おおまじめ

おおまじめに生きてるけど、うまくいきません。

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最近の記事

「不要」こそ「希望」

コロナ禍以降、よく使われるようになった「不要不急」という言葉。 コロナ禍には、「不要不急の外出は控えましょう」と言われ、「エンタメは生きていくのに必須ではないから」という理由で、ライブや舞台に行くことが控えられた。 当日は「まあ、たしかに無くても生きていけるもんな」と納得していたけれど、今では「エンタメは"不急"かもしれないけど、決して"不要"ではない」と強く思う。 楽しいことより、辛いことが多い人生を生きていくためには、未来に楽しみを作り続けることが必要不可欠だと思う

    • "一生懸命"は心を動かす

      『だが、情熱はある』 『忘却バッテリー』 『鬼滅の刃』 『BLUE GIANT』 『ハイキュー!ゴミ捨て場の決戦』 思い出せる限りで書き出してみた。 これらの共通点は、「一生懸命って心を動かすなあ」と強く感じたということ。 泣けるシーンじゃなくても、一生懸命なのが伝わってくることだけで泣きそうになる。 鬼滅なんか、作り手の熱量を感じて、何が起きたでもないシーンで泣きそうになった。 御涙頂戴的な作品は苦手だけど、一生懸命を感じる作品は心から感動できるから、出会えた時は

      • 「怒り」は喉に溜まる

        私は滅多に怒らない。 と、言うより「怒る元気がない」と言う方が近い。 でも私も人間なので、イライラすることはある。 そんな時、声に出して主張できる人もいるけど私はそこまでなかなかできない。 主張できなかった怒りが全部、喉に溜まっている気がする。 強い怒りを感じた時、喉が痛くなる。 風邪を引いた時のような痛みとは違って、声を出す時に使う筋肉のあたりが痛くなる。 そうなるたびに、「吐き出されない怒りって、喉にたまるんだなあ」と思っていることを書き留めたいと思った今日

        • 飽き性がすぎる

          お久しぶりの投稿になってしまいました。 毎日投稿が途切れた途端、「明日更新するか〜」が続き、気づけば1週間。 「熱しにくく冷めやすい、私らしいなあ」と思いつつ、もっと日々感じたことを書き留めたい。 些細な感情は、あっという間に忘れ去ってしまうから。 ちなみに、今日あった些細な出来事は、電車の中で癖の強いくしゃみが連鎖してたこと。 あくびは嫌いな人からは移らないって言うけど、くしゃみは関係ないのかなあ? 些細すぎて発散するのもためらっちゃうけど、大半の人にとってどう

        「不要」こそ「希望」

          最高気温38度以上は、休みにしません?

          連日暑すぎて、すでに疲労が蓄積されつつあります。 私は持病の影響もあり、代謝がバグっているので、ただ生活するだけでズボンの色も変わるくらいの汗をかいています。 普通に考えて、体温以上の暑さの中生活するって危なくないですか?? もう昔と同じように過ごすのは無理だと思いません???(同調圧力) そうは言っても、変わらないのがわかっているのが切ないところ。 環境に合わせて、柔軟に変われる世界だったら生きやすいのになあ。

          最高気温38度以上は、休みにしません?

          自分が着たい服なのか、「おしゃれな人」と思われたくて着てる服なのか

          もうわからない。 自分が好きで着てるのか、それとも世間から見てちゃんと見えるから、おしゃれな人に思われるから着てるのか。 たぶん自意識が芽生えてからずっと、服を買う時は「おしゃれに思われたい」という気持ちが必ず心のどこかにある。 でも、大学生くらいの時は、その中にも「こういう服が好き」「このテイストを着るとテンション上がる」みたいな気持ちもあった。 今はどうだろう。 おしゃれに思われたい:自分の好き=8:2 くらいかもしれない。 もはや自分がどんな服が好きなのか、

          自分が着たい服なのか、「おしゃれな人」と思われたくて着てる服なのか

          「文柄」がすてきな人になりたい

          義務教育の賜物だろうか、ほとんどの人が文章で自分の気持ちを伝える技術も持っている。 主語、述語、ところどころに修飾語。 基本の文章構造は変わらないから、誰が書いても同じような文章になるはず。 でも、そうはならないのが不思議なところであり、他人の書いた文章を読む楽しみでもある。 言葉の選び方だろうか。 組み立て方だろうか。 何が「違い」になるのか、明確にはわからないけど、人柄ならぬ「文柄」が滲み出ているのを感じる。 そう思うと、こうやって文章を綴るのは自分を世界にさら

          「文柄」がすてきな人になりたい

          オタクへの憧れ

          私は、熱しづらく冷めやすい。 今まで何かの熱烈なファンだったこともないし、寝食を忘れるほど何かに夢中になった経験もない。 ファンまでは行かずとも、好きになった人や物はある。 でもそれもずっと同じ熱量で好きでい続けることはできなかった。 だから何かに熱中してる、いわゆる「オタク」に強い憧れがある。 世間一般からすれば、「もうアラサー」かもしれないけど、人生時計でいうとまだ午前10時くらいだから、これから何かのオタクになるかもしれない1mmの可能性を楽しみに、今日もなん

          オタクへの憧れ

          他人に優しく接するように、自分にも優しくなりたい

          今日、ukaのスカルプブラシが届いた。 ぶっちゃけ似たようなのでもっと安いのもたくさんあるんだけど、私は私に良いものを買ってあげたかった。 普段、私は他人にするように自分に優しく接することができない。 他人になら「もう十分頑張ってるよ」「そんなに無理しないで」って言える状況でも、 自分には「まだまだ努力が足りない」「それくらいでへばるなよ」と言ってしまう。 これはもう長年の思考のクセなんだと思う。 だから、「自分のことも、他人と同じように優しく扱おう」的なことを何か

          他人に優しく接するように、自分にも優しくなりたい

          大人になると、初めてのことはなんでも楽しい

          元々、好奇心旺盛でとにかくなんでもやってみたいタイプ。 でも、初めてのことに対する喜びが、歳を取るほど増している気がする。 今日の初めては、マウスピースを作るための型取り。 決して楽しいことではないし、むしろ少しオェってなったけど、「私は今、初めて型取りを経験してる」って思ったら楽しくてニヤけてしまいそうになった。 たぶん、大人なるとある程度のことはすでに経験してきているからこそ、やったことのない事や新しい事により新鮮味を感じるんだと思う。 まだ人生に楽しいことがた

          大人になると、初めてのことはなんでも楽しい

          noteを始めて1週間。毎日投稿した感想

          前々から気になっていたnoteに投稿を始めて1週間が経ちました。 ありがたいことに、フォローしていただけたり、いいねしていただけたりして、ただの独り言になっていないからこそ続けられたなあと思います。 もっと私からもアクションを起こして、note生活楽しみたいな。 あとは、もう少し長めに病気のこととか、アラサーならではの悩みとかも語りたいな〜と考えています。 しかし、心の内を綴るのは、なかなかに時間がかかるので、書きたい内容はあっても「これを書くにはちょっと元気が足りな

          noteを始めて1週間。毎日投稿した感想

          「元気があればなんでもできる」を、病気になってから痛感した話

          「元気があればなんでもできる」 猪木さんと言えば、あごが特徴的でよくモノマネされている人という認識しかなかった私にとって、この言葉もキャッチコピーみたいな印象でしかなかった。 でも病気になって、やる気も出なくなり、本を読んだら映画を観たりさえできなくなった時、この言葉の意味に心から共感した。 「『元気があればなんでもできる』なんて何を当たり前のことを」と思っていたけど、 「元気がないと何もできない」を経験してから、この言葉の意味を心から理解した。 病気になる前の元気に

          「元気があればなんでもできる」を、病気になってから痛感した話

          最後に虹を見たのはいつですか?

          最近、虹を見てないなあとふと思った。 大学生の頃はわりと頻繁に虹を見ていて、その度にちょっぴり幸せな気持ちになっていた。 そもそも虹が出る頻度が減ったのかな?とも考えたけど、たぶん理由は私にある。 前よりも空を見上げる機会が減ったことと、虹が見られる日中にビルの中にいることが原因だと思い至った。 朝は忙しくて前か下ばかり見てみるし、仕事が終わって外に出る頃には真っ暗で虹を見ることはできない。 虹、久しぶりに見たいなあ。

          最後に虹を見たのはいつですか?

          ミュージカルの主人公だと思って生きたい

          ミュージカルの主人公は、嬉しいことがあれば歌い踊り、悲しいことがあれば歌い踊り。 とにかく「この世界の中心は私!」感が強くて、何があってもハッピーエンドのための伏線みたいなのである。 そんなミュージカルの主人公に憧れて、『ヘアスプレー』の『good morning Baltimore』を脳内再生しながら通勤することがある。 脳内再生している間は、「世界が輝いてる!」と勘違いできることもあるけど、その気持ちは維持できず、あっという間に自意識過剰周りの目ばかり気になるモブに

          ミュージカルの主人公だと思って生きたい

          脳内反省会を開催する人はチーム友達

          誰かと会話をした後、必ず脳内で反省会が開かれる。 「あの一言余計だったわ〜」 「性格悪って思われたかな」 「こっちの言い方のほうがよかったな〜」 そして、理想の返答をした場合のシミュレーションまでしっかり行う。ここからは反省会というより妄想である。 友達と遊んだ帰り道や、仕事終わりの電車の中はほぼ毎回反省会が開かれる。 開いてるんじゃなくて、勝手に開かれる。 中学生くらいからずっと。 HSPという言葉が流行ってから、この反省会をみんながしているわけじゃないことを知り

          脳内反省会を開催する人はチーム友達

          アラサーになっても自意識が中学生並み

          大人になったら、自意識は少しずつ小さくなっていくと思ってた。 でもアラサーになった今、一向に小さくなる気配がない。 街中ですれ違う人を見たら目が合うような気がして、下を向いて歩く。 実は私の考えてることがみんなに筒抜けなんじゃないかと思って、一人恥ずかしくなる。 これは中学生くらいからずっと変わらない。 最近、「自分の想像以上に、人は他人のことを気にしていない」ということを実感するできごとがあった。 かなり大きなほくろを3つ除去したのに、家族でさえも気づかなかった

          アラサーになっても自意識が中学生並み