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優れるな、異なれ

二日前、だらだらとインスタグラムを眺めていた時に流れてきた動画で言っていた言葉だ。こういう偉人や偉業を成し遂げた人の言葉をまとめた動画や人の心に響くような言葉を時々、目にする。

見ているその時はそんな考えになりたいとか、日々の行いを改めてみようかな、とか一時的には考えるが数分後には忘れて何か違うことをしたり寝たり次の日にはそんな動画を見たことすら忘れて生きている。

最近、脳科学の本を読んでいるけれど人は記憶した物事でも1時間後には56%、1日後には74%忘れているということを学んだ。これを知った時は驚きよりというより、なんだか安心してしまったのだ。私は私を過信するから落ち込むのであって、そもそも人は忘れる生き物であるということを前提に置かなければいけないのだと思えた。

優れるな、異なれというのは何となく似たような言葉をニュアンスは違うけれど上司から言われたことがある。

人と同じとか普通はこうだよね、とか一般的には、常識的に考えて、みんなもそう言ってる、みたいな誰が決めたか分からないルールやさじ加減に従ったり自分の質を落とすな。
日々の仕事が企画が始めたことがどんなにうまくいって終わっても、達成感に溢れた日でも必ず改善点や修正点を探すこと、そして、それを毎回必ずすること、どうしたら更に良くなるかを考えろ。満足して終わるな。

二つ目の言葉は少し前までは上手くいった日も満足した日もそれを報告するとよく褒めてくれていた上司は私が当たり前のように上手くいく日が増えてそれが日常化して定着した頃を見計らって少し前に言ってくれた。

一定のパフォーマンスを安定して出来るようになった時点で次の課題を与えてくれる。以前、記事にも記載したが満足する為に成長し続けろと言われたあの頃はもう終わり次の段階へと引き上がったのだと思った。

満足というのはしてもいいけれど、大抵の人はそこで終わってしまう。これだけやったなら、これだけやったから、と安心するよりも結果次第で後もう少しやっておけば、と悔いる事がないように。その判断やその選択ややれる事はやったと思ってもベストは尽くせたのか?

最初は鬼のようだと思ったが今では言って貰えた事にとてもありがたいとすら感じる。

仕事が出来る人や発想の転換、それによって成功を納めた人はセンスや天性ではなく、常にぶっ飛んだことを考えているから必要な時に誰よりも何倍と飛び抜けたアイディアが出せたり正しいジャッジを下せる。普通やルールに乗っ取ったやり方よりも殻を破った方法で成功方を見つけ出したり格の違いを見せつける事が出来るのだと上司は言う。

そしてそれもまた自分をどのようにブランディングして自分をどのように人に魅せるか、の役にも立ち、その空間や空気感をデザインする事にさえ使えるのだとか。

時々、言うことが抽象的過ぎて分からず私は頭を悩ませるから言葉を砕いて別の何かに例えて説明してくれる時もあるがまるで師弟関係のようだなと笑ってしまう時がある。人として巡り合わせ、まさか大人になっても親のように育てようとしてくれる人に出逢うとは思わなかった。

「いつもより全員の残業を30分早く切り上げる事が出来たなら今度はその30分をどうしたら更に切り上げることが出来るかを考えるんだ」

常に思考を止めないことが大切だと教えられている。例え考えて導き出した答えが現実的に無理なことでも出来そうにないことでも、それで良いという。

こういう手もある、いざとなればこんな事も、もしかしたら奇跡が起きてこういうことだって起こるかも…、そんな風に常に人と異なる視点で俯瞰したり見る角度を変えてみる。それが成功したり飛び抜けた人だと。


年が明ける少し前、自分にはもう書く才能がなくなっているのではないか、書きたくて書きたくてたまらなかったあの頃の炎のような気持ちが着実に小さく消えかけていることに何となく気付いていた。

書くことに飽きたわけでもなく
書きたいことが見当たらないわけでもなく
でも
書き出すとこういう表現がしたいわけでもなく
少しずつ自信をなくし苦しくなっているような気がした。


読むことが好きだ、書くことも好きだし、いつか仕事にしたいという夢も消えていない。書く為に経験をして書く為に日々を生きている。空っぽな人生だと思っていたのに経験を書いた事で自分の人生にはそれなりに意味があって価値もあって苦しかった、泣いた日も無駄ではなかったと思わせてくれた。


好きな事ほど仕事にするのが辛いことはないんだぞ、と上司に言われた。

上司のいうことはいつも本質を突いていてイエスと言いたくない時もあるけれど結局は正しいのだろうと思うことがほとんどだ。

でも好きな事を仕事にしたりそれでお金を稼ぐことほど私は幸せなことはないと思っている。


この時代、もう情報は溢れかえっていて、知りたい事も成りたい姿も、悩んでも、困っても、どうすればいいかも、何もかも調べれば出てきてその全てが画面の向こう側で誰かが書いている。どの分野にも優れた才能に溢れている人しかいない。どこまで突きつめてもどこまで行っても上には上がいる。

でも私として産まれて生きた経験だけは私しかしていない。どんな人に出会い別れ何をしてここまで来たのか、それは自分だけのものだ。私だけではなく全ての人に当てはまる事だ。自信をなくしては何度もそう頭の中で言い聞かせてきたけれどこればかりはやっぱり何者にも変え難い事実であり、そしてそれを言語化して想いを添えて文章化して人に読んで貰えるように、興味を持ってもらえる書き方を出来るのもまた私しかいないのだ。

思えばnoteを書き始め、数ヶ月後に転職して今の会社に入ってから沢山の人に出会い悩み、沢山のことを知り考え方も捉え方も変わった。自分では気づいていなかったけど変わったのだと思った。

沢山のこと知ったおかげで今までと同じ書き方をしようとしても同じ言葉でさえ捉え方が変わったせいで自分で自分を受け入れたり、前と違う表現をする自分に勝手に不安になり、出来ていた事が出来なくなってそんな自分から目を背けていたのだと今日、やっと受け入れられた。

人は変化を拒む生き物だから、自然と変わっていく自分が怖かったのかもしれない。

騙し騙しやっていたせいで記事を上げる度に満足いく書き方が出来なかったと読み返し、趣味の一環や息抜き、唯一の自分が表現出来る場所だと思っていたのにそんな事にさえ自信をなくした。


優れようとするのはいいことかもしれない。人と同じになろうとすることで得られる安心感もあるしそれで自分を保ち、上手くコミュニティを作り人と関わり、それで成功する人だっている。

私はどうなりたいか、今もぼんやりとしているが頭一つ飛び抜けられるような異なる人になりたいな、となんとなく思っている。

なんかちょっとかっこいいし、人からかっこいいと思われたい時もある。業務や作業が早い人ではなくて仕事が出来る人になりたい。

ただ異なりたいと思う本当の理由を細かく説明することは多分まだ出来ない。人生の経験が浅すぎて自分でも異なりたい本当の理由に気付けていないから。

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