私は繊細なのか、私はHSPなのか

※2020年に書いたブログ記事を編集しました。

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なんでこの人、このことに気づかないの?ていうか気にならないの?なんで目に入らないわけ?

今まで、特にクソ社畜時代にこんなことを考えてよくイライラしてた私。

はじめての転職先は、仕事内容は新卒クソ会社と共通するところもあった。けど似たようなことに遭遇したとき 
「あー…また気づいちゃったよ…だって目に入るんだもん…」
と、周りにイライラするというより、気づいてしまう、目に入った自分自身について思うことが多い。

これが繊細っていうことなのかなぁ。

心理テストや性格診断でも「繊細で傷つきやすい」と診断されたことは何度かあったけど、「まぁ、そういうとこもあるよね」という程度の捉え方でした。

繊細で傷つきやすいなら、私はもっと強くならなきゃ、と思ってました。

強くって、どんな風に?どの方向へ?そもそも、本当の強さって何?当時の私に問いかけたくなります。

HSPという言葉をよく耳にするようになり、あのクソ会社を辞め転職活動、色々な経験や人との出会い、見聞きしてきたものから、自分自身がHSPの気質を持つということを知りました。その中で繊細は後天的なものではなく気質であること、そして欠点ではないこと(これを聞いた時すごく安心して、救われたような気がした)、繊細であることが自分の感性や感覚を豊かにしてくれているということも知りました。

そういえばあの時も、あの時も…と、今まで経験したことがつながった、過去にあった出来事に納得しました。


 繊細さんの本を読みました。
 この本を読んで、繊細の特性を知り、自分自身のことを振り返りました。(繊細という言葉ひとつでも、人によって異なるとのこと。)


この本を買う少し前のこと。

  「理央さんはきっと繊細なんですよ」
転職活動をしながらバイトをしていた時、バイト仲間の子に言われました。心理テストや性格診断で書かれたことはよくありますが、人に面と向かって「繊細だ」と言われたことははじめて。

私の行動や言動、特に人から言われた言葉に対してどう思ってるかなど(行き帰りが一緒なのでよく話してた)から、「理央さんの話を聞いて繊細だなぁって思うことがよくあるんです」と教えてくれました。

細かいことに対して「気にしすぎ」という言葉をよく使われ、向けられていました。
けど「繊細」という表現をされたのははじめてで、驚きました。

「私って繊細なの?」「細かいところとか、気づいちゃうことって繊細の特徴でもあるのかな?」
と、どこかで繊細=打たれ弱いという認識をしている自分自身が「繊細」ってどういうことなのかな、と思ったのでした。

 「気にしすぎ」は、よく言われます。

相手は何気なく言ったひと言を、あの人は何気なく言ったんだと、言った当の本人は気にしていないこともわかっていながら、しばらく引きずります。

その中にはほんの少しの悲しさ、ショック、もっとこんな表現ややりとりをしていたら、そういう言葉をもらうことなかったのかな、とか…何であの人の言葉ひとつでこんな思いしなきゃいけないの、という悔しさもにじんで、ぐるぐるしてそのことで頭がいっぱいになったり、ふと思い出してしまったり。
一方で、自分自身が発した言葉も、気になって気になって仕方ない時があります。
言葉づかいが失礼じゃなかったかな、とかもっと別の表現の方が良かったんじゃないかとか、受け取った相手が決めることにもかかわらず、ぐるぐるします。特に気にしてないかもよと言い聞かせながらぐるぐるするっていう矛盾だらけなことをよく繰り返してます。 

繊細さんの本を読んで、繊細な人の特徴でいくつか当てはまるものがあります。そういえば、私あのときこうだったな。と。
当てはまらないものも少しありました。
沢山当てはまると繊細で、少ないと繊細じゃない、というわけでもなく、少ないけど、そのひとつひとつがものすごく当てはまる場合も繊細という気質を持つようなのです。私は沢山当てはまる、の方でした。

特に「そう!それ!!!」と思ったことがあって、繊細な人は聴覚や触覚など、いわゆる五感が鋭かったり、感じ取る力が強いとのことなんですけど、私の場合だと「嗅覚」がめちゃくちゃ納得でした。すごくにおいに敏感なんです。

繊細な人に限ったことではないと思いますが、私は電車やバスのにおいがダメ。小さい頃は車もダメでした。電車は通学や通勤で慣れてきたけどバスはいまだに苦手。なんだろう…あの自然でもない人でもない、かといって機械とも言い難い表現が見つからないにおいがダメ。乗り物酔いしやすいってのもあるんですけどね。コロナ禍になる前から、交通機関を利用するときはマスクをつけたり、持参していることが多かったです。うっかりマスクを忘れたときはハンカチで口をおさえてました。苦手なにおいの刺激を小さくできます。ハンカチは周りから見たら「それ、どうなの?」と思われるかもしれないけど、ハンカチから柔軟剤の香りがふわーーっとしてくると心地いいんですよね。

においに敏感なのは、特に嫌いな人に対して。

新卒クソ社畜時代に「この人、嫌いだな」って認識するかなり前に、その当人のにおいを少し不快に感じたことがあります。いわゆる悪臭ではなくて、「この人の香り、においが好きじゃない」というものでした。他の人にそれとなく話すと「え?あの人においなんてしてます?」という反応でした。においを感じているのは自分だけだったんです。

今となってはそれが一種の警鐘だったのかなと思いますが、においが好きじゃなかった当人たちとは後々合わず衝突しました。

あの時の「私だけにおいを感じ取ってる」って、そういうことだったのか…と、自分の感覚、いや、嗅覚はかなり正直で自分にとっての正解だったんだなと思います。


感覚が強いのも気質だから良いものも悪いものも目に入るし気づいてしまう。それを「気にしすぎ」だと、新卒クソ社畜時代は鼻で笑われてました。「気にしすぎなんじゃないの」には、「なんでそんなことが気になるの?」「細かすぎ。気にしなきゃいいのに」を感じ取ってました。

私からしてみれば、最初に書いたなんで気づかないの?気にならないの?目に入らないの?なんです。

気にしすぎな私がおかしいのかな。やっぱり細かすぎるのかな。と思う反面、相手が気づかないことへの苛立ちや否定したくなる気持ちがむくむくしてしまうこともあります。 

そんな私が自分がHSPという名前を知る前から実践していたことがありました。
 

・物理的に距離をとる
新卒クソ社畜時代のときに衝突した人のひとりに、直属ではないけど同じ課内の上司がいました。嫌いになる前に「においが不快だな」と感じた人のひとりです。

その人は毎日毎日、私の直属の上司や課長に報告と相談をしてきました。嫌でもその姿は目に入り、話す内容が聞こえてしまいます。おまけに私だけが不快に感じているその人のにおいも漂う。

「報告と相談」というのは名称だけで、ずーーーーっと愚痴ってるのが聞こえてきます。聞こえてしまう。「また始まったよ」と毎日うんざりしてました。
その姿を見て「社会人になって会社で働くと、嫌でも理不尽なことには遭遇する。理不尽なんて大っ嫌いだけど、それでもやるんだと自分を奮い立たせてきた。でも愚痴ってばかりのこの人が管理職とか…今までの私がバカみたい。」と、げんなりしてました。

それから「こうしよう」と具体的な対策に至ったわけではないのですが、いつの間にかその場面に遭遇すると、私は席を立って別室で作業したり、トイレに行くようになり、物理的な距離をとるようになりました。
戻ってくると「今日のその場面」は終了しているので、安心して自分の席で仕事を進めることができました。 

その人の相談と見せかけて愚痴る姿、不満の内容と声、漂うにおいは、私にとって不愉快な刺激だったので、嫌な刺激を見えないように、聞こえないように、におわないようにしたんです。
あえて避ける、距離をとることは、自分にとっていいことなんだなと思いました。

・好きなものを身につけることで心地よく、守られてる
最初の転職先も、現在の職場も服装自由です。好きな服を着て好きな靴をはいて仕事してます。たまにアクセサリーもつけていきます。
これは自分にとって主に触覚と視覚の良い刺激になってるのですが、ほぼ毎日好きな服を着て1日過ごせる、というのは本当にうれしい。好きで買った服を着ることの嬉しさや、好きなものに包まれてる心地よさ、守られてるという安心感もある。最高。新卒クソ社畜時代は制服でした。見た目も生地も自分にとって無理すぎてしんどかった。よく9年もあんなものに身を包んで我慢したよね(←ひどい)、えらい。

誰にどう思われるかじゃなくて、空気読めじゃなくて、自分が好きな服を着て仕事したい。マーチンをはいて仕事したい。仕事でも赤リップしていきたい。
今はありがたいことにそれが叶っていて、マーチンをはいて仕事してるし、赤リップもつけてるし、好きなコスメを使ってメイクして仕事に行ってます。「服装自由」かなり大事。

繊細な自分の「好き」を大切にすることは自分の感覚や感性を豊かにしていくし、「嫌い」をごまかさないで大切にすることは自分にとっても相手にとっても幸せなんだと思う。

気づいてしまって感じることがあったり、感じる力が強いからぐるぐる思うことも沢山ある。 

 「もっと楽な生き方すればいいのに」と言われたことがありました。何人かに言われたなぁ。自分でもわからなくなっちゃった。

私にとっての「楽な生き方」は「気にしなければ楽に生きられるのに」じゃなかった。
色々なものに気づいてしまう「繊細さ」を認めて、仲良くなることが心地いい生き方なんだと思いました。

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ということを2020年の今頃、私は書いていたのだけれど、今現在の私は時々自分がHSPなのかどうかわからなくなる。なのでブログから引越ししてきたこの記事を大幅に編集した。ブログに公開してた時は感覚のことについてのエピソードやらなんやら、つらつら書いていたので、消した。
タイトルも変えた。最初は「こんにちは、繊細」というタイトルだった。

今でも繊細さんの本のHSP診断、ネットでHSP 診断と探しチェックするとHSPである確率が高いという結果になるけど(気質だからね)、当時の私はHSPである、繊細であるということを繊細でない人、とくにクソ社畜時代に関わっていた人たちを否定して馬鹿にしたいがために感じていた部分があった。

わからないの?気づかないの?そうだよね。繊細じゃないもんね。と、自分が色んなことに気づいて感じ取ることを優位に感じている気持ちで書いてるのだ。

私はHSPだから、繊細だからと、あらゆる物事の理由にしたかった。
私はHSPや繊細であること以上にHSP、繊細でありたいという「なりたがり」だった。

自分自身がもともと持つもの、気質に気づいて抑えつけるのではなく、生かしていくことが大事だし、繊細さんの本はそういう想いもあって作られたと思う。当たり前だけど人を否定するための道具や理由じゃない。

あの時のブログ記事をそのまま載せることが、なんだか違和感で気持ち悪かった。

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