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紛れもなく生きているのに、死んでいるみたいな。

「色々なことから逃げ出したい期」なのか、音楽を聴いていないと落ち着かない。音楽を聴くことで、いわゆる現実逃避をしている。

一昨日、とても好きな曲を見つけた。sancribの《ブルーバレンタイン》という曲。すぐにダウンロードした。
サブスク黄金期、音楽がアルバム単位で聴かれることは少なくなったという。
確かに私も、アルバム単位ではなく楽曲単位で音楽を聴くことが多い。

今日、WANG GUNG BANDの《風を追いかけて》ばかり聴いていた。22時、また聴いた。
そこから続けて自動再生。猫戦、プププランドなど好きなアーティストの曲が流れる。次に流れた曲は、初めて聴く曲。良いなと思って曲名を見ると、sancribの《darling》。

sancrib?見覚えあるなと思い、アーティストページへ飛ぶ。トップに《ブルーバレンタイン》という曲がある。そうか、一昨日この曲に出会ったのだった。

(彼らの楽曲、好きなのたくさんあるかも。)と期待を込めて、最新のアルバム「alacarte」を再生した。《i love you》という曲が流れ出した。
うわ、好きだ。

そしてアルバムを聴きつつ、インターネットで検索。「sancrib」と入力すると、穏やかじゃないキーワードが関連して出てきた。
人の死には弱い。何も知らないうちから、息がグッと苦しくなった。

そして嫌でも知る。

sancribというバンドのフロントマンは、今年の4月に急逝したのだ、と。また苦しくなった。

その間にも、イヤホンから彼の歌声がずっと聴こえていた。

全ては私のスマホから得られる情報であり、事実であり、音楽であり、詩である。全部本当で全部嘘みたいに思えた。
今聴こえている声の主の死、それを実感できなくて寧ろ自分が死んでいるのではないかと思った。
紛れもなく生きているはずの自分は、今を生きている自分は、何を見て聴いて感じているのか。一瞬分からなくなって宙に浮いた。

ずっと心地よい音楽が耳元から聴こえている。

死んでいるみたいに生きている自分と、生きているみたいに死んでいる声の主と。境界がわからなくて、今もよく分からない、混乱している、憂いている。ただただわたしは、死んでるみたいに今を生きて、遺された音楽を聴くことしかできない。

言葉にすることで初めて、物事は形を持つという。言葉にすることで初めて、思考が成立するとも言う。わたしが今与えた言葉は、何を成り立たせたのか。

遺してくれて有難う、偶然受け取ることができて良かった、そんなことしか言えないのだ。

よくわからないから 幸せな結末を想った

と、耳元で今。


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