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だれかの過去が、わたしの記憶として香るとき

ときどき、春の匂い、とか、夏の香り、というよりも、もっと濃密な空気を感じることがある。

それは、たしかに嗅覚から感じるように思われるのだが、匂いや、香りよりも、もっと具体的で存在感があって、「気配」とでも呼んだほうがいいような、そんな空気感。でも、気配という言葉を日常的に使うことはないから、私は匂いや香りという言葉をしかたなく使っている。

けれども、運動会の朝の匂いや、キャンプに行く日の香りといったものは、私だけが感じるものではないようで、同じような記憶を共有する妹に、今日ってキャンプに行く日の香りがするよねと言ったら、妹はたいてい同意してくれる。私はともかくとして、妹はまったくロマンチストではなくリアリストだけど、妹にも「香り」はわかるらしい。

おそらく、人の嗅覚と、記憶というものが深く結びついているからなのだろう、香りというのは、記憶の引き金トリガーになりやすいようだ。去年めちゃくちゃ流行った曲も、そんなフレーズを高らかに歌っていた。


濃密な気配のような記憶を引き起こすのは、香りだけではない。

私は、ときどき音楽を聴いているときや絵を見ているときにも、「香り」を感じることがある。

記憶を呼び覚ます、というようなふんわりとした感覚ではなくて、質量をもったなにかにどっぷりと浸かる感覚。気づけば、私は過去へと引き戻されている。



私は、ジェノヴァ近郊の高速で、フランチェスカの運転する白いチンクエ・チェントの助手席から、窓の外に流れゆく景色をぼんやりと眺めている。

フランチェスカとは普段同じ部屋で暮らしていても、めいめいにイヤホンをつけているから、どんな曲を聴いているのかわからない。車内で、はじめて彼女の音楽の好みを知る。イタリア語ではなく、英語の曲ばかりが流れていた。だからといって、イタリア人の曲は聴かないのかと、尋ねはしない。イタリア人の友人たちは、イタリア人の歌手が好きではないという子が大半だから。たぶん日本人でも、洋楽ばかり聴いている人も少なくないのと同じで、自国の言語よりもおしゃれに感じるのだろう。

流れていた曲の中に、私がとくに好きだなと思った曲があった。でも、高速道路を運転するフランチェスカに曲名を聴くのは躊躇われて、なんとか聴き取れたフレーズをあとで検索した。

そして、留学中、繰り返しその曲を聴いていた。

Owl cityのFireflies。

日本でも流行っていたようだけど、私は流行りに疎いから、フランチェスカの車の中で初めて聴いた。

イタリアについて歌っているわけでもないのに、この曲を聴いていると、私は留学していたあの頃に引き戻される。

だが、不思議なことに、私が思い出すのは、自身の過去だけではない、ということだ。

この曲を聴いていると、私自身も、いくつもの眠れぬ夜を過ごした日々があったような気がしてくる。

私には、そんな過去はなかったのに。

闇夜にとけてゆくような、優しいメロディーが郷愁を誘うからだろうか。

経験してもいないことを、懐かしいと感じるのはどうしてなのだろう。




久しぶりにYUIの曲を聴いた。

私は、中高生の頃、YUIの曲ばかり聴いていた。

だから、YUIの曲を聴いて、懐かしいと思うのは当然のことで、何も不思議なことではない。

でも、学生時代を懐かしんでいるだけではなくて、YUIの曲に歌われた光景を懐かしんでいる。

私は、留学時以外は、ずっと実家に暮らしていて、YUIのTOKYOのように東京に出て行ったことはない。でも、YUIの曲で歌われる情景は、私も見たことがあるような気がする。

私が初めて恋愛をしたときには、もうLINEで連絡を取り合うのが普通だったから、読めば既読がついちゃうし、CHE.R.RYの歌詞のように、返事を焦らしたことなんてない。

でも、そのジリジリした感覚を私も知っている。

私の記憶ではないはずなのに、私もそんな恋愛をしたことがあるように思うのだ。




だれかの過去の記憶。

それは、憧憬の記憶なのかもしれない。

謳われたストーリーへの強い憧れによって、まるで自身が経験したかのように、誰かの記憶は私の身体に刻まれる。


ある映画の中で、パリを歩いていた青年が、20世紀初頭のパリに迷い込む。彼は、憧れていた時代を毎晩訪れるようになり、憧れの作家や画家たちと酒を飲み交わし、言葉を交わし、愛を交わす。現代に戻った彼には、20世紀初頭のパリの夜を生き、恋をした記憶がある。

私たちは、彼のように、文字通り、憧れの過去を経験することはできない。

だが、憧れの時代に迷い込むことは、誰にでもできると思う。過去へと迷い込む、その引き金となりうる力をもつ芸術に触れることで。

私には、芸術の咲き誇った世紀末ファン・ドゥ・シエクルを生きた過去はない。

美しい言葉を紡ぐ詩人と、それに完璧に応じる作曲家。こんな美しいものが生まれた時代はどんな時代だったのかと、私たちは残されたものから想像するしかない。

でも、過去に恋焦がれて、想像しているうちに、私は、いつか見た映画の中の青年のように、憧れの時代に迷い込んでいる。

普遍的な価値という陳腐なことばでは、表現したくないような、もっと個人的で、具体的な力が芸術にはあると思う。

その力を、芸術の「香り」と名づけることにする。






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