わたしの二次創作日記_15
5.一旦、創作は諦めようと悟った2021年の冬
②わたし、新しい沼を見つける
とりあえず、家族が今日も生きてる。
とりあえず、「今は」それだけでいい。
念仏のように、自らの心に語り続けた。
創作を「今は」、あきらめるために。
それでも、苦しい時は日記を書き殴り。
それでも、どうしようもない時はチラチラPixivにログインして、なんの通知も無くてため息をついた。
とりあえず、とりあえず。
無理しないことを最優先にしながら過ごしていたら、東京オリンピックが開催されないまま2020年は終わり、年が開けていた——。
創作を休止してからというもの、深海で生活しているかのように、身も心も常に重くて暗くてダルい。
そんな、なんとか息だけしているような生活を繰り返していた私に、運命の出会いが訪れたのは2021年の1月も半分ほど過ぎた頃——
「はぁ〜〜〜〜♡ くっつきそうでくっつかない、三人の関係性がたまらん……」
私は画面の前で、悶えていた。
ほぼ家にいる私の運命の出会いは、もちろん画面越しである。
今度はアニメではなかった。
ドラマだ。
ドラマのタイトルは「ノエルー聖なる夜にー」。
主な登場人物は、ウィリアム(男・四十代)、コレット(女・二十代)、ルイ(男・三十代)。
同じ事件にそれぞれ違う立場で関わることになった三人が「友愛と恋愛」「性愛と純愛」の狭間で揺れながら、事件の解決に挑む本格ミステリーである。
※ドラマの設定は、全てこの日記内の架空のものです。
私は「ノエルー聖なる夜にー」に登場する三人の。友達でも恋人でもない。
家族でも仕事仲間でもない。
その、なんとも「名前のつけようのない関係」に夢中だった。
3月になって最終回を迎えた後も、
心の中で好きなシーンを何度も何度も思い出しては、三人の関係を何度も何度も反芻した。
「事件の核心に迫ったシーン、ほんと良かったな。普段は穏やかで知的紳士なウィリアム(男・四十代)が、感情を露にして泣いて暴れて。
大切なものを奪われたウィル(ウィリアムのあだ名)の気持ち。若いコレット(女・二十代)にはわからないよね。
そんなココ(コレットのあだ名)を、思わず侮辱してしまうウィルを落ち着かせる為に、抱きしめるルイ(男・三十代)の哀愁あふれる佇まいがガチセクシーで。
それにしても、ココの魅力が悪魔的なんだよなぁ。周囲の人間を、無自覚で事件に巻き込み傷つける癖に、最後は全員を救うって……悪魔、天使、どっち?」
日に日に長くなる妄想と解釈の最後に、私はいつも悶絶した。
「こんな三角関係、見たことなかった〜〜(涙)
曖昧な関係が好物のオバサンの心は殺されて、三人と共に時は止まった〜〜(最大級の賛辞)」
ま、端的に言うと、
ドラマが終わっても、ずっと三人のことを忘れられないほど、どハマりしたのです。
時を、少し戻そう。
ドラマ「ノエルー聖なる夜にー」にハマったことで、海底から浮上しつつあった2021年の2月の週末——。
夫に子供たちを任せた私は、懐かしい友人との食事にウキウキしていた。
創作活動を休止して以来ずっと、深海にいるような気分で過ごしていた私は「家族とずっと家にいる生活が辛い。会いたい」と、年が変わる前から頼れる友人にヘルプ要請を出していた。(わたしの二次創作日記_14で、リモート愚痴会を開いていたユウコとミタさんではない。全員子供が小さいので直接会うのは大変だった為)
夫になんでも話せるようになったものの、毎日家にいて景色がずっと変わらない生活に、私は息も絶え絶えだった……。
その友人は、新卒で就職した中小広告代理店(超ブラック企業)を四年で辞めた私が、次に選んだ大企業(超ホワイト)で、派遣OLをしていた時に仲良くなった。
大企業故に定時で帰れるが、そこは純白の大奥(女だらけの部署)。
大奥は、広告代理店時代に比べたら仕事は本当に楽っだったのだが……。
仕事が楽過ぎて暇なせいか、
女たちは細かい事がどんどん気になってしまう。
すると個々人が、独自ルールを主張しだす……
「ボックスファイルの収納場所」や「給茶機の掃除の仕方」、「昼食時の席順」や「お土産をどこまで配るか」まで。
とりあえず常に揉めていた。
些細なことでピリつく土壌ができあがっているので、誰かの「結婚」「妊娠」報告があった時は必ず……
「土一揆じゃあ〜〜〜〜!」とばかりに「今後の業務配分について、各所で上司に激詰め(普段、暇そうな人に限って)」というイベントが勃発する……。
そんなきらびやか?な女地獄?で、どんなトラブルも仏ばりの広い心で受け止める、もしくは流していた「仏のほっしゃん(女・三十代・独身)」と、私は久しぶりに会っていた。
ほっしゃん(仮)は「狂言、落語、ミュージカルなど、とりあえず舞台全般が好き」という人で、オタク気質の私とは話が弾んだ。おまけに年も近かったので、出会ってすぐ意気投合した。
コロナ禍以降会っていなかったので、実に一年ぶりの再開である。
ちなみに、私はイチロウの出産を機に退職したが、ほっしゃんはまだ同じ職場で勤めている。
以下、ランチしながらほっしゃんとの会話。
の「会ってくれて、ありがと〜〜(半ベソ)家族以外の人としゃべらなさ過ぎて、心の病気、一歩手前で(半ベソ)」
ほ「お子さんがちっちゃいから、コロナ気にしてるかなぁって思って連絡するの、遠慮しててん……私から連絡したら良かったね〜〜。ごめんね」
の「ううん、ほっしゃんは元気してた? 会社は相変わらず?」
ほ「うん、そうね〜〜。私は、変わらへんなぁ。リモート勤務じゃないし、ほんまコロナ前と一緒。変わったのは……電車が、空いてて快適? なことくらい(笑)でも、それ以外は職場の雰囲気も、ずっと相変わらず(笑)のこっち(私の仮のあだ名)がいた時は、楽しかったけど……」
女地獄?を少しでも快適に過ごすために、私とほっしゃんは、こっそり愚痴飲み会をしたり(おおっぴらに開催すると、誰と誰を誘うか?などで、また揉めるので)、週末一緒に観劇をした後、感想を言い合う会を企画したりして、ストレス発散に努めていた。
職場で嫌なことがあっても「ま、ほっしゃんに今度愚痴ったらいっか」「この劇、今度ほっしゃん誘ってみよっかな」と思えたことで、私は仕事を続けられていた。
本当に、ほっしゃんには感謝しかない。
の「そういえば、舞台は最近見に行ってないの?」
ほ「それが行けてないねん。演者さんにコロナが出て、前日に中止連絡が来るのが二回続いて。楽しみにしてる分がっくりくるからさ。今はチケット取るのも控えてる。なので観劇は、自粛中です(笑)」
の「そっかぁ……そういえばほっしゃんの『最推し』、『人間国宝』やったよね? あ、まだ、ご存命?」
ほ「生きてる、生きてる(笑)」
の「ごめん、ごめん(笑)」
ほ「生きてはるけど、ご高齢やから今は出てないねん。のこっちにも、いつか見せたい。野々宮万四郎(仮)の『ワキ』を極めた技芸を」
の「あはは(笑)見たい、見たい。狂言、一緒に見に行ったとき、推しの万四郎(仮)さん、いなかったもんねぇ……」
ほっしゃんから初めて、最推しの年齢が八十歳越えであることを聞いた時は、ぶっちゃけめちゃくちゃ驚いた。
周りの同年代女子たちが、イケメン俳優やアイドルにキャーキャー言ってる中、チョイスがあまりにも激シブで、理解が一瞬、追いつかなかったのだ。
しかし、ほっしゃんは、ぼーっとしている私に告げた。
「明日、推しが死ぬかもしれないから。『今日が、今見ている舞台が最期かもしれない』って思いながら、いつも見てる」と。
その時、初めて。
「推しと同時代に生きていることが、ラッキーで幸せ」だという事実を、私はほっしゃんから学んだ。
「パガニーニ(19世紀のバイオリンの名手)の超絶技巧を見たい」とどれだけ願ったところで、令和に生きてる私たちには、タイムマシーンが開発されない限り不可能。
なれば……
今、この瞬間を生きている『なんか凄い人たち』を、私は片っ端からこの目に焼き付けたい。凄いものを見て心の底から驚きたいし、生まれてきたからには、たくさん感動したい。
そういう種類の欲望が、自分はとても強い人間だということを、私はこの時初めて自覚した。(ちなみにこの理屈からいくと「公式がハピエンで完結している二次元は、絶対推しが死ぬ事も不幸になることもない」=「最も安心して推せる推し」である)
ほ「そういえば、のこっちが推してた真下要(ましたかなめ)の二人芝居も、延期になったって」
ほっしゃんの言葉に、私の脳細胞は激しく活性化した。
真下要(仮)は三十代の実力派俳優。
ほっしゃんと一緒に見にいった舞台で、真下くんの伸びやかな動きに沼った私は、三年ほどテレビやら舞台やら真下くんを追いかけまくっていたのだ。
しかし、出産以降の私は真下くんのことを、すっかり忘れていた。
舞台が延期になったことすら全然知らなかった。四六時中テレビはついてるものの、我が家で流れているのは、ほぼYoutubeなので。
の「そうやったんや。知らんかったなぁ。今の生活で、舞台を見に行くって発想がなかった。けど、また舞台行きたいな〜〜。テレビの真下くんも素敵やけど、舞台で躍動する姿を目に焼き付けたい〜〜。タテが、凄かったよね……」
ほ「うんうん、真下くん全力で暴れてたよね〜〜(笑) ああ〜〜、めっちゃ観劇したくなってきた(笑)舞台最高。勝手に自粛してたけど、心の健康も大事よなぁ。変わらへんなんて、嘘やわ。やっぱ元気なかったかも。久々にのこっちと喋って、今めっちゃ楽しい。最近ずっと、楽しくなかった……」
の「コロナ禍になってから、楽しいことみつけるの、すごく難しくなったよね……」
ほ「うん…………あ! どうでもいい話ばっかしちゃってたけど。のこっち、すごい辛かったんよね? 大丈夫?」
そこで、やっと。
二次創作(同人)というものにハマりだし、小説まで書き出したことや、評価依存に陥ってメンタルがヘラってしまったこと。
そして今、断筆して回復に努めていることを、私はほっしゃんに告げた。
長い私の話に、しばらく耳を傾けてくれていたほっしゃんは、言った。
「凄いね、のこっち。私、本を読むのも舞台を見るのも大好きやけど。何か書きたいって思ったこと、大袈裟やなくて生きてて一回もないから、本当に凄いって思ってる」と。
その言葉に私は首を振りながら「凄くなんかないねん、ほんま。お金にもならへん、いらんことして病んでしもて。自己嫌悪やねん。家族の為には、このまま書くのやめてしまった方が、いいかなって思う日もある」と返した。
十年以上前に、クリエイティヴに憧れる気持ちは全部捨てたはずなのに……
今になって、また「創作したい気持ち」が捨てられずに、苦しんでいる。
ほっしゃんに愚痴りながら、十年以上も前のことを思い出す。
超ブラック企業だった中小広告代理店を辞めた直後、泣きながら捨てた物たちのことを。
宣伝会議のバックナンバーに始まり、好きなコピーをひたすら書き留めたノートや、昔書いていた自作の小説に、日記や読書感想文に至るまで、『創作したい気持ちが詰まってそうなもの』は全て、当時二十六歳だった私は、容赦無くゴミ袋に突っ込んだ。
「創作したい気持ち」をまるっと捨てることで、普通になろうと思ったのだ。
普通に、幸せになりたかったから。
その癖、今になって創作から離れられない自分が
嫌で、嫌で、嫌で……
普通の生活から、毎日逃げてしまいたいと思う自分が
嫌で、嫌で、嫌で……
しょんぼりする私に、ほっしゃんが微笑む。
「でもさ。せっかく始めたからには、ゆっくりでも、休みながらでも続けられたらいいよね」って。
ああ、本当にこの人は仏様だわ……と。
ほっしゃんは何気なく言ったと思うけど、私はめちゃくちゃ感動してしまった。
幸せな家庭生活のためには、「やっぱり創作を捨てた方がいいのかな?」と、心のどこかで考えていたから。
このほっしゃんの言葉を、今も私は大切にしている。
この言葉のおかげで、
とりあえず、どんな形であれ書き続けられたらそれで良し、と心の底から今は思える。
創作も生活も、どちらもあきらめなくていいんだって。
落ち込みそうになっても、前向きになれる——。
それから私たちは、「また、一緒に観劇しようね」と固く誓って別れた。
そして「観劇が中止になってしまったら、その時はご飯に行こう。更に食事することすら難しそうなご時世だったら、リモートで話そう」ということにした。
生きてる場所は少し離れてしまったけど、一緒に働いていた時みたいに、辛い時に助けあえる友達がいる。
なかなか楽しみを見つけることが難しいコロナ禍でも、工夫次第で楽しみを見つけられる。
そのことが、深海にいる私の心に光を与えてくれた。
そうして2021年の3月も終わりそうな頃には——。
すっかり、ハマってしまって忘れられなくなってしまったドラマ。
「ノエルー聖なる夜にー」の二次創作小説を、なんとか書きたいと思うようになっていた。
NEXT→
どんな形でもいいから「書き続けたい」と強く思った私が、メンタルを保ちながら書き続ける為に自分の管理方法を試行錯誤する「6.結局、創作したい気持ちから逃れられなくて開き直った2021年の春 ①わたし、わたしを管理する」へとつづく
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