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#9

嫌悪感と同じように、美味の定義は文化や伝統に応じて、地域ごとに大きく異なっている。
物理学者でコンピューター科学者のアンは世界中の素材を使ってレシピを作ったら、数千兆にもなる可能性があることを計算ではじき出した。
しかし、インターネット最大のレシピサイトやデーターベースを探しても、レシピの数は数百万足らずしかなかった。
厖大な風味の領域が探索されないままになっているのである。
アンはそれらを仮想的に明るみに出すことは可能かもしれないと考えた。
そして仮想空間に食材同士の結びつきをマッピングした。
[…]風味は今や、あらゆる科学の交差点に位置している。
しかし風味の核心にあるミステリーは、未だに完全には解き明かされていないのだ。
科学は依然として、風味がいかに人間のあらゆる種類の経験 - 快楽、喜び、嫌悪感、痛み、記憶 - を包含し、新しい料理を口にするたび、一口飲み物をすするたび、そうした経験を何か新しいものに変え続けているのか解明できないのだ。
参照文献:ジョン・マッケイド【美味しい人類学】河出書房新社 2016

18世紀になると、ヨーロッパ全土において、中産階級であっても貴族や金持ちと似たような食事を味わえるようになった。レストランが君主の食卓に取って代わったのである。
大衆層は工場で働き始めたため、故郷を離れて暮らす人々が増えた。権力者は工業資本を握る人物になった。
参照文献:ジャック・アタリ【食の歴史】プレジデント社 2020

カニバリストにとって、信仰の最も重要な中心は禁欲主義による、この「合理的なシステム」であって、それに完全に身を委ね、いわば神の機械の部分品になりきることが、宗教的な慎みの表現だったと言える。
そして、その「合理的なシステム」の具体的な現れが、他ならぬ人間の職業の組織であり、したがって、真の信仰はそれぞれの職業に献身することにある、ということになる。
参照文献:山崎正和【柔らかい個人主義の誕生】中央文庫 1987

..私自身の実在が、それらの事物の私への現れ方に影響を与えるからである。子供や犬、アリであれば、私と同じ仕方でこの部屋に出会うことはないだろう。私が出会う事物は、私自身の可能性によって理解されている。(統一的実在的対象⇆隠された実在的対象から放出される様々な感覚的特徴・ハイデガー)
参照文献:グレハム・ハーマン【四方対象】人文書院 2017

参考文献
イヴァン・イリイチ【コンヴィヴィアリティーのための道具】ちくま学芸文庫 2015

#メモ