「文柄」がすてきな人になりたい
義務教育の賜物だろうか、ほとんどの人が文章で自分の気持ちを伝える技術も持っている。
主語、述語、ところどころに修飾語。
基本の文章構造は変わらないから、誰が書いても同じような文章になるはず。
でも、そうはならないのが不思議なところであり、他人の書いた文章を読む楽しみでもある。
言葉の選び方だろうか。
組み立て方だろうか。
何が「違い」になるのか、明確にはわからないけど、人柄ならぬ「文柄」が滲み出ているのを感じる。
そう思うと、こうやって文章を綴るのは自分を世界にさらけ出してるようで、少し気恥ずかしい。
すてきな文章が書けるような、あったかい人になりたいなあ。
追記
「もしかして、すでに文柄って言葉があるのでは・・・?」と思って調べたら、あったけど想像と違う意味合いだった。
文柄(ぶんぺい)・・・文壇の指導権
私としては、
文柄(ふみがら)・・・文章から滲み出る人柄
こっちのほうがいいなあ。(勝手に作った)
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