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伝えたこと と 伝わったこと のちがい

ひとりひとりが発しているその言葉はもしかしたら独自の言語なのかもしれないとも思うの

同じ文字を使っていても、その言葉に託してる祈りや願いはみんなまるで違う

似たような意味だと教わってきた言葉だって、別の文字なら他の想いが込められてるのかもしれない

だからこそ出会えた言葉一文字一文字を丁寧に観察していけたらなって思う

それでもそれでも、伝えたこと と 伝わったこと はちがうのかもしれないけれど、読み解こうとする姿勢は失いたくない

一人一人が発する言葉が独自言語だとしたら、それらにどうこたえて(応えて・答えて・堪えて)いくのか

そもそも誰も同じ言語を話してないとしたら

そんなお話でしたっと

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