登山と人生は似ている。 在所である岐阜県岐阜市には、金華山という標高329メートルの山がある。 かの織田信長公が天下布武の拠点とした岐阜城を構えた他であり、 堆積したチャートで出来た断崖絶壁の山だ。 私はこの山を3年ほど前から週一の頻度で登っている。 最初の頃は健脚コースを登ると息切れをしていたが、今ではペースを守れば息を乱さず登ることが出来るようになった。 私が金華山を定期的に登るようになったのは、健康のためというのもあるが、 もう一つ、 登山は人生と被ると
70代を超えるその方は、 『俺は市民団体は嫌いだ』 そう仰っておられた。 飲食店を経営している友人のご紹介で某商店街の重鎮たちと会食をさせていただいた席でのことだ。 それほど、口だけの団体が多いということだろう。 口を開けば、 『地域を盛り上げたい』 と言うが、 その内どれだけの人が実際に骨を折って経済を活性化させているのか。 SNSで発信して”やった気”になって終わり、 なんとなくランチ会をして終わり、 そんな口だけのコミュニティーリーダーが多いのは確
最近、 『会社の代表してます。』 『団体運営してます。』 『コミュニティー運営してます。』 そう自己紹介で口にする人が増えてきたように思う。 『社長』 なんて肩書は、 会社を設立した瞬間から、誰でも名乗れる。 例え、従業員や取引先が0でもだ。 『団体運営』 『コミュニティー運営』 についても同様、 『団体』 という表現をする事で、箔が付くのかもしれないが、 そういう名乗りたがり、言いたがりに限って、 蓋を開けてみたら、 会則やガバナンスも無く、
「馬鹿なんですか?」 そう思うことが、 たまにある。 『人に馬鹿って言う人が馬鹿なんだよ』 なんていう、ヨタは受け付けない。 --- ばか 【馬鹿・莫迦】 《名・ダナ》 1. 知能の働きが鈍いこと。利口でないこと。また、そういう人。 「―とはさみは使いよう」(使いようによっては役に立つの意) 2. まじめに取り扱うねうちのない、つまらないこと。また、とんでもないこと。「―なことをしたものだ」「―を見る」(つまらない目にあう)。冗談。 「―を言う」 --- 今回
「頭がおかしいんですか?」 そう訊かれたら、迷わず「はい」と答えたい。 僕にとって、それは褒め言葉だからだ。 しかし一方で、 「良い人ですね」 と言われたら、 「俺の何を知っている?お前の価値観で勝手に判断するな」 と腹立たしく思うことがある。 "そう思うかどうかは、「相手次第」だ。" 価値観=フレーム。 そもそも人のフレームとは、 過去の体験+意味付け、で成り立っている。 つまり、フレームは経験値によって大きく変わる。 人は新しい事象に出逢ったとき
Hから渡された架電リストに目を通すと、そこには事細かな個人情報が記載してあった。 名前、電話番号は勿論のこと、住所、家族構成、子どもの年齢、通っている学校名、塾名、各家族の帰宅時間に至るまで事細かな個人情報が記載してある。 当時、今ほど個人情報にうるさくない時代、ギリギリコンプライアンスに引っかからない程度の個人情報を収集するプロの”名簿屋”と呼ばれる職業の人たちがいた。 営業会社は軒並みそういったプロの”名簿屋”に依頼してターゲットとなる家庭の情報を得ていたのだ。
「もしもーし、私E●●の○○と申しますがあー・・・」「もしもし、僕E●●の・・・」 扉を開けてビックリ。 そこには”家庭教師など縁遠い”ような、見るからに●グレ系の男たちが数名稼働していた。 四畳半ほどのスペースで、みんな受話器を持ち、いっせいに電話をかけている。 すごい熱気だ。 私はその光景に、またもや面食らってしまう。 "なんだここは..." 目の前には刺●剥き出しのお兄さんたちが受話器に齧り付くように電話営業をしてた。 「ほな、仕事中すまんけど、一旦電話
18歳、青春まっさかりの私、目指すは家庭教師のアルバイト。 理由は単純かつ不純。笑 辿り着いた先は家庭教師の"テレフォンオペレーター”という聞き慣れない仕事の求人。 そして迎えた面接当日。 四条烏丸にある雑居ビルに辿り着いた私は、指定された事務所フロアのインターフォンを押した。 "ピンポーン。" 「どうぞ!」 男性の声で一言。 面接会場として案内されたのはビルの貸し会議室だった。 パーテーションに囲まれ、事務デスク、ホワイトボードしかない無機質な空間。 「
大学に進学するも、授業には殆ど出席せず、アルバイトか仲間と遊んでばかりの毎日。 大阪のアメ村や難波、梅田は当時の私には刺激的だった。 人生初の一人暮らしを謳歌していた。 そんな18歳の夏、私は京都市中京区にあるコンビニエンスストアで求人誌を立ち読みしていた。 目的は大学受験の家庭教師アルバイト求人。 動機は不純なものだった。 "家庭教師仲間の女子大生や生徒の女子高生に囲まれてバイトがしたい。" さっそく家庭教師派遣会社に問い合わせをすると、面接の日取りが決まった
大学進学にはいくつかの手段がある。 代表的なものだと、 ・一般入試 ・推薦入試 の2つがあるだろう。 私は当初、一般入試で自分の偏差値に合った大学に進学をする予定だった。 当時、全教科の平均偏差値は63〜64程度だったので、学部さえ選ばなければ行ける大学の選択肢は多い。 ただ一般入試で受けた場合、最悪3月中旬ころまで受験に時間が取られる。 長い。 それまで勉強に対する意欲が持ちそうになかった。 であれば、多少目線を下げてもすぐに結果が分かる推薦入試を選ぼう
いつだったか...。 父親が居ないことを実感したのは。 中学一年生の時、体育の授業でソフトボールをすることになった。 2人一組のストレッチを終え、"肩慣らし"で始めたはずのキャッチボール。 そこには、上手くボールを投げられない自分がいた。 「なぜ、皆んな授業で習ったこともないキャッチボールが当たり前に出来ているのか」 そんな僕の質問に、首をかしげながらクラスメイトは答えた。 「小さい時、お父さんや兄弟とやらなかったの?」 休日、クラスメイトの家に遊びに行った後
「信長塾塾長のここでしか言えない話」というタイトルでこの度、noteでもブログを書いていくことにしました。 大学を退学して営業の世界に飛び込んだ経緯や、会社員時代、起業した経緯など"暴露的な内容"を書いていけたらと思います。 衝撃的な内容も出てくるかもしれません、よろしくお願いします。