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愚痴だけ、楽しいことだけ言う関係性にうんざりする

愚痴だけ言う人が嫌いだ。

「大変だね」と、きいてるだけですめばいいのに
「君は愚痴ないの?」ってやたらきかれるから。

そこで言わないと、変に妬まれたこともあった。

「この人は愚痴を言わない人だ」認定されて
言いたい時に言わせてもらえないこともあった。

言ったら言ったで、勝手に広められてしまうこともあった。

何より嫌なのは
「ああ、きっとこの人は、私の愚痴も他の人に言うんだろうな」
と思うから。

今はそうせずとも
今後私が、愚痴の話題である人と同じ失敗とか
同じ振る舞いとかをしたら確実に言われる。

「君はこんなことしちゃだめだよ。こんなことしないよね?」
そう言われているようで、重い。


だからといって
愚痴NGにもできない。

職場の上司が、部下の愚痴をきくことで
社内環境の改善に役立つこともある。

いじめられている人の愚痴をきくことが
相手の命を救うこともある。

私だって愚痴を言いたいこともある。
その自由を否定するのは、自分の首をもしめる。


楽しかったことしか言わない人が嫌いだ。

なんだか
自分だけが愚痴を話している気がして
相手を不快にしていないか不安になってしまう。

実際
そんなに愚痴を言ってないつもりだったのに
愚痴をいうタイプの人認定されて
距離をとられたこともあった。

逆に
心配してるからなのか
他に話題がなくてつまらないからなのか
愚痴をやたらに求められたこともあった。

なによりも
もし本当に
相手が愚痴なんてものが一つもない環境にいるなら
それを妬ましいと思ってしまう自分が嫌だ。

もし本当は
相手が愚痴があるけどあえて言わないのだとしたら
私に心を開いてくれていないんだろうか?

この人が愚痴に負けないのは努力してるからで
私ももっと頑張るべきなのだろうか?

そうやって勝手に思い詰める自分が嫌だ。

だからといって
OOちゃんも悩みがあったら言ってね!とあんまり言うのも
気をつかっているふりをして
相手の不幸を願っているみたいで嫌だ。


どっちのタイプも私は嫌いだし
私自身である。

だからこそ「相手もそうなのかも」と思う一方で
もっとバランス良く愚痴を言ったり
楽しかったことをシェアしたりできないかなと思う。

それができる存在になることが
家族、恋人、友人、仲間 の最終形態なのではないだろうか。

でもきっと、そうできないことが多いから
その時の気分で
会う人を変え、SNSアカウントを変え
愚痴りたい者同士、楽しく話したい者同士
マッチングするのかもしれない。

どんなときも本音で話せる相手はまやかしだ。

だからこそ切ることのできない
愚痴だけ、楽しいことだけ言う関係性に
うんざりする。

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