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#11

建築家の菊竹氏の設計仮説に、<か>(思考)⇆<かた>(知識)⇆<かたち>(感覚)という認識の三段階がある。

日本語の<かたち>は(形)という字をこれにあて、資格・触覚によって知り得られる物体の有様、形態、様子、状態を意味するもの(広辞苑)。しかし、本来<かた>(象)(兆)という語から派生して<かたち>という語が生まれた(日本古語辞典)とされている。<か>については(上)(日)で、ケと発音することもある。アイヌ語では上とか天を意味する言語であるらしい。
<かたち>というのは<かた・ち>によって成り立つものではないかとして<ち>を調べてみた。
その原語には[道]等がある。道は人の目的地に導く力があるということで出てきたと考えられており、その交点で物々交換をするところを市というのもここから出ていると言われている。

古代社会において農耕適地を見つけた場合、必ずその付近に住居に適した土地を探し出さねばならなかった。その時の1つの手がかりは、大木の茂る地点ではないか。大樹を目標に定住地を選び、その大樹の枝をはらい、樹皮を剥がして、これを建物の中柱と推測する。
心の御柱の特別な意味が、こうしたところから出たのではないかと推測したくなる。
建築はやがて腐食し、倒壊していっただろう。次の建築、つまり建て替えを考えなくてはならない。同時にその近くに建築用の一本の樹を選定し、心を込めて植えられたのではないか。
そうすれば、伝えらえている60年の建替周期(出雲大社の修繕)は、この樹の成長と建築の腐食の極めて巧みな調和ある周期に合致し、よく計算されたリズムをそこに実現したと思われてくるのである。
こう考えると32又説、16又説などの建造物の高さの問題も、自然に1つの結論に導かれるように思われる。つまり60年間にどれだけ用材が成長するかということが、極めて簡単な植物学的成育の実証によってである。
参照文献:菊竹清訓【復刻版・代謝建築論】彰国社 2008/1969

菊竹氏たちの「メタポリズムが素晴らしく新鮮だったのは、本質的にコンテクストを問わないものだったからだ」
参照文献:レム・コールハース【プロジェクト・ジャパン】平凡社 2011

#メモ