青春と性悪説
こんばんはー!
ガチ文化祭参加してきましたー
楽しかったのは楽しかったんですけど、あの場にいたからこそ考えたことがあったので、そっちの記録をユーザーノートで残そうかなと思ってます
青春
この言葉自体はとかく言われがちだし、ガチ文の運営の方々もよく口にしてたけど
じゃあ青春って何なのか
結構漠然としてる
なので自分なりに考えて言語化してみる
キーワードは、教室、放課後とか学校系
あとは、海、冒険、旅、変化とか
色で言うと青とか水色の寒色系
声で言うと、黒崎一護
BGMでいうとこの辺
良かったら流しながら読んでね
色々考えたけど、
「変わったり変わらなかったりする期間」
という更に漠然としてそうな結論にたどり着いた
理由はマジメに考えた
変わったり変わらなかったりする期間
言い換えれば、
自分を知ったり、あるいは見ないふりをしたりできる苦しくも都合の良い時間
大前提人は弱くて醜いし
常に崇高であれるほど、完成されてない
弱いからこそ心に小さな罪悪感から大きな罪まで抱えてしまう
けど、そんなものはみんな抱えてる
どんなに欠点のなさそうな優等生でも、理想的な青春を送っていても学校に行けなくてもそこだけは平等
人間なんて世に言う普通の人の擬態が上手いか下手かってだけで、皮一枚剝げばどこかしら欠陥がある
ダメ人間なんて人に言えるほど、みんな完成されてない
だからこそ、自分の心と戦って性善説であろうとする姿は輝いて見えるし
たまに眩しすぎて目が焼かれそうになったりする
人間の本質は性悪説
自分より優れた人を見てちょっと黒めの感情が生まれたり
自分より劣ってる人を見て悦に浸ったり
好きな人が他の異性と話していると心がムッとしたり
意図せず家族に強く当たったり
周りの目や誰かの作った指標を気にするようになったり
青春というモラトリアムの中で一番濃度の高そうなこの期間は、そこを受け入れる素地を育てるきっかけが得られる時期
そこさえ受け入れられれば、人生は想像してるより全然自由になる
自分の意思でいくらでも物事の見方は変えられるものだと知れるし、芯のある強さとそれに伴う責任を手に入れられる
でも受け入れられなくても全然良い
都合の悪いことは見ないで、考えることから逃げる
でも理想は持ってる
これで構わない
どんな矛盾を抱えようが、それらも含めて自由
自分と向き合わなくても飯は食えるし、その場しのぎで生きてても誰も何も言わない
けど
「死にたい」けど「生きたい」し
「食べたくない」けど「お腹は空く」し
「寂しい」けど「人と生きるのは怖い」し
「近づきたい」けど「近寄られるのは不安」で
矛盾ばっかり抱えてゴールなんてわからない
それでも少しずつ踏み出して生きてみる
そういう「前向きな弱さ」に美しさも魅力も青春も感じる
むしろこの葛藤こそが青春の醍醐味であり、エモさの真髄だと思う
だからこそ「欠陥」や「不完全さ」こそが人間の愛すべき部分だと考えてる
すごいフワッと概念的な感じで書いたけど、
僕にとっての青春の捉え方はこんな感じ
それと余談なんですけど、
文化祭と言えば学生時代
学生時代と言えば青春
みたいな考えが世の中に数多あるアウトプットを通じて、若干ステレオタイプ化しているなと感じますが
それはそれで青臭くていいなとも感じてます
昔は、こうあるべきみたいな思い込みが人の心の自由を奪いうるからよろしくないと考えていましたが
最近はそうも思わなくなりました
べき論的な主張に辟易としたり、あるいは盲目的にその考えを信仰したり、
その結果、街が俗的な生き方をする似たり寄ったりの人で溢れかえって、ちょっと違う行動をした人間が後ろ指刺されても
それもそれで風情があるな~と
良いじゃないですか、人間って感じで
僕はアイデンティティなんてなくて良いと思ってますし、さっきも書きましたが人の弱さや醜さは美徳だなと思ってます
小説を読んでても、根っからの善人がただただ善行を積み上げる物語は面白く感じませんし
ジャンプ主人公が初めから世にいう完璧超人であれば、見向きもしません
読者に対してのみ登場人物の弱さが心理描写という形で伝わるからこそ、読んでく中で共感したり、苛立ったり、影響されてちょっとだけ心持ちが変わったりする
そういうさらっと心に触れてくるような表現が僕は好きです
そんなことを考えたガチ文化祭の3日間でした
おやすみなさい~
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