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わたしの二次創作日記_14

5.一旦、創作はあきらめようと悟った2021年の冬

①わたし、わたしを整える

夫に「同人活動」のことを打ち明けられた日を境に、Pixivへの執着は不思議と薄れていった。
なぜなら「不満があれば、その日の終わりに夫と話をする」という習慣ができたからだ。
毎晩、「私の話」を聞いてもらえる場所があることを確認できたことで、私の心は落ち着きを取り戻すようになってきた——。

そうして初めて気がついたことがある。

私は心の片隅で「男性である夫に、愚痴など言っても理解してもらえないから無駄だ」と、思い込んでいたということを。

このような思考回路に陥っていた背景に、育った家庭環境があると思う。

私は、厳格な父と専業主婦の母、それに母の実母である祖母との三世帯同居という「サザエさんち」みたいな家の長女として育った。
父親は仕事が忙しく不在がちだった為、祖母と母、それから近所のおばちゃん達に見守られて、私は大きくなった。歳の離れた弟がいるので、思春期以降は、幼い弟の子育てを手伝うこともあった——。

この「子育てに関わる登場人物、ほぼ女」の環境で育った私の心の奥底で、母や祖母が繰り返し言っていた「子育ては、女同士でするもの」「亭主元気で留守がいい」「男の人に、女の気持ちはわからない」といった言葉たちは、想像以上に深く広く根を張っていたらしい。

母の思考がよく現れている、印象的なエピソードがある。

中学生の私が、保健室のベッドで眠っていた時のこと。
生理ナプキンをもらいに男子生徒が来たことがあった。付き合っている彼女に、もらってきて欲しいと頼まれたと。
当時、驚いた先生が「彼女に、女友達にお願いするように言っといて」と注意していた。

その話を母にしたところ——
「ありえへん! そんなことを男子に頼むなんて……女の子の親は、何を教えてるんや。生理のことなんて、男の人に言う話じゃないよ」と、血相を変えて怒りだしたのだ。

生理の話はもちろん、汚い感情や大変なことは全て自分の胸の内に納めるか、女同士でだけ共有して解決する。男性には、決してそういう汚い部分は見せない。仕事で疲れて帰ってきている夫には、家で快適に過ごしてもらう為に——。
長く専業主婦として、祖母の助けを借りながら多忙な夫を支え、
祖母が老いてきてからは介護をこなし、二人の子供を育ててきた母の矜持である。

そうして大変な時を乗り越えてきた母は「子育ては、女同士でするのが一番良い」と強く思っていて、実家の近くに私が住んで「男の人にはわからない、女の気持ちを女同士だけで共有しながら、女同士で助けあって過ごす」のが、私にとっても幸せなことだと、考えている節があった。

だけど、夫と色々話せるようになってからは、
「母の悩みを共有するのは『私』ではなく、夫である『父』の役目なのでは?」と、私はふと思ったのだ。
「母は、『夫』より。『娘』や『実母』との方が、心の距離が近いことを普通だと思っている。だけど私は、『母』のことを大切に思うものの、まず何かあれば『夫』に相談する。そういう夫婦でありたい」と。

アラフォーにして、今までの親との距離感に違和感を覚えたのである。

私は衣食住に困ったことはないし、大学まで出させてもらって、両親にはとても感謝している。
それに子育てを父母に手伝ってもらわないことには、なかなか難しいこともわかっている。

しかし、あくまで子育ての主体は「私と夫」であり、「私と母」ではない。
この気持ちを、強く持つことが大切だと思った。はたから見たら、今までの親子関係となんら変わらないかもしれないが……
「私自身の心の在り方が大切だ」と、強く思ったのだ。

誰かの意見ばかり気にして生きるのではなく主体的に生きる為には……
一番おざなりになっていた私の心や体を、私自身が一番大切にしてあげないと……

だからしばらく、私は二次創作小説を書くことを「休む」ことにした。
辞めるのではない。元気に続ける為に、少しの間、同人活動から離れる決意を固めたのだ。

しかし、この日記を読んで下さってる方はお察しだと思うが、私は重度の評価依存症である。
「休もう、離れよう」と決めたところで、嫌なことがあった時や体がしんどい時など、何か現実逃避したいことが起こるたびに、チラチラ、ログインしてしまう……。
そうしてなんの通知もないと「書きたい! 何かあげたい! いいねが欲しい! キィーーーー!」となってしまうのだ。
(「あんな男、絶対に別れてやる!」と啖呵切って連絡先を消した途端、「会いたい、会いたい、会いたい……(号泣)」になるダメ女状態)

この行き場のない激しい衝動を、私はスマホメモにぶつけることにした。
二次創作に出会ってから——、
特に小説を書き始めてPixivにアップするようになってからの激動の半年間の出来事を時系列で振り返り、書き殴った。
それとは別に、その日の気持ちなんかも日記アプリにつけだした。

つまり、小説を書く代わりに私は「私自身」のことを書くことにしたのだ。
この手記?が、「わたしの二次創作日記」の原型である——。

ついでに、日記をつけること以外に当時の私が心身を整えるのに実践していたことを、以下に記載します。
暇さえあればスマホを触りたくなってしまう状態だったので、なるべくスマホに触れる時間を減らすよう「スマホ以外で楽しめたり、癒されること」を探すように意識していました。


体編


・自律神経を整える系の本から知識を得る
・軽いストレッチと筋トレ
(ストレッチポールが、楽でよかった)
・温湿布
・婦人科で自分に合った漢方を処方してもらう
・寝る前にカモミールティを飲む
・寝る時にアロマオイルを炊く
・夫の休日には子供たちを夫に公園に連れ出してもらい、一人の時間を作る
・イチロウとジロウを一時保育に預ける
(月2ほど)


メンタル編

・ワイヤレスイヤホンで自分の好きな音楽を聴く
Youtubeの音や子供の叫び声など、家庭内の騒音?が辛すぎる時に、シャットアウトする時間を作った。
・心理学関連の本を読む
水島広子先生の本が、読みやすかった。
知性と感情のバランスが取れている時の感じ方が「本物」で、疲れていると感じ方が大袈裟になるだとか、
悩んだ時は「自分の心が平和」でいられる選択をする、など今も参考になっている。

・同人活動関連の本を読む
当時の私は、完全にカレー沢薫先生の信者(笑)
「お母さんだって、人間だ。BLDB(ドスケベブック)ぐらい、持ってたっていいじゃない」の言葉に、罪悪感で押しつぶされそうだった当時の私は救われた。今も、自己嫌悪に陥りそうな時は、この言葉を思い出している。

・推しの分散化を計る
『夏アミ』から意識を逸らすために、全然違うジャンルの漫画を読んだり、以前好きだった推し俳優のドラマや、お笑い番組を見るようにしていた。

ちなみに、心身の疲弊度合いで気分転換用のコンテンツを調整するという小技を、この時覚えた。
※元気な日
小説や重厚なドラマ(本格ミステリーや泣けるヒューマンドラマ系)、映画など、ストーリー性に富んだもの
※少し疲れている日
短めのドラマ(朝ドラ、深夜帯のドラマなど15分や30分のもの)や、感情が揺さぶられない系のドラマ(孤独のグルメなど)
お笑い番組、ギャグ漫画など、ぼーっと見て楽しめるもの
今まで見たことや読んだことがあって、絶対自分が大好きだと確信できるものであれば、物語性が強いものでも良い。
※疲労困憊の日
動物、建物、景色などぼんやり眺めてるだけでいい映像(世界遺産、ダーウィンが来た、ねこ歩きなど)

・月一回、夫のいない金曜日のどこかに、ユウコ(仮)とミタさん(仮)と、リモート愚痴会を開く

・3ヶ月に一回は、美容院に行く

ジロウ出産以降、コロナ禍に突入したことで、自分の外見に対する興味が著しく減退していた。(公園、スーパー、病院以外は外出しないし、家族以外誰にも会わないから)
当時の私は、美容院に行ったり友達と会うことがめんどうで、服や化粧品を購入することが、心底どうでもよかった。
しかし、夏に久しぶりに友達と会い、その予定に合わせて美容院に行ったことで、家族以外の誰かと話す時間や、身だしなみを気にすることは、心身の健康にとても大切なことだと痛感した。
友達と会ったり美容院に行くよりも。
空き時間ができたらドラマや漫画、外出するにしても本屋に行ったり、美術館等に行きたくなる私は、あえて「友達と美容院」を大切にするよう意識した。

そして最後に。
一番効いたのは「今は、仕方がない」と考えて、色々なことを「あきらめる」ことだった。

食事のことだけなんとかなってたら、部屋がグチャグチャでも洗濯が二日に一回でも「まぁ、いっか」とあきらめる。
子供たちを寝かしつけた後、文字が書きたくなったり、ドラマが見たくなったりしても、すごく疲れていたらあきらめて寝る……。

ずっと今の状態が続く訳ではない。
子供たちは日に日に大きくなっているし、そのうち手もかからなくなる。コロナも、どこかでは落ち着くだろう。
子育てが一番大変な時に、コロナなんて全人類未曾有の事態に巻き込まれている「今」だから、「心と体を休めること」に意識を向けて、「楽しそうだけど疲れそうなこと」は、あきらめる、と。

しかし、私はストレスが溜まり「キィーーーー!」がMAXになると、あれもこれもやりたくなる貧乏性の女。(体がキツいよりメンタルがキツい方が耐えられない為、ストレス源から目をそらすために、体を休めるのではなく何か他の事をしようとする)
そこで、「様子がおかしくなってきてたら、休むよう声をかけて」と、私は夫にお願いをした。
あと「カンタロウ君だけは、私の話を聞いて。それから褒めて」と。
恥を捨てて、ほぼ半泣きでお願いしたりもした……。

それほどまでに私は、
主婦になってからというものの「誰かに自分の話を聞いてもらう機会」と「褒められる機会」に飢えていた。

社会人時代、コロナ禍前はそれなりにあったそれらの機会が、とても尊いものだったことを実感しつつ、様々なことをあきらめる生活の中。

夫に対してだけはあきらめたくなかった。

夫にワガママをぶつけながら、私は回復に努めていた——。

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推しを分散化しながら、ゆったりと冬を超そうと回復に努めていたはずの私に、運命の出会いが訪れる「5.一旦、創作は諦めようと悟った2021年の冬 ②わたし、新しい沼を見つける」へとつづく

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