変わり者扱いしてくる人たちに救われているかもしれない話

皆さんは自分のことを「普通」だと思っていますか?

自分は他人から変わり者と言われても受け入れられるくらいには「変わり者」だと思っています。

記憶にある限りで初めて他人から「変わってるよ」と言われたの幼稚園の年長の時です。同じくクラスの人が皆で外に虫取りやら鬼ごっこやらで外に出て元気に駆け回ってる中、友達と先生の誘いを断って自分は教室の中でクーゲルバーンで黙々と遊んでいました。すると、りゅうのすけくんが「外で遊ばないの?皆外で遊んでるのに変だよ」と言ってきました。自分はそれでもクーゲルバーンで遊び続けてました。りゅうのすけくんのことを責めるつもりは微塵もないですし、23歳になった今でも「普通なら」外に出て遊ぶんだろうなと思っています。

閑話休題
皆さんは「クーゲルバーン」って知っていますか?ドイツの木のおもちゃで様々な形のパーツを組み合わせてビー玉を転がすコースを作って遊ぶものです。名前は知らなくてもピタゴラスイッチで使われてる感じのやつと言ったらイメージつく方も多そうです。幼稚園にいる3年間は黙々とクーゲルバーンで遊んでいるのと、とても裕福な女の子の家に4人ぐらいで集まってどうぶつの森をしていた記憶が強いです。

こんな感じのパーツが無数にあったので、毎日遊んでも飽きなかったです

本題に戻しましょう。まあそんなこんなで自他共に認める「変わり者」としてこれまで生きてきた訳ですが、短いようで長い人生の中では「変わり者扱いしている人」に対して善意で「やめてあげなよー」と庇ってくれる人もいました。(因みに当時の自分としては何と思われようがどうでもよかったです。)
しかし、社会に出てから1月程経ってからふと気づきました。これまでは進学や進級で身を置く環境が変わっても数日経てば「変わり者」として扱われてた自分が会社では「普通」の人として接さられていることに。

単に自分が社会に適応するように変わったのなら良かったのですが、自分視点だと特に何も変わっていないですし、変える意識もしていないです。ということはこれから仕事を覚えて関わる人が増えるにつれて少しづつ自分が「普通」ではないことに気づく人が各々のタイミングで訪れてしまいます。

これは自分大好き人間にとっては非常によろしくない環境です。学生時代のように共通認識としてあった「変わり者」が存在しないので、当然のように「普通」を投げかけてきます。
自分は普通がわからない(10人いたら過半数以上はこういう行動するだろうなってことは後から認識できますが、即座に行動に反映することはできないです。言うは易く行うは難しのような感じです。)ので、「普通」についてまず尋ねることになってしまい、その人にとってはあまりにも当たり前のこと過ぎると意図せずとも相手を困惑させてしまいます。
しかも、ひとたび自分が何か指摘しようものなら大体は「普通」の共通認識の中では言いたくても言えないことだったりするみたいです。
「余計な事言わないで」と言われても発言の時点で余計な事だと認識していないので難しいです。

皮肉なものでこれまで自分は他人と関わらないことによって他人と関わるのに快適な環境に身を置くことができ、他人も「変わり者」と関わって面倒ごとになるリスクを減らせる。互いにWinWinだったわけです。それが社会に出て半強制的に多くの他人と関われば関わるほどコミュニケーションに齟齬が生じるようになってしまっているわけです。

いや~人間って面白い生き物ですよね。


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