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花束みたいな恋って、どんな恋だろうね

昨日、映画『花束みたいな恋をした』を観た。

映画を観終わって、
この映画は、だれもが共感できる物語ではないかもしれない、と思った。

でも、きっとこの映画を観た人ならだれでも、
自分の恋を語りたくなるだろうな、と思う。


この物語は、2015年から2020年の間に大学を卒業し、就職する二人の物語。私はほぼぴったりこの世代だ。


映画は、2020年にレストランで主役の二人がばったり出会うところから始まる。二人の隣には、それぞれの恋人がいる。

これは、出会いの場面なのだろうか、と思っていると、直後に2015年に遡る。

二人の本当の出会いは、2015年だった。
そこからは時系列で話が進んでいく。

だから、映画を観ている人は、彼らが恋に落ちていくようすを見ながらも、この二人は、2020年には別れているのだと知っている。


終電を逃して出会った二人。

『カルテット』で、終電は男女が一線を越える口実のためにあるんだと語らせた坂元裕二さんが脚本を担当する、この映画。

終電を逃した二人は、嘘みたいに趣味が合うことが判明して、あっという間に恋に落ちていく。


そんな恋もあるのかな、と映画を観ながら私は思う。

この二人が羅列していく、作家名やアーティスト名を、私はほとんど知らなかった。でも、マイナーであればあるほど、好きなものが同じというのはうれしいことなのだというのは理解できる。

けれど、二人は、「どうして」好きなのかを、ほとんど語らない。

私には、それが、ちょっと奇妙に思えた。

自分が知らない人の名前がつぎつぎ出てくるからかもしれないが、この二人からは、ちょっとスノッブな印象を受けた(普段の私は、周りからそう思われているかもしれないけれど)。

名前を羅列するだけでは、何もわからない。

「わかる~」とか、「超刺さる~」とか、「これは、エモい」とかいう言葉が、何かを言っているようで、何も言ってないのと同じだ。



そういう表面だけの薄っぺらい共感。

きらきらして見えるけれど、根無し草のような感情。

それを、「花束のような」と表現しているとしたら、この映画は、かなり皮肉だ。


この映画を観た人が、映画のポスターの前で写真を撮り、
SNSに「超泣いた」、「こんな恋したい♡」などという短いメッセージとともに投稿し、
まるで切り花のごとく映画が消費されていくところまで想定しての、このタイトルなのかもしれないな、と冷めた頭で考える。


映画の中盤で、タイトルと関係のありそうなセリフがある。

女の子に花の名前を教わると、男の子はその花を見る度に、一生その子のこと思い出しちゃうんだって。

映画の中では、たしか人気ブロガーが言ったんだと話していた気がするが、これは「別れる男に、花の名を一つは教えておきなさい。花は毎年必ず咲きます。」という川端康成の言葉をアレンジしたものだろう。

この台詞から考えると、「花束のような恋」は、なにかを観た瞬間にその子を思い出してしまうようなトリガー(=花)が束になったような恋ということなのだと思う。

イヤホン、今村夏子の本、二人で見つけたパン屋などを、二人は別れたあとにも思い出す。

二人は、たくさんの「花」を、別れたあとも共有している。


だから、「花束みたいな恋」=「一生忘れられないような恋」と解釈するのが正しいのだろう。



でも、私は、それだけではなくて、この「花束」には、エフェメラルな恋、つまり、儚くて、うつろいやすくて、つかのまの恋であることを象徴しているようにも思う。

花束は、切り花だ。

どこにも根付くことなく、朽ちていく花。



この映画は、一度は心を交わし合った二人が、すれ違って離れていく物語にも見えるけれど、二人ははじめから表面的にしか重なっていないように思う。

どちらかが愛していなかったとか、変わってしまったというよりも、両方ともはじめからそんなに深く愛していないように思えるのだ。

3回目で告白しなかったら付き合えないかもしれないな、ポイントカードだったらいっぱいになっているなと、どこか打算的な恋。

花束を買う女子が、花束を持っている自分ってかわいいでしょって思っているような、そんな恋。


帰り道、私は電車に「揺られ」ながら、映画の余韻に浸っていた。

この映画で言いたかったのは、
実らなかった恋だって、美しいものだってことかな。

と、思ったすぐあとで、

実らなかった恋ってなんだよ、

と自分に反論する。


恋に実るも実らないもなかろう、と。

恋なんて、きっと始まった瞬間に実っている。

どんなに薄っぺらい感情だって
一方通行だって
結婚しなくたって
別れたって
それは立派な恋じゃないか。

みんな美しい花だ。
朽ちたって、散ったって、美しく咲いたことに変わりない。


この映画は、花束のように、きらきらと美しく輝く恋を描く。

それが、花束のように、刹那的なものであっても、美しいことに変わりない。


美しく咲いた

ただそれだけで、恋は素敵なんだよと

このタイトルは語っているのかもしれない。