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資本主義に組み込まれてる感じがした話


販売員アルバイト体験日の出来事

ドイツではお仕事を始める際、試業日を経て契約を取り決めることが多い。
今回はセールスのアルバイトの面接が通り、日本で言えば伊勢丹のようなデパートで洋服の販売員をしてきた。

初めての体験・環境だったからということもあるけど、終わってから1日ぐらいとても疲れた。それもそうだし、「私たちの生活は資本主義に形作られている」と強く感じたことも疲れたことの要因だと思う。

上司・従業員・客という役割を演じる私たち

デパートの洋服売り場という場所で、そういう構造のフロアで、私は先日従業員を「演じて」いた。
いつもなら客であり、買うのも買わないのも自由だし、好きなだけ店内を動き回ることができる。
しかし先日は従業員として服装や行動内容・範囲も制限され(といっても日本ほどマニュアルガッチリではないけれど、こちらの方がむしろ自由度は高いけど)ている感じがして、少し苦しさを感じた。
ファッションが好きで、自分の好きなテイストの服を探したり、触り心地の良い服を触っているのはとてもいい。

苦手な人を感知した

また疲れてしまった原因として、直感で苦手な上司を感知してしまったこと。それが以前別の職場で苦手だった上司と似ていて、感覚でそれがわかったこと、距離を置こうと思ってもなかなか難しかったこと、などなど。その日以降、帰ってから10時間ぐらい寝たし、蕁麻疹とか消化不良にもなった。
その先輩が言うには「販売員はお客さんに話しかけないといけない。そうすればお客さんに購買意思があるのかないのかすぐわかるし、ことが早く進む。あなたがしてるのは店内の散歩。服を綺麗にするのも表面だけで、下の層からきちんと直してない」
確かにコミュニケーションをとることは大切だし、服をきちんと畳むことは大切だけど、私の真似をして、私のことを指摘しなくてもいいじゃない、と思う。

また、他の人にも言えることだけど、学術的な場以外で、個人の行動に対して、「なぜあなたは〜〜したの/するの」と言う言葉が私は苦手だ。
その先輩もそのフレーズを使ってきたけど、責められているように感じる。
もしかしたら単に理由を気にしてるのかもしれないけど、そのフレーズがなくても会話は進むじゃない、と思う。もしそのissueを解決することが最優先なら、whyを今聞かなくてもいいじゃないと。

生産性が重視されるから出てくる生きづらさ

また、先輩に反発したくなったのは、「販売員はお客さんに話しかけないといけない。」と言うフレーズだ。私が客の立場だったらあんまり話しかけてほしくないと思う。それでもコミュニケーションをとることは好きだし、もちろん話しかけて欲しい人もいるのかもしれない。様子を見て話しかけたり、そうじゃなかったりすると思う。

私がお客さんに話しかけていないタイミングだけを見て、「会話しなさい。そうでなければ売り上げは伸ばせない。あなたは給料を支払われる価値がない」みたいな考え方を、私は好きになれない。私は先輩のフレーズから、「この業界では、生産性がない人には価値がない」と言うメッセージを感じた。他の先輩は優しかったし、私はこの先輩が他の先輩と話してるのを見たことないから、チームとしての空気はわからない。

その先輩は資本主義的考えにどっぷり染まって、それを他人にも強要してるのかもしれない。この「生産性ないといけない」と言うstatementが、「私は常識や社会規範から外れてる」と言う思いを生み出し、体調不良とか、精神疾患とかをも生み出してるんじゃないかと思った。それから文系<理系な価値観だったり、いっせいの新卒就活とか、文学とかが排除される傾向とか。

もしお金がなかったら、私もお金にあまり価値を見出さないだろうし、お金のことに悩まないと思う。それでもお金がなければ今の所生きていけないし、お金によって豊かに生きられている面もある。

脱資本主義!ってわけじゃないけど、資本主義との共存もでき、個人が自分らしく生きていけるような、多様性のある、コミュニティや空間を作っていけたらいいなと思った。


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