【登山と人生は似ている】
登山と人生は似ている。
在所である岐阜県岐阜市には、金華山という標高329メートルの山がある。
かの織田信長公が天下布武の拠点とした岐阜城を構えた他であり、
堆積したチャートで出来た断崖絶壁の山だ。
私はこの山を3年ほど前から週一の頻度で登っている。
最初の頃は健脚コースを登ると息切れをしていたが、今ではペースを守れば息を乱さず登ることが出来るようになった。
私が金華山を定期的に登るようになったのは、健康のためというのもあるが、
もう一つ、
登山は人生と被ると感じることが多分にあり、考えごとや内観をするのに適していると感じたからだ。
人生に置き換えた場合、
登り口を生誕、山頂を死と位置付ける。
生き物は皆等しく死を迎えるが、
この世に平等というものがあるとしたら、それは間違いなく死だろうと私は思う。
私は死という言葉をネガティブには捉えていない。
ポジティブやネガティブという解釈があるとしたら、それは死に方であって、
死そのものは、人生からの解放という捉え方をしている。
登山に置き換えれば、山頂に到達した時の開放感(解放感)は何事にも変え難い。
その解放感というご褒美があればこそ、途中の度重なる困難も乗り越えることが出来るのだ。
一度登り始めたら、山頂に到達するまで降りることはできない。
それが登山であり、人生にも通じる考え方だ。
安全で緩やかな道をゆっくり時間をかけて登るか、険しくも困難な道を素早く駆け登るか。
細く長く生きるか、太く短く生きるか。
人の生き様が、そこに現れる。
サークルのように誰かと一緒じゃなければ登れない人も居れば、一人でも難なく登れる人も居る。
前者はサラリーマン気質、後者は経営者やアスリート気質だろう。
道なき道を行き、誰にも依存せず逞しく生きる姿勢が投影されている。
また、
途中ようやく難所をクリアしたと思ったら、また思わぬ「まさか」が出現する。
これも人生と同じだ。
逃げて後戻りするか、
立ち向かうか。
困難を乗り越えられる人なのかどうか。
自分を甘やかす人なのか。
全てが試される。
体力はもちらん、頭も使う。
度胸も試されるし、物事への姿勢も表れる。
それが登山だ。
人生の縮図と言って良いだろう。
自分は、
誰にも依存することなく道なき道を突き進む力がある人なのか、
それとも、
誰かに依存し、馴れ合いの中でしか自分の居場所を作れない、
自分の意見すらまともに言えない、弱い人間なのか、
常に試される。
弱肉強食、
弱い者は、食われる。
定期的に自然の中に身を置くことで、忘れてはいけない生物としての生存本能をギリギリ保ててるような気がする。
最後に、余談だが、
最近、こんなことを言った人がいた、
「SNSに投稿してないのは、やってないのと同じ」
それは、内容にもよるだろう。
逆の言い方をすれば、
「やれていない事でも、SNSに投稿したらやったことと同じ」
となる。
どちらかと言えば、
後者の意味で利用している住人の方が、FBやインスタには多い気がするのは気のせいか。
もちろん、告知や何かの節目など、
必要な内容を、適度な頻度で投稿することは大切だろう。
SNSは、やるかやらないか、
ではなく、ビジネスシーンにおいては、
マストになってきているのは事実だ。
だが、だからと言って、
その人間が上段に構えて語れるほど、SNSは浅いツールではない。
少なくとも、その人間より、よほど私の方がSNSの仕組みは理解している、
SNSには、アルゴリズムがある。
親密度、アクティブ度、
SNS版の、SEOだ。
例えばビジネスシーンで、
まだ無名の、起業したばかりのフェーズでは、
アウトバウンドが可能なSNSを活用することで、自分の存在を外に発信することが出来る。
実際、私も8年前から5年前くらいまでの間は、毎日SNSを投稿し、
投稿あたりのいいね数平均も、150件を超えることが多かった。
ただ、SNSからリアルの流入も増え、
実際の知名度が上がってくると、
SNSを頻繁に投稿する必要が無くなる。
そのため4年前には、一度アカウント自体も停止させたこともあった。
元々仲良くもない人間の投稿を、アルゴリズムの為だけにフォローしたり、
反応したりするのは好きではない。
だから、
その必要が無くなった瞬間、即投稿どころかアカウント自体を止めた。
再開したのは、団体運営を始めてからだ。
ある程度、団体としての動向を世間に共有させる必要があった為である。
共有さえすれば良いので、原則告知やレポートでしか活用はしていない。
間違っても、承認欲求を満たす為の自己満投稿はしないようにしている。
個人目的で活用したことは、ここ数年ほぼゼロだ。
芸能人でもないのに、個人の投稿をする意味がわからない。
ただの、おじさん、おばさんの個人投稿を見て誰が喜ぶのか教えてもらいたいものだ。
投稿するなら、仕事に関するものや、誰もが知りたい役立ち情報に限るべきだろう。
何度も言うが、
ビジネスで、仕事として投稿してる人間と、承認欲求を満たす為に投稿している人間は違う。
前者は責任感に基づいての投稿だが、
後者はただの自己満、しかも、SNSの反響がリアルの仕事の成果と結びついて居ない事が多い。
満たされないリアルでの承認欲求を、SNSでカバーしているのだ。
それは見ていて痛々しいが、夢の中のようなものなので、
覚めるまでは気付けない。
インターネットの台頭で世界中にアクセス出来るようになり、SNSによる双方向性が生まれた一方で、
SNSの中でしか人を判断できない、自分の欲を満たせない、
そんな人間も量産されたように思う。
SNS投稿ばかりに注意がいき、リアルを疎かにしないようにしてもらいたいものだ。
SNSの投稿やコメントは出来るのに、仕事の話では自分の意見も言えない、
そんな人間には、なってはならないだろう。
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