吃音ブラック日記~その0 過去編➂
前職の愚痴を便所の落書きのように長々書いてしまってすいません。
今回の記事で過去編は最後にしようと思います。
_____ブラック食品工場の闇、閉幕でございます。
前々回
前回
気がつけば入社して3ヶ月
24人いた新卒は指で数えられる人数にまで減っていた。
その後も、人手不足が続き別の部署の手伝いに追われ、もはや自分がどの部署の所属なのかもわからない状態でした。
月曜日は大体新しく入った季節パート、アルバイト、派遣の方に
毎週別の部署の仕事を一から覚え、それを教える。そんな一週間の流れが出来上がってました。
「自分は社員なんだから頑張らなきゃ・・・」
そんな考えもありましたが7ヶ月後には完全にそれが無くなります。
退職するきっかけになった5つの出来事を順に話していきます。
日曜日という名の半日休み
一つ目の理由はこれです。
何ヶ月かすれば土日休みがあるでしょう、とか軽い気持ちでしたがそんなことはありませんでした。毎週のように週休一日が当たり前、土曜休みなんてありませんでした。弊社では土日休みを連休と呼んでいたのが驚きです。
最初のうちは我慢できましたが、これが3ヶ月も続くと身体が悲鳴を上げていました。
100キロ以上ある食品をハンドリフト(ビシャモン?)を使ってひたすら動かしていました。もちろん交代なんてできないので休憩なんて無いです。
しかも、そこに慣れない部署での援軍や夜勤などが組み込まれたのも原因の一つです。2週間に1回、夜勤から日勤に代わるに変わるのですが
土曜日の午後17時から始業開始なので退勤は日曜日の午前6時となるわけです。次の出勤は日勤なので午前5時に始業開始、つまり23時間後にまた会社にいることになるわけです。
それから、40分かけて帰宅し風呂、睡眠、買い物・・・・また出勤・・・無理です。
次の週の勤務が日勤、夜勤か決まるのは休み前の勤務で決まるのですが、そこにも退職する原因がありました。それは・・・
お局専務(クソババア)と高卒上司の存在
はい、二つ目の理由はパート①で出てきたコイツの存在です。
最初の援軍以来で完全に目をつけられてしまい
その後、パワハラはどんどん悪化し耐えられませんでした。
援軍以外で部署は違うので交わることはないのですが、さっき言ったように日勤か夜勤かの連絡はコイツが絡んできます。
この会社には通称ラブレターというものがありまして月曜日に会社に来るとタイムカードにメモ用紙が挟まっていることがあり(今週は〇〇課での出勤をお願いします)などと書いていることがあります。
そもそも最初の援軍の時に出勤時間、その部署の場所などの連絡を任されていたにもかかわらず、俺に連絡しなかったようです。
最初に私が出勤時間を間違っていた原因です。
その日にならないと出勤時間、勤務する部署すらわからないのは、もはや仕事でもなんでもないです。もう辞めるしか方法が見つかりませんでした。
「今日は〇〇課だかんな!!オラァ・・・!行けッッ!!」
人にお願いする態度じゃねぇんだよな
NTRのチャラ男のセリフだろこれ
多発する労災
3つ目
そしてこれが最大の原因なのですが、この会社異常なほど労災が多発していました。作業効率重視、安全面皆無、現場猫も逃げ出すレベルでした。
・餅の臼を一人で持ち上げる
・ハンドリフト下げないで動かし足が潰れる
・非常停止ボタンを押さず停止ボタンを押す、機械修理完了後に挟まれ骨折
・食品を投げる
命がいくつあっても足りないレベルでした。
自分が担当していたのは餅の裁断でした。
動いてる裁断機に手を入れることもありました。
少しでも、機械を止めれば課長の台パンが炸裂するからです。
「あ、ちなみにお前が来る前にいた奴、指落としたからな^^」
私は退職を決意した。
地元の小さな祭り
4つ目のエピソード
地元の有名な祭りがあり、当然社員はそれに強制参加。
仕事が終わってから30分程度集まって練習。
隣の会社と協力して神輿を担ぐのですが、どうも堅気に見えない。
少しでも神輿担がグラつくとキレるキレる。キレ方が完全にそっち方
そんなこんなで当日、はっぴの着方も集合場所も説明なし
何もかもが雑過ぎる。
ブチギレられながら神輿担いだ後は用済みですぐ解散。
え?
同期と話しながら会社に戻ると、何故か会社に鍵がかかっている
は?
同期、ブチギレでお局専務(クソババア)に怒りの電話
お局「えぇ??何であんたたち荷物ロッカーにおいてきたのぉ??えぇ??私はもう帰ったわよ」
は?
お局「車の中に置いとけばよかったでしょう?えぇ??少しは頭使えぇ゛」
????????????
おい、ババァはっぴにポケットねえぞ。
車の中で着替えろってか?
車の中に財布も携帯も置いていけってか?完全にカモだろ?
結局、違う部署の課長が来てくれて鍵を開けてくださいましたが、
私も同期もクソババアへの不満が止まりませんでした。
もうこの時、私は仕事へのモチベーションが0でした。
自分が所属していた部署の人間関係
5つ目最後です。
課長、係長、社員、派遣、季節パート、全てがクセ者でした。
結局、直属だった高卒上司のパワハラが収まらず
部長に教育係を変えてもらう相談をしました。
その時に、高卒上司が原因で3人も退職していることを知ることになります。
そして祭りの後、同じ部署にいた4年目の先輩が高卒上司のパワハラが原因で辞めたことが発覚し元自衛隊係長に教育係を変えてもらいました。
今思えば、この先輩はこの会社で一番まともな方だったと思います。
本当にお世話になりました。
その後あったことを少し書くと
・繁忙期に40人以上いた派遣季節パートが10人弱に
・退職する恨みを買われ財布の中身を2回盗まれる
・季節パートの女性にトイレに行かせないようにパワハラが起こる
・それを庇い交代したことをお局専務に咎められ私ブチギレ
・ラインが止まるごとに課長怒りの台パンで餅が宙に舞う
・派遣、季節パート、アルバイト、社員の幼稚ないじめ
・エアシャワー室が完全防音なのをいいことにパワハラ
・UVゴーグルをせずに不良品を取らせる
・ボーナスの代わりに課長からのありがとうの手紙で済まされる
・辞めすぎて新卒のみボーナスが支給される
・ボーナスはまさかの大量の100円玉と1万円札
・社長の車が1ヶ月弱の間にレクサス→BMW→ジャガーに変わる
・自衛隊研修と日本一厳しい研修は新卒辞めすぎで急遽中止
・残る季節パートのババアが大体こんなかんじ
キリがないなこれ、もうやめましょうか。
自分の想像していた大人の世界ではありませんでした。
そこには身体だけが大きくなった子供と変わりませんでした。
あと、自分が入社する前にマルハニチロだかで異物混入の事件があって
仕事のメモが全く取れなかったのも地味にきつかったです。
そんな感じですかね。
最後の自衛隊上がりの教育係の先輩には本当に感謝しています。
また、思い出したら書くかもしれませんが、二度とこの会社の食品は買いたくないし食品工場にも働きたくないと思いました。
長文でしたが、最後まで読んで頂きましてありがとうございました。
(読みづらかったので少し編集しました。)
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