【連載小説】母娘愛 (25)
8月1日。いよいよ、本番の日が来た!
広島県庁前。午前9時。玄関前のロータリーの植え込みに掲げられた、県旗はだらりと、無風状態に甘んじている。それを見上げる山岡は、額の汗を右手の甲で拭いながら言った。
「今日も暑うなりそうじゃ!抜かりのないように頼むでぇ!」手分けして、車から機材を下ろす、スタッフたちに激励の声を飛ばす。
「ハチゲンの迎えは?」「すでにこちらへ向かっとる!いま携帯に連絡が入ったところじゃ、渋滞にはまっとるみたいじゃけど・・・」団員のユカリが応えた。
「で、主役の婆さんの迎えは、・・・」「松ちゃんが、向かっとる」団員の三ちゃんが応えた。順調に滑り出している詐欺劇の裏側で、山岡が独自で画策したもうひとつの秘密演目に、山岡はこっそり思いを巡らすのだった。
そのもうひとつの秘密演目の仕込みは、すでに昨夜から県庁舎のトイレで始まっている。
NPO法人の職員に成り切った松本は、約束の時間きっちりに、安佐南区の佐伯宅のドアホンを押す。「は~~~い!」軽やかな恵子の応対は、心弾ませる彼女の心を如実に現わしている。
おそらく、彼女は早朝から準備していたのだろう。いや、もっと以前から、テレビの録画撮影が決まった日から、美容院へ、エステへと忙しい日々を送ってきたことだろう。
松本の前に現れた恵子の出で立ちは、あらゆるアクセサリーを纏ったかと、見紛うばかり光り輝き、マスクの下の唇の色は、鮮やかな深紅色だろうと思わせた。恵子は全身に、還暦すぎた女性とは、程遠い雰囲気を醸し出していた。
「本日は、お世話になります」
恵子は、玄関先で馬鹿丁寧な挨拶をした。広島市のマークが入った高級車から、ニセ職員が急いで降りて来て、迎えの挨拶もそこそこに、恵子の引きずるキャリーケースを預かろうとする。
恵子はキャリーケースを、自分の背後にそれを隠すように持ち替えて、男の申し出を言葉で断る代わりに、右目でウインクをした。すかさず、松本が男を制止させるように、その男の両手を強く払いのける。
そのキャリーケースの中には、今日の本当の主役である現ナマ様が、御座しますのだ。さすがの恵子にとっても、端金ではない。遠い日のおじいちゃんの願いを叶える晴れ舞台なのだ。
最後まで、行き先をちゃんと見届けたい!
軽々しく扱ってもらいたくはなかったのだ。後部のトランクルームにも入れず、リアシートでその取っ手を、ハンカチ越しに、固く握りしめている恵子の表情は、多分、今まで過ごして来た人生で、最高に充実しきったものだっただろう。
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