曲を紹介します。
私にやさしい言葉とともにこの曲を教えてくれたnoterさんがいました。
この歌詞は、私の彼からの言葉にも通じるものがあります。
離れていても、自分のことを大切に想ってくれている人がいる。
だから、わたしはがんばれる。
この記事を読んでくださった方々にもたくさんのしあわせが降り注ぎますように。