ぐうたらおやじ

登場人物、団体名等は全て架空のものです。

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最近の記事

医者になって少し学んだこと。-医学博士というもの②ー

論文の採用が決まると、学位論文として認められるために一連の手続きが開始となります。 まず、主査一名(通常、所属科の教授)、副査二名(他科教授:主査が選択)が決まります。副査の先生は論文の内容に関連無くても問題ありません。医学の世界は専門性が強いので、他科の教授は意外と内容を理解できていないこともあるようです。形式が整えば、その三人を含めた発表会があります。+αで発表者の友人や共同著者・実験者が聴きにきたりもしますが、通常、少人数での閑散とした、形式的な発表会に過ぎないと感じ

    • 医者になって少し学んだこと。-医学博士というもの①ー

      医学博士って、すごいのか?偉いのか?と聞かれたら「すごい人もいるし、全くそうでない人もいます。立派な研究もあれば紙の無駄遣いとしか思えないゴミみたいな論文もあります」とお答えする事になります。 医師以外でも取得出来るようですが、そちらは知識が無いので、今回は臨床医の医学博士取得に関して、お話します。 まず、博士号は医師免許の様な国家資格ではありません。それぞれの大学で独自の基準があり、何なら、大学のそれぞれの科、そしてさらに教授独自の基準があります。内容に関しては、医学論

      • 医者になって少し学んだことー接待というもの④-最終章

        駆け出しのころは、降圧剤、抗生剤の点滴等で、うちの会社の製品をどうぞよろしくお願いします!程度の依頼でしたが、臨床経験と共に、新薬の新規採用申請、医療機器の選定等、要求・売り込みが少しずつレベルアップしていきます。そうした要求の中では、例えば同様の機序で、すでに採用されている競合他社製品が存在している薬剤採用依頼なんてのは、特に困ります。是非、うちのものを!と言われましても、無駄な院内在庫を増やすのは、経営面において褒められた行為ではありませんし、自分自身、どうしても採用した

        • 医者になって少し学んだことー病院内でもエロいこと実際ある編ー

          研修医1年目の時、良性疾患の高校生(清純そうでおとなしい女の子)を担当しました。いよいよ明日が手術となり、きっと不安だろうから励ます必要があるなと思い、彼女の夕食後ぐらいの時間に病棟へ様子を見に行きました。6人部屋で明るく、着替えの時間でもないので、そっとカーテンを開けると、なんとそこには、横たわって彼氏と濃厚接触している患者さんの姿がありました。まさかの出来事に慌ててカーテンを閉め、まあこの精神状態なら大丈夫か?ということで、会話することもなく医局に戻りました。治療はうまく

        医者になって少し学んだこと。-医学博士というもの②ー

          医者になって少し学んだことー接待というもの③ー 番外編

          地方の病院から、トップ、3番目、私の3人が新宿で開催された学会に出張したことがありました。で、某製薬会社の担当の方から、宿泊日の夜、ノーパンしゃぶしゃぶ店「楼蘭」に、上司二人とご一緒にいかがですか?とお誘いを受けました。すでに上二人と関係が良くなかったので、わざわざ解放感ある都会の夜を一緒に過ごすなんて全く考えられず、久しぶりに小学校の同級生と会う予定を組み、丁重にお断りました。ただ、私自身はさほどモラルに厳しい人間でもなかったので、一人で誘われていたら、きっと嬉々として訪店

          医者になって少し学んだことー接待というもの③ー 番外編

          医者になって少し学んだことー接待というもの③ー

          さて、医師生活二年目は大学病院からほど近い総合病院で過ごすことになりました。そこでは上司が三人いて、トップ二人は仲が悪く、三番目はトップの腰巾着であったため、病院外で接待を受ける場合は、その二人、その二人+私、第二部長単独、第二部長+私、という組み合わせでした。トップ二人に密着しているMRさんは完全に固定されていて、いつもそれぞれ同じメンバーで食事会が行われていました。会話内容はというと、上司の同じ自慢話と、それをまるで初めて聞いたかのようなリアクションのMRさんのヨイショの

          医者になって少し学んだことー接待というもの③ー

          医者になって少し学んだことー接待というもの②ー

          研修医の身分として仕事が始まりますと、医局担当の各製薬会社のMRさん達から、早い段階でご挨拶を頂きます。そして、ボールペン、対光反射を調べるためのペンライト、意識分類表記載のカード、薬剤手帳等、業務に有用なものを無償で頂きました。医師生活そのものをまだ理解していないため、深く考えることもなく、自然に受け取っていたように思います。当時、ちゃんと「有難うございます」が言えていなかったような気もします。また、当時は電子カルテが存在せず、全て手書きのため、特に三色ボールペンはナースに

          医者になって少し学んだことー接待というもの②ー

          医者になって少し学んだことー接待というもの①ー

          現在の新臨床研修医制度と異なり、むかしむかしは、卒後、自身の卒業大学、あるいは出身地等の大学病院の医局に直接所属するのが当たり前でした。私が学んだ大学はかなりの田舎で、卒後学んだ大学を離れる学生も多く、そのため、そのまま卒業大学に残る学生の確保、争奪戦はなかなか激しいものがありました。私はそのまま残るつもりだったのですが、そうなると所属していた部活出身の各科OBからの勧誘がなかなか激しいものとなり、卒業試験の合間であっても、寿司だ河豚だのと、否応なく豪華な食事を伴う説明会に個

          医者になって少し学んだことー接待というもの①ー

          医者になって少し学んだこと。ー女性ってちょっとコワい編ー

          少年時代、任侠映画の影響で高倉健さんに強く憧れました。以後は硬派を気取り、あまり女性と接することもなく、普通に勉強を頑張って医師の道へ。 その後、否応なく全ての世代の女性とも接するようになり、少し学んだ「女性って、ちょっとコワい」こと。 大学病院で研修を始め、ナースは当時ほとんどが女性で、何もできない研修医に対しては教育的というよりは、感情的に注意する方が多かったように思います。自身もストレスを抱えていたためでしょうか?ただ、これはどこの病院でもよくある話で、まずは女性っ

          医者になって少し学んだこと。ー女性ってちょっとコワい編ー