医者になって少し学んだことー接待というもの①ー

現在の新臨床研修医制度と異なり、むかしむかしは、卒後、自身の卒業大学、あるいは出身地等の大学病院の医局に直接所属するのが当たり前でした。私が学んだ大学はかなりの田舎で、卒後学んだ大学を離れる学生も多く、そのため、そのまま卒業大学に残る学生の確保、争奪戦はなかなか激しいものがありました。私はそのまま残るつもりだったのですが、そうなると所属していた部活出身の各科OBからの勧誘がなかなか激しいものとなり、卒業試験の合間であっても、寿司だ河豚だのと、否応なく豪華な食事を伴う説明会に個人で参加させられました。敵?もさるもので、明日自分の科の試験だけれども、いくら出来が悪くても大事な新戦力を不合格=留年なんてさせるはずもないから、心おきなく飲んでくれ!ということになり、しつこく時間をかけて勧誘されました。当然、自分の科がいかに素晴らしく、他の科がダメかを力説されます。例外として、人材確保の責任者である医局長として、個人のポケットマネーで高級フレンチをご馳走してくれた先輩もいましたが、医局費負担ならまだしも、勧誘に懇意の製薬会社営業職員を同席させ、費用をその会社に負担させていたケースが多く認められました。私がほぼ入局を決めていた科では、廻らない寿司の後は二次会で高級ラウンジに連れていかれ、主賓として、良い匂いのキレイなお姉さま方に囲まれて過ごしました。今ではあまり見かけませんが、当時はチークダンスが当たり前のように高級店でも安いスナックでもあり、そのラウンジで、極限まで心拍数を上げながら、初めての密着ダンスで接待を受けました。緊張・興奮とはまた異なる、強烈な違和感でなんとか自我を保つことは出来ましたが、医者と製薬会社のいびつな関係を認識し始めたのはそこからでした。ちなみにその時の営業担当者は宴席の途中でいつの間にか姿を消し、支払いは後日行っていたとのことでした。つづく。

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