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何も書けなくなってひと月が経とうとしていたとき、不意に本棚で息を潜めていた1冊がきらりと光った気がした。

吉本ばななさんの「キッチン」。



あまり人に話したことはないけれど、実は時々、"本が呼んでいる"と直感する時がある。

なんだかスピリチュアルみたいだけど、そういう時本屋さんにいくと大抵は楽しみにしていた新刊が出ていたりする。

必要な時、必要な本に呼びかけてもらえるのはとてもありがたいことだ。

この「キッチン」はきっと今なのだろうと思って、閉じられたままだった薄い表紙を捲った。




去年の暮れ、物語の世界に飛び込んで全てを忘れたいと思った。ただ疲れた心を癒したくて、ふらりと書店に立ち寄った。


思いつくままに手に取った本を3冊、

嘘、本当は30分くらいお店の中を徘徊して、

手に取っては棚に戻してを繰り返し「この世に私のためのとっておきの1冊などない」とようやく諦めがついた頃に、たまたま手元に残った3冊を買った。


他の2冊はすぐに読んでしまったのに、この「キッチン」だけはしばらく気が向かずお飾りになってしまっていた。

先の2冊が、自分の思っていたのと少しばかり、いや本当はまるきり違ってしまっていたから、
最後の1冊はもうなんだかあてにならなくて読む気にもなれなかった。


それでもこの1冊は、私のための本だった。
なんてあんまりにも傲慢だから、正しくは
「私が読みたかった本」だった。


『人々は電子書籍で本を読むようになるから、紙の書籍を扱う本屋や図書館なんかは、これからどんどん衰退していく。そこで働く人々の非正規雇用化が進み、働き口がなくなっていく。』


次に就く仕事のことをぼんやり考えて、そうだ、司書になりたい、と思った矢先、
YouTubeでたまたま見かけたその方はきっぱりと『司書はお勧めしない』と言った。


そのときはそうか、それなら仕方がないと簡単に諦めてしまったけど、今は少しばかり反論がしたい。

紙の本が無くなるのは悲しい。
電子書籍は、私を呼んではくれない。


背表紙を見て気に留めることができないし、手に取ってその重みや厚みを、表紙の手触りを感じ取ることができない。


学生時代よく使っていた最寄駅の本屋さんがドラッグストアに変わっていたのを知ったとき、もうこの世に居場所がないような気になってしまった。


私は本屋さんが好きだ。

本には息遣いがあって、本屋さんは本たちの呼吸で渦巻いている。

だから、この世から本たちの呼吸を、それが聞こえる場所を失くさないでほしいと願わずにいられない。


どうにか、こうにか、ひどく滑らかな液晶の手触りしか思い出せなくなってしまう前に、


私はまた、とっておきの1冊を求めて本屋さんに足を運ぶのだろう。

電子書籍反対!なんて声高に叫ぶことはもちろんしないけれど、私は私の好きな場所を守っていくために、時々本を買って帰るとここに誓う。


…お小遣いの許す限り、だけど。


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