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#16

想起(意味論的プラグマティズム)とは何か。
第一段階・異常の発見:主体は実質的に両立しないコミットメントを持っているに気がつく。
第二段階・修繕:矛盾した概念内容の修繕作業は、合理的な主体に課せられた義務である。
第三段階・想起:[主体は、修繕により得られたコミットメントへと至る過程を振り返り、それを合理的に再構成する※1]。現在へと至るプロセスや概念の変遷を進歩・発展の歴史として物語る。過去という偶然を歴史という必然に転化させる。概念が徐々に修正され、ますますいい概念になっている(認識論的には世界のあり方を明らかにするということであり、実践的には行為の成功を資するということ)とみなす。

想起の結果、修繕の結果として得られたコミットメントは「事物が実際にどうであるか」「実体的なあり方」を表すものとされる。一方で破棄され修正された内容は「単に意識にとってのもの」だとされる。
想起とは「現在までのプロセスを合理化すること」だ。
同じことは概念についても言える。規範であっても概念であっても、私たちが創造するという側面と私たちを束縛するという二つの側面がある。
これは未来に目を向ければ、概念内容や規範は人間の態度に依存し、人間が「作る」ものだということがよくわかる。
今度は過去に目を向けると※1となる。
ある概念変化が「改良」かどうかを云々することも現在の視点からは意味をなさない。将来の世代が想起を行う際に残っている概念がまさに「よさ」の基準となる。

想起という作業には、概念の規定性や事物それ自体を分節化する客観的概念というものを理解可能にするための必要条件だと言われている。
私たちが現に有している概念や規範の本性からして、概念や規範を維持・管理し、再生産しつつ未来に残していくためには、想起することが現在の私たちに求められているということである。

以上のことは「絶対的観念論」の概念的観念論になる。他に、概念的実在論と客観的観念論がある。

「未来世代は自分たちを赦してくれるだろう」「未来世代は自分たちを合理的に再構成しくれるだろう」と信じる態度が、「信頼」に他ならない。信頼という態度で結びつき、互いに告白し赦すという互いにより構成された、過去から未来へと連なる共同体が存在する限りにおいて、その内部では、概念は進歩・発展しており、概念内容の規定性や表象関係が成り立つ。

参照文献:白川晋太郎【ブランダム推論主義哲学-プラグマティズムの新展開-】青土社 2021

#メモ