見出し画像

紅茶と本と、いとしのおともだちたち

先日、久しぶりにティールームを訪れた。
ティールームは、街の中にあるけれど、そこは小さな英国で、街の喧騒とはかけ離れた別世界。

紅茶とスコーンのセットを注文する。
紅茶は、入荷したばかりだというルフナを選んだ。

その日は、朝から雨が降っていて、少し肌寒かった。ちょっと前まで猛暑だったのに。
病院で検査があったから、朝から何も食べていなかった。
寒くて、お腹が空いていると、自分がとてもちっぽけでみじめな存在になったような気がした。

温かい紅茶が飲みたい、と思った。

ちょうどそのとき読んでいた、江國香織さんの『ホリーガーデン』という小説に温かい紅茶が何度も登場していた。
貯金のほとんどが学費へと消えていくことが決まっているので、贅沢はできるだけ控えたいところ。でも、私の足は、自然とティールームへと吸い寄せられていた。

席につき、店員さんが注文を聞きにきてくださったあと、私はバッグから『ホリーガーデン』を取り出して、続きを読み始めた。

その本は、古本屋さんで買い求めたものだった。

noteでサポートをしていただいたので、好きな本をいくつか買おうと決めていたのだ。
いつもは図書館で借りることが多いけれど、自分の家にある本は、あの本の一節をどうしても読みたいと思うとき(私は結構な頻度でこういうときがある)や、誰かに貸したいと思ったに、すぐに手に取れるのがうれしい。サポートしてくださった方への感謝の気持ちを込めて、本を読んで感じたことや考えたことも少しずつnoteで共有していきたいと思う。

『ホリーガーデン』は、果歩と静枝という二人を中心とした群像劇。二人は、小中高をエスカレーター式の女子校で共に過ごした親友だが、30歳を前にして二人を取り巻く環境は少しずつ変化する。二人は、互いの存在を愛おしく、誇らしく思いながら、ときに苦々しく、憎たらしくも思っている。二人とも、どこか子供っぽくて、執着を嫌悪しながらも何かに強く執着していて、どこか危うげで、でも幸せそうでもある。二人の何気ない毎日の、とるにたらないできごとが、瑞々しい言葉で紡がれていく。

紅茶とスコーンが運ばれてきた。私は、本を閉じ、温かい紅茶を口にする。ここでいただく紅茶は、香り高く、口に入れた途端に全身へと染み渡っていく。魔法の薬のように、この紅茶を飲んだあとは、元気になる。焼き立てのスコーンにクロテッドクリームをたっぷりつけて頬張りながら、自身の交友関係に思いを馳せた。


わたしは、友達は多い方ではないし、長く関係を維持するのがまったく得意ではないけれど、それぞれの場所で、深く付き合った友達がいる。
それぞれに、とても特別な友達。

彼女たちの素晴らしさを語ろうと思ったら、小説一冊ずつ書ける気がする。
(でも、ここではそれほど長い文章を書く気はないのでご安心を。)

それぞれにちがう良さがあって、とても一人を選ぶことなどできない(選ぶ必要もない)。

でも、彼女たちは、少し似ているところがあると思う。
みんな優しくて、話を聞くのが上手で、穏やかで、「ちびまる子ちゃん」のたまちゃんのようなイメージ。

いつでも、背中をそっと押してくれる。
でも、間違っているときは教えてくれる。
私の思う、本当の「強さ」を持っている人。
本当の強さは、正義をふりかざすことではなく、目の前にいる人を大切にできることだと私は思う。

気難しい私とは、たぶん優しい人しか付き合えない。
だから、私の友達は「類友」ではなく、「逆友」だ。


私にはない、彼女たちの「強さ」を眩しく感じてしまうこともある。
けれど、彼女たちと過ごしたあとは、いつも温かな充足感がある。

このまえ、幼稚園のときからの友達と会った。
20年以上の友達だ。
借りていたマンガのつづきを家に持ってきてくれた。

音楽を聴きながらお話をした。お昼には、スカルパリエッロというパスタ(今度レシピを載せます)を作った。パスタを食べながら、映画『ミッドナイト・イン・パリ』を見た。映画をみたあとは、私は借りたマンガを読んで、友達は私が貸した本を読んでいた。本を読んでいたら、飲み物がほしくなったので、私は鍋でチャイを作った。

友達は、チャイを飲むのは初めてだと言っていた。一口飲んで「やさしい味がする〜」と顔を綻ばせる。

チャイを飲み終わって、友達は「しあわせだな〜」と大きな声で言う。

私だったら、照れてしまってなかなか言えないセリフだ。友達に言われてもなんだか照れ臭くて、間を持て余し、「ん?」と聞き返してしまった。

「ももちゃんのお家で、こうやってももちゃんのごはんを食べて、お茶を淹れてもらって、本を読んで。映画も面白かったなぁって。しあわせでしょ?…そういえば、さっきからカフェみたいな音楽かかってるけど、これって誰の?」

「村治佳織さんの『シネマ』っていうアルバムで、私の好きな映画の曲がいっぱいなんだけど…」と答えながら、私は胸がいっぱいになっていた。

私にできることなんて何もない、そう思って生きてきたし、今もそう思っている。でも、誰かをほんの一瞬でも、しあわせにできたことがすごくうれしかった。そして、ほかでもない、私の大切な人をしあわせにできたのだから、これ以上しあわせなことなんてない。

「全然変わらないね」と私は友達に言った。

私は、10年以上も前のことを思い出していた。
友達は、同じ絵画教室に通っていた。お日さまのような先生の絵画教室。そこで、先生から「大切なものを描いてください」と言われたとき、友達は迷わずに私の似顔絵を描き始めたのだった。恥ずかしがることなく、笑顔でのびのびと描いていた。

本当に変わらない。

友達が「それって褒めている?」と聞き返してくるので、「すごく褒めているよ!」と答えた。


変わらないね、と言ったけれど、本当は少しずつ変わっていることも知っている。

以前だったら、友達は自転車で遊びに来ていたけれど、今は車で家にくる。またね、って言っても、次にいつ会えるかわからない。約束なんてしなくても、毎日会える日々はもどってこない。


それでも、私は彼女に会ったら、また「変わらないね」と言ってしまうだろう。


変わってしまうものも多いけれど、変わらないものもあると信じている。


この記事が参加している募集

読書感想文