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原美術館:「最後の展覧会」で、自らの時もすくう。

2021年1月11日、惜しまれながらも約40年の歴史に幕を降ろす原美術館の最後の展覧会「光ー呼吸 時をすくう5人」を訪れました。

私がはじめてここを訪れたのは、2年前、2018年のちょうど今頃。その時も、品川駅から原美術館まで歩く道中が、今日と同じように黄色に色づいたイチョウの葉で敷き詰められていました。2歳の娘をベビーカーにのせながら「この登り坂...ベビーカー押すの大変...」なんて呟いていた、そんな2年前の記憶も蘇ります。

アートは、好き。でも、作品について、私なんかが偉そうに語るなんて申し訳ない。理解を間違いそうで、恥ずかしい。

そんな風に思ってきたけれど、現代アートを知れば知るほど、これからは自分が作品と向き合って、作品と対話して、そこから自分が受け取ったメッセージを、シンプルに綴って良いのだと思うようになりました。

全体の鑑賞が終わった後、Cafe d’ARTにて、小休止。一人で美術館に来るなんて久しぶり。贅沢な気分になり、赤ワインをいただきました。中庭を眺めつつ、光と、風と、建物の呼吸を感じながら、今「この瞬間」「この場」で、私が感じたことを記録しはじめました。これが、すごくよかったです。時間があくと薄れてしまうかもしれない気持ちや想いを書き留められました。

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「光ー呼吸 時をすくう5人」

Tomoki Imai 今井智己
Tamotsu Kido 城戸保
Tokihiro Sato 佐藤時啓
Masaharu Sato 佐藤雅晴
Lee Kit リー・キット

アーティストの紹介は、展覧会のページにあるのでリンクを貼っておきますね。個人のサイトを見つけたものは、ご本人のお名前のところにリンクを貼りました。

Lee Kit リー・キット/ 宮島達男 みやじまたつお

はじめて原美術館に娘と訪れた2018年。その時に開催されていた展覧会が、リー・キットの「僕らはもっと繊細だった」でした。ちょうど、現代アートに、興味をもち始めた時期でしたが、まだまだ初心者です。

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当時、娘が一番ハマってしまった展示が、常設展示となっている宮島達男の「Time Link」。真っ暗なトンネルのような通路に、時を刻む赤と緑のLEDカウンター。今、この「カウンター」をみれば、瞬時に宮島達男の作品だ!、と分かるのですが、2年前の私は、無知の極み。「不思議な作品だなぁ...」と思いながら、この通路を出たり入ったりと繰り返し、館内を冒険するかのように動きまわる娘を追いかけながら、周りの目を気にしながらの鑑賞でした。

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宮島達男の作品コンセプトは、著書「芸術論ーArt in Youー」に記載されています。『それは変化し続ける それはあらゆるものと関係を結ぶ それは永遠に続く』 カウンター作品は、このコンセプトが如実に現れているなぁ、と思います。

所属しているアート思考研究会で「芸術論ーArt in Youー」の書評を書かせていただきましたので、よろしければご一読くださいね。

詩集のような、画集のような、そんな大切にしたくなる一冊です。

今回、原美術館を巡り、娘と歩き回った2年前を、具に思い出していました。ひとりで館内を歩きつつも、まるで幼い娘の幻影が動き回っているようにすら感じます。こんなに感傷的になるのは、この美術館がまもなく閉館される寂しさからきているのかもしれません。

2018年の個展をきっかけに、原美術館に、常設されるようになったリー・キットのー Flowers ー。はじめて訪れた時に出会った展示が常設となり、今回、また出会えたことにも、何かご縁を感じてしまいます。当時は、この作品もどう鑑賞すればよいのか、作品を前に悩んでいたなと思い出します。今は、窓から差し込む自然光と、プロジェクターから届けられる人工光。2つの光を浴びる作品に「Selection of flowers or branches」の文字。「リー・キットの送るメッセージは何んだろう」そんな風に作品と対話しながら時を過ごしました。

佐藤時啓 さとうときひろ

描き出される光は、まるで妖精が通った軌跡かのような、何か少し霊的なものを感じます。まもなく寿命を迎えるこの美術館の隅から隅までを、妖精が飛び回り、その軌跡は光となり、美術館はどんどん光に包まれ、最後は全て光になって消えてしまうのではないか、そんなイメージが浮かんできました。まさに、最後の展示にふさわしい、美しい作品。

今井智己 いまいともき

ーSemicircle Lawー 2011年の原子力発電所事故から「時」を捉える社会的なメッセージ性の強い作品。ここでも、2年前からの自分の成長を感じることになりました。それは、今井のシングルチャネルビデオ(12分)を、アートとして鑑賞できたからです。現代アートを知り始めた当初は、映像作品をなかなかアートとして受け止められませんでした。「何かしら撮影して、字幕がある。映画のドキュメンタリーのような、でも映画ではないし、なんじゃこりゃ!?」これが少し前の私の映像促品に対する感想でした。秋元雄史さんのアート思考ー芸術とビジネスで人々の幸福を高める方法ーを読み、現代アートを「単に視覚的に”きれい”というだけでは成り立たず、むしろ”美醜”の基準を超えて『人間について、視覚的な表現を中心にして、知性と感性を使って今の世界から捉える行為(p.213)」と理解してから私のものの見方が変化しとのだと思います。

1年後に何が起こっているか分からない現在。(今では、1ヶ月後すら見通せないかもしれません。)そんな世界で、30年後も(もしかすると40年後も)続いていることが約束されている廃炉活動。

このような重大事故も、時が流れ、人びとの記憶から徐々に薄れている事実。この作品を鑑賞し事故のことを少しでも思い出す。そこから「時」を考える、そんな時間となりました。

城戸保 きどたもつ

ー 突然の無意味 ー 何気ない日常の風景の中で本来の役割や用途からずれた「もの」を写真におさめ、「見ることやあることの不思議」を考察する作品たち。

46作品を一つ一つ鑑賞し、自分でそのタイトルを想像する。「ずれ」が、わかりやすいものもあるし、わかりにくいものもある。何がどうずれていると城戸は考えたのだろうか。そんなことを考えながら、展覧会のパンフレット片手に、まるでクイズの答え合わせをするかのように一つ一つ丁寧に楽しみ、時間がかかってしまいました。

佐藤雅晴 さとうまさはる

2019年に癌で、45歳の若さで早逝した佐藤。その事実が、なおさら鑑賞者を作品に引き込むのかもしれません。実写映像を忠実にトレースしたアニメーションで独自の表現を追求した佐藤。作品たちには、全て現実と非現実が同居しています。鑑賞していると、何がリアルで、何がフィクションなのか、だんだんと混乱してきました。実写の部分も、全てがアニメーションのように見えてしまう瞬間もあります。ずっと眺めていると、このアニメーションのどこかに佐藤の魂が姿となって紛れているのではないか、そんな風に感じてしまいました。

おわりに

純粋に、このような場所が閉館してしまうことが寂しい。自分の思い出も詰まった場所。身近にアートと建築を楽しめる場所。なんとなく高尚な気分に浸れる場所。

でも、閉館という事実によって、本来だったら、美術館に訪れていなかったであろう人たちも呼び寄せているのかもしれません。それで、ひとりでも現代アートのファンが増えるのであれば、それは美術館としても、現代アートとしても、次のステージへの一歩なのかもしれません。ちょっと偉そうに、そんなことを書いて締め括りたいと思います。次はぜひ、群馬県渋川市のハラ ミュージアム アークに、家族で訪れてみたいと思います。

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