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山形県北部の最上町でアスパラガス農家をしています。 市場には出せない曲がったアスパラガ…

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山形県北部の最上町でアスパラガス農家をしています。 市場には出せない曲がったアスパラガスが勿体無いので、塩漬けにし熟成旨味調味料を作っています。

最近の記事

エッセイ

序論 ・はじめに(研究背景) 食べるを調べに山形県立図書館に行った。 農耕詩。 紀元前30年にはこの著者は炙り焼きをこの上なく楽しんでいた。 著作は、エプクロス主義の哲学がもてはやされていた時代のもので、良きものを楽しみつつ人生を過ごすことを言われていた。 食物と友情は「汝自身を知れ」に勝る。 上記のことが書かれている文献に出会う。農耕詩に書かれている、食物と友情は「汝自身を知れ」に勝る。はその通りだなと思う。自分のことはわからない。自分が食べている物と友人を見れば、それが

    • #22

      日本では、国家に対する関係では、かつては「お家」すなわち藩の存在、あるいは「お店」の存在が大きかったが、幕末から明治にかけて、西欧列強による植民地化の脅威が切迫した為に、国家が前面に出ることになった。(藩意識から国意識への転換、お店意識から国事としての企業意識への変換) 相対的に見れば、日本では、血縁地縁は強く、人縁は薄いということになる。 参照文献:文化と営利 - 比較経営文化論 2019 以下、補足。 近代日本の「家」制度は、家督の継承を目的としていた為、家族におけ

      • #21

        甘さがエリートの料理を物語るものであったとすれば、庶民の料理は何よりも塩味が中心であった。一年を通じて最低限の食料を確保する役割を果たす保存食品の中には上流層の食卓に登場する素晴らしく美味なものもあったが、何と言っても家庭内で普通に作って食べるような「日常の」食生活の基礎となるものが圧倒的に多かった。これこそが、中世以来、金持ちと貧乏人、領主と農民の食のイメージを第一に区別していたものである。 食事の内容を選べるものに対して塩漬け肉を避けるように忠告している。なぜなら、塩によ

        • #20

          古代の日本列島に伝来した仏教は葬送儀礼とは分離していた。 両者が併合する契機は平安時代の浄土信仰にあった。 小農は、家族としてのみならず、その直系家族による小規模な農業経営単位としても存在する。中世までのような隷属農民を持つ家ではなく、夫婦一対の単婚小家族が家の基本となり農業経営を行う。16~17世紀にかけて小脳を基盤とする幕藩体制が整えられ、この小農に支えられた地域社会の僧侶・寺院が一般化した。 すでに仏教は鎌倉時代から室町時代末までに葬送儀礼と習合していた。 江戸時代に

          #19

          主として生業を通じたヤマとサトとの交流、相互補完である。 生活の糧を得ることが生きていく上での基本であるから、それは当然のことである。 しかし人は食べるためばかり生きているのでは無い。里から山へ向かうもう一つの理由には、信仰があった。古来、人々は山容の美しい山や険しい山に畏敬の念を抱き、尊祟の対象としてきた。 それは生活物資を与えてくれる里山ではなく、多くははるかに見上げる奥山であった。そうした山は、時に死者の集う場所であったり先祖の住まう場所であったり、大いなる力を持った神

          #18

          叩きの技法は紀元前からあり、中国の仰韶時代の土器にはその技法が既に用いられている。日本では、弥生時代に朝鮮半島から伝わり、古墳時代の須恵器にも叩きの技法が見られる。 叩きは中国、朝鮮、日本の他、タイやミャンマーなどインドシナ半島、あるいはアフガニスタンまで広く分布している。 5世紀の中頃前後に、須恵器を作る技術を持った工人たちが朝鮮から直接日本へやってきた。 6世紀末ごろ、百済からやってきた瓦工の技術との融合が、須恵器生産の第二期の大きな原因となったかもしれない。(古墳への

          #17

          須恵器には叩きの技法が残っていた。 文献には気泡を追い出すためにおこなったと書いてあるが、 技法的な部分で言えば、それよりも焼成中の陶土の収縮時の均一化と表面の凸凹による強度が発見され、その為に施した技法が器の表面に残ったと考えるべきだと思う。 物流の変化にもよるだろうが、それは古代から中世、それ以降の時代により扱う原土の粘性の変化なのかもしれない。 参考文献:田辺昭三【須恵-日本陶磁大系4-】平凡社1989 土師器があり須恵器があった。 土師器は素焼土器。須恵器はそれ

          #16

          想起(意味論的プラグマティズム)とは何か。 第一段階・異常の発見:主体は実質的に両立しないコミットメントを持っているに気がつく。 第二段階・修繕:矛盾した概念内容の修繕作業は、合理的な主体に課せられた義務である。 第三段階・想起:[主体は、修繕により得られたコミットメントへと至る過程を振り返り、それを合理的に再構成する※1]。現在へと至るプロセスや概念の変遷を進歩・発展の歴史として物語る。過去という偶然を歴史という必然に転化させる。概念が徐々に修正され、ますますいい概念になっ

          #15

          叩きの回数と対象の変化の関係はおよそ三つに類別できる。 一番めは一撃ないし数度叩きで動物を死に至らしめる場合。 二番目は何度も叩くことで、対象が柔らかくなるとか、徐々に薄くなる場合。 三番目は叩くことで対象が硬くなるとか、対象の内部にある成分の浸出量が増える場合。 これに、穀物を何度も唐傘で叩くことで、脱穀される籾の量が増加するような事例も含めて考えることができる。 例えば、植物繊維を叩いて制作する製紙の場合、叩く回数に応じて生じる植物繊維の変化を叩解度、つまりSR°(Sch

          #14

          市でのやり取りは、売り手と買い手の二者間で、会話によって全ての取り引きが成り立つところに特徴がある。会話による位置の特徴には、市での取り引きは、客が店に訪れてから、買う品目が決まり、商談が成立し、また客が離れるまでの一連の流れがある。 その流れの中で、客あるいは売り手から、取り引きが成立する上で節目となるような発言があり、会話が進んでいく。例えばある店では、商品を山積みにして計り売りをしたり、さらに分けて盛ってあっても値段が表示されていないなど、そもそも会話なしで取り引きが成

          #13

          職人の腕の磨き方に渡りがある。この職人世界独特の習慣は東日本では「西行」と呼んでいた。 西行と言えば、平安時代末期から鎌倉時代初期に活躍した歌人、西行法師を思い浮かべる。 西行が生涯にわたって旅をして諸国を遍歴したところから、各地を廻って仕事をして腕を磨くこと、あるいはその職人をこう呼ぶことになった。 ここに渡りの作法なるものがあり、渡職人には訪れる時間や仕事場での作法や挨拶に厳しい決まりがあった。それが出来なければ最初から相手にされなかった。 仁義を切る必要項目として、出身

          #12

          台所は当時の社会情勢を反映していた。 ナチ時代(1933~45)、第一次世界大戦後の芸術革新運動、合理主義と民主主義の背景、テイラー主義の席捲、戦後の住宅不足、モダニズム建築の流行、参政権を憲法で保障された女性の社会進出が一挙に起こっている。 [...]1920年代に設計された住宅建築において画期的な発明となった台所がある。 台所に初めてデザインの統一感を持ち込んだ、効率よく利用できるよう設計された、低コストで建設されたという点で近代のシステムキッチンの先駆け的存在と言われ

          #11

          建築家の菊竹氏の設計仮説に、<か>(思考)⇆<かた>(知識)⇆<かたち>(感覚)という認識の三段階がある。 日本語の<かたち>は(形)という字をこれにあて、資格・触覚によって知り得られる物体の有様、形態、様子、状態を意味するもの(広辞苑)。しかし、本来<かた>(象)(兆)という語から派生して<かたち>という語が生まれた(日本古語辞典)とされている。<か>については(上)(日)で、ケと発音することもある。アイヌ語では上とか天を意味する言語であるらしい。 <かたち>というのは<

          #10

          西洋近代のアートワールドが求めるアフリカ美術と、アフリカで暮らすアーティストが作りたい作品ないし生活のために作っている作品が必ずしも一致しない。 […]つくり手だけではなく、作品を依頼したり、購入したり、鑑賞したり、贈ったり、使ったり、流通させたりする享受者の側にもさらに目を向ける事が必要となる。 参照文献:緒方しらべ【アフリカ美術の人類学】清水弘文堂書房 2017 消費する自我も1つの自我である以上、なんらかの形で自分自身を意識するものでなければならず、その意味では、少な

          #9

          嫌悪感と同じように、美味の定義は文化や伝統に応じて、地域ごとに大きく異なっている。 物理学者でコンピューター科学者のアンは世界中の素材を使ってレシピを作ったら、数千兆にもなる可能性があることを計算ではじき出した。 しかし、インターネット最大のレシピサイトやデーターベースを探しても、レシピの数は数百万足らずしかなかった。 厖大な風味の領域が探索されないままになっているのである。 アンはそれらを仮想的に明るみに出すことは可能かもしれないと考えた。 そして仮想空間に食材同士の結びつ

          #8

          不公平感は、ひどい味がするものを口にした時と同じ顔の筋肉の収縮を引き起こすのだ。 日常的な倫理規範である公平さを侵害することは、怒りではなく嫌悪感をもたらし、不公平かな提案を拒否しすることになる。 味覚は原始的な形の倫理規範に変身していたようだ。 基本的な「オエッ」という表情は、他人に対して明瞭かつ非常に効果的な警告を送ることができる。その意味は「吐き出せ!」だ。 そんな表情をしている人を見ても、共感してしかめ面になる。 こうした形の情報伝達は、人間の進化の遺産だ。 我々の